♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して67年の
「世の光」を文字で 

■行いによるのでなく / 関根弘興

2019年07月12日 | Weblog
2019/6/7放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 新約聖書の福音書の中に、イエス・キリストのもとに、ある金持ちの役人がやってきたことが記されています。彼はユダヤ社会の若きリーダーの一人だったようです。その役人がイエス様に「私は何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか」と質問してきたんです(参照マタイ19章16節、マルコ10章17節、ルカ10章25節 )。自分が何かを行うことによって永遠のいのちを受けようとしていた訳ですねえ。つまり自分の力で救いを得ることができると思っていたようです。

  するとイエス様は、「もし自分の行いで救いを得たいなら神様の戒めを守りなさい」とお答えになりました。するとこの役人は「そのような戒めは 小さい時から守っております」と即答したんですねえ。ま、よほど自信があったのでしょうねえ。彼は真面目で、戒めを厳格に守り、人々の評価も上々でした。自分のような人間が永遠のいのちを受けずして誰が受けることができるのか、と思っていたかもしれません。しかしそんな彼の思いはイエス様の次のことばで完全に崩れてしまいました。

 イエス様はこの役人に、「あなたにはまだ一つだけ欠けたものがあります。あなたの持ち物を全部売り払い、貧しい人に分けてやりなさい。そうすればあなたは天に宝を積むことになります。そのうえでわたしについてきなさい。」とイエス様は言われたのです。イエス様はあなたが自分の行いによって永遠のいのちを得ようとするなら、実際に完全な行いをすることによってそれを示してみなさい、と言われているようですね。彼はこれを聞いて「非常に悲しんだ」と書かれています。他の福音書では「悲しんで去って行った」(マタイ19章22節参照)と書かれているんですねえ。

 実は、これが、人間が自分の力で救いを得ようとする限界なんですね。もし自分の行いによって永遠のいのちを受けよう、救いを得よう、とするならそこには必ず失望と悲しみが襲って来るだけだと聖書は教えています。

 パウロという人はエペソ人への手紙2章5節からこう記しています。
あなたがたが救われたのは恵みによるのです。・・・この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」(エペソ人への手紙2章5節、8節、9節)
 そうなんです。永遠のいのちは、それはイエス・キリストを単純に信じる信仰によって得ることができるんですね。

     (PBA制作「世の光」2019.6.7放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。