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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■アイヌ語保存の使命に生きた知里幸恵(ちり ゆきえ)/岩井基雄

2019年07月29日 | Weblog
2019/6/24放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。
 第四週の月曜日は歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでいますが、今日はアイヌ語保存の使命に生きた知里幸恵(ちり ゆきえ)について学んでみましょう。

 アイヌは北海道などに住んでいた日本の先住民族で、歌や踊りに秀でた独特の文化を持っていました。しかし明治期に北海道開拓が始まるとアイヌは土地を追われ、同化政策によって日本人化させられたのです。アイヌ語には文字がありませんでした。日本語教育が進む中、アイヌ語を話せない人々も増え、アイヌ語という民族のよりどころすら失われつつあったのです。

 明治36年にアイヌに生まれた知里幸恵(ちり ゆきえ)は聡明で偉大なアイヌの語り部を祖母に持ち、アイヌ語と日本語を巧みに操れる稀有な存在でした。また当時には珍しいクリスチャンの一族であったことから、幼い頃から差別も受けました。彼女も幼い時に宣教師バチェラーから洗礼を受けています。幸恵はおばが住む旭川で生活するようになり、職業学校在学中、研究で北海道に来た言語学者金田一京助と出会います。そして彼に才能を認められ、幸恵はアイヌの口伝を和文にする作業を始めます。気管支や心臓を患いながらの不安な日々の中、幸恵は神様が与えられた使命を全うしたいと上京し、アイヌ語の保存に尽くしたのです。上京する1ヶ月前、幸恵は同じ教会に通う青年と仮祝言を挙げたばかりでした。東京に出た幸恵は、医者から「結婚は不可。安静にしていれば命は保たれる。」と宣告を受けます。しかし彼女は「私ははっきりと行く手に輝く希望の光明を見た。涙の内から神の大きな愛を認めました。」と語り、その身を神にまかせたのです。アイヌ語の口伝を和文に訳すことは学者への協力ではなく自分にしかできない使命だと幸恵は受け取っていたからです。苦しみの中、最後の力をふりしぼって『アイヌ神謡集』の構成を終えた晩、彼女は19歳の短い地上の生涯を終えました。晩年の彼女の手紙や日記は心の葛藤と共に神を求める祈りに満ちていました。

 聖書のことば
   「人にはおのおの、負うべき自分自身の重荷があるのです。
           新約聖書 ガラテヤ人への手紙 6章5節  新改訳聖書 第三版

 あなたの使命は何でしょうか。

(PBA制作「世の光」 2019.6.24放送でのお話より )
 
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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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