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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■十戒  自由への励まし -109 偽証してはならない / 大嶋重徳

2019年07月18日 | Weblog
2019/6/13放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒を始めとした聖書のことばは人間を縛りつけるものではなく自由へと導くためのことばなのです。十戒第九戒は「隣人に対し、偽証してはならない。」(申命記 5章20節 新改訳第三版、参照出エジプト記20章16節)です。


 この教えはこの世の中にはびこる偽りの情報に対して毅然としてした姿勢を取ることを示しています。ルターという人は言いました。「誰の感情も害したくない所から、恩恵、金銭、行為、友情に従ってへつらいを弁じ、その結果、貧しい者は事件の真相を押し曲げられて不正とされ、罰せられずには済まないこととなる。」 つまりルターは、「偽りない」という嘘に誘惑される人間の弱さについて語っているのです。友情や人から受けた恩が、あるいはお金のことで助けられた経験が真実を隠してしまうことへ動くことが人にはあるのです。時に、クリスチャンも罪の指摘をするしんどさほ避け、そこに偽りがあっても誰かがそれを指摘するだろうと自分自身がその責任を負うことから逃げてしまいそうになることがあります。

 私たちは真理であることよりも人間関係の方を選ぶことがあるのです。ことさらに和を重んじる日本人の中に偽預言者的体質を帯びやすい傾向があるのかもしれません。もちろん人格を損なうような表現、主張は間違いなくしてはいけません。しかし、誰かがその偽りの情報操作で苦しんでいることを見て見ぬふりをすることは十戒第九戒で禁じていることを容認していることとなるのです。私たちはその犠牲に遭っている人の痛みや悲しみを想像する力を持つことも必要なことです。自分にとって大切な友人が罪を犯したときに、その罪を指摘する事は辛いことです。ましてやその本人がその罪を認めていないときは指摘した事で今まで築いてきた関係が壊れることは想像しやすいことです。見て見ぬふりをしていたい思いに駆られることも私の中でもありました。しかしイエス様は私たちの罪を見て見ぬふりをされることはなかったのです。一時的に人の非難を逃れることができたとしても、神様の前での誠実さを失って生きる人生の悲惨があります。更に終わりの日、神様の御前に立つ日、私たちは神様からその罪を指摘されることよりもその罪をきちんと悔い改めて生きることの方がどれほど大きなことなのでしょうか。

 私は私の罪を愛をもってして指摘してくれた人に今心から感謝をしています。そのような愛をもって互いの誤りの指摘をすることのできる社会の形成を十戒第九戒は望んでいるのです。

    ( PBA制作「世の光」2019.6.13放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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