goo blog サービス終了のお知らせ 

 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■嫉妬 / 板倉邦雄

2019年01月08日 | Weblog
2018/11/20放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は男性たちの嫉妬についてお話ししたいのです。
 
 嫉妬と言いますと、まあ平たく言えばヤキモチでしょうか。他の人が自分よりも優れていることに対して羨み妬むことですね。使徒の働き5章の続きです。

 さて、初代のキリスト教会が民衆の尊敬を受けるようになりました。イエス様を信じて仲間に加わる者が男女ともますます多くなってきました。キリストの使徒と呼ばれる弟子たちの人気は高まりました。特に使徒ペテロのそばに病人や汚れた霊に苦しむ人たちが来ると、すべて癒されて行きました。ペテロの陰に当たるだけで癒されていったのです。それを目撃した神殿の大祭司と彼ら宗教指導者たちは使徒たちに対して羨み妬みの思いで心が一杯になってしまいました。

 私たちの嫉妬の心はいつも自分と人と比べてばかりいるところに起こってきますねえ。自分よりも劣っている人を見ると優越感に満たされます。しかし自分よりも優れている人を見ると劣等感に落ちてヤキモチで満たされるのです。私たちは温度計のように上がったり下がったりする毎日を過ごしてしまうのですね。

 では、どうしたら嫉妬の心から開放されるのでしょうか。それは人を見ないで天の神様を見ることです。そして神様の目を持って自分を見、また人を見ることではないでしょうか。高いビルの上から地上を見れば人と比べる必要はありません。

 さて、嫉妬に狂った宗教指導者たちは使徒たちを手にかけて捕え、公共の留置所に入れてしまいました。嫉妬や妬みは悪い行動へと私たちを駆り立ててゆくのです。

 ところが夜、主なる神様の使いが留置場の扉を開いて使徒たちを連れ出しました。そして御使いはこう言いました。
 「さあ行きなさい。そして神殿の庭に立ってキリストのいのちのことばをもれなく人々に語りなさい。」

 使徒たちは人を恐れることなく、夜明けと共に神殿の庭に立ってキリストの教えを始めました。

 聖書のことばです。
 「人を恐れると罠にかかる。しかし、【主】(神)に信頼する者は高い所にかくまわれる。
     箴言 29章25節

  (PBA制作「世の光」2018.11.20放送でのお話より )

***

このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

***

東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

***

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■エパタ、開かれよ / 岩井基雄

2019年01月07日 | Weblog
2018/11/19放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。第三週の月曜日はマルコの福音書から学んでいます。

 私たちはみんな何らかの不自由さを抱えていますね。身体や心の不自由さや偏り、また止めるべきことを止められない不自由さもあります。あなたはいかがでしょうか。

 再びガリラヤ湖畔緒に戻られたキリストの所に、耳にもことばにも不自由さを抱える人が連れて来られました。当時のイスラエルで痛みを伴う不自由さを抱え人々の愛にも渇いたこの人は、他の人の配慮によってキリストの前に運ばれてきたのです。聖書はこう語っています。

 「人々は、耳が聞こえず口のきけない人を連れて来て、彼の上に手を置いてくださいと懇願した。そこで、イエスはその人だけを群衆の中から連れ出し、ご自分の指を彼の両耳に入れ、それから唾を付けてその舌にさわられた。そして天を見上げ、深く息をして、その人に「エパタ」、すなわち「開け」と言われた。すると、すぐに彼の耳が開き、舌のもつれが解け、はっきりと話せるようになった。
        新約聖書 マルコの福音書 7章32節から35節 (新改訳2017)

 キリストは彼を群衆の中から連れ出されました。そして彼の両耳に指を差し入れ、つばきをつけてその舌に触られ、天を仰ぎ、深く息をされました。この深い息は深いうめきを表します。キリストは不自由さを抱えてきた彼のうめきをご自分のものとされたのです。キリストは彼を一対一の交わりに招き、彼が感じることができるよう指を彼の耳に入れ、ご自分のつばきで渇ききった彼の舌に潤いを与えられたのです。不自由さと悲しみを抱えてその歩みを重ねてきた彼にとってそれはどれほど暖かな、また心を潤される時だったでしょうか。そしてキリストは彼に語られました。「エパタ」すなわち「開け。開かれよ。」と。それは解き放たれよという意味がありました。何かに縛られ閉じ込められていた彼に向かってキリストは「解き放たれよ。」と命じられ、その通りになったのです。それは全善人格的な解放と癒しでした。

 私たちの頑な心、不自由さを抱え何かに閉じ込められていた私たちに対してもキリストは語られます。「エパタ」「開かれよ」「解き放たれよ」と。キリストにあってこそ本当の自由が与えられるのです。あなたもこの自由と恵みを豊かに受け取っていきませんか。キリストはあなたを愛し、待っておられるのです。

 (PBA制作「世の光」 2018.11.19放送でのお話より )
 
***

このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。。携帯からもこのURLでどうぞ。

***

東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

***




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■古い契約から新しい契約へ / 羽鳥頼和

2019年01月05日 | Weblog
2018/11/17放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
今日は新約聖書コリント人への手紙第二3章から古い契約と新しい契約についてお話しします。

  3章14節はこのように語っています。
 「 古い契約が朗読されるときには、・・・覆いが掛けられたままで、取りのけられていません。それはキリストによって取り除かれるものだからです。

 古い契約とは律法のことです。律法は神から与えられた守り行うべき教えです。ところが律法の朗読がされる時、それを聞く人々は律法を正しく理解できず、律法を守り行うことができませんでした。ですから、古い契約である律法は人を罪に定めるだけで人を救うことはできませんでした。

 しかし古い契約に代わる新しい契約がキリストによって与えられました。新しい契約とはキリストの十字架です。キリストがすべての人の身代わりとなって罪を負って死んでくださったのです。このキリストの十字架を信じることが新しい契約を結ぶことになります。

 この新しい契約については旧約聖書のエレミヤ書で既に予言されていました。
 「見よ、その時代が来る・・・。そのとき、わたしはイスラエルの家およびユダの家と、新しい契約を結ぶ。・・・わたしが・・・結ぶ契約はこうである・・・わたしは、わたしの律法を彼らのただ中に置き、彼らの心にこれを書き記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」(エレミヤ書 31章31節、33節抜粋)

 神が律法を心に書き記すとは、その人が律法を守り行うことができるようにするという約束です。新しい契約は人に神の教えである律法を守ることができるようにします。そしてコリント人への手紙は、律法を守り行うことができると共に、その人はキリストと同じ姿に変えられると教えています。キリストはその生涯に於いて神の教えである律法を守り行なった唯一のお方です。キリストを信じる者はそのキリストのようになると約束されています。

 明日は日曜日です。お近くのキリスト教会にぜひいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2018.11.17放送でのお話より )
 
***

このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。。携帯からもこのURLでどうぞ。

***

東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

***




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■イエスの目的 / 関根弘興

2019年01月04日 | Weblog
2018/11/16放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

  今月は聖書中の聖書と呼ばれている新約聖書ヨハネの福音書3章16節のことばを紹介しています。
 「 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

  このことばには聖書が伝える素晴らしいメッセージが凝縮されています。それはあなたは神様に愛されているという事実です。しかし人間の姿は、神様のその愛に背を向け迷い失い自分を浪費し破壊しているような滅びの中にある、と聖書は教えているんです。ですから私たちには救い主が必要なんですね。

 神様は私たちを救うために救い主イエス・キリストをお与えくださいました。イエス・キリストは神である方なのに私たちと同じ人となってきてくださいました。なぜでしょうか。

 第一は、神様がどのような方であるかを知らせるためです。イエス様は「わたしを見た者は父を見たのです」と言われました。私たちはイエス様を見、イエス様のことばを聞くことによって神様がどのような方であるかを知ることができるんです。

 そして第二は、人としての本来の生き方を教えるためにイエス様は来てくださいました。イエス様と私たち、それは一つだけ違うところがあります。それはイエス様だけは全く罪がなく、罪を犯されませんでした。そしてまことの愛を実践しておられたことです。私たちはそのイエス様の姿を学ぶことによって、人がどのように生きていけばいいのか、本来の生き方を知ることができるんですね。

 そして第三に、すべての人の身代わりに罪の罰を受けるために来てくださったということです。罪のないイエス・キリストが私たちの罪をすべて背負って十字架で罪の罰と呪いを受けてくださいました。神様は聖なる正しい方ですからどんな罪も正しく裁く必要があります。本来、私たちが自分の罪のために死んで滅びるべき存在でした。しかしイエス様が私たちの身代わりとなってご自分のいのちを差し出してくださったのです。私たちが神様を無視して自分勝手な生き方をしていたにもかかわらず、イエス様が私たちの代りに十字架にかかってすべての罪の赦しの道を開いてくださいました。イエス・キリストの愛はあなたのためにいのちを捨てるほどの大きな愛なんですね。

     (PBA制作「世の光」2018.11.16放送でのお話しより)

***

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■十戒 -自由への励まし85- 姦淫してはならない / 大嶋重徳

2019年01月03日 | Weblog
2018/11/15放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。
 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒をはじめとした聖書のことばは人間を縛りつけるものではなく、自由へと導くためのことばなのです。十戒第七戒には「姦淫してはならない。」(出エジプト記20章14節 新改訳2017)とあります。

 この戒めは結婚外の誰かと性的な関係を持つことを禁止する戒めです。しかし第7戒は単に姦淫さえ犯さなければそれで良いと言っているのでありません。姦淫してはならないという戒めはむしろ私たちに祝福された夫婦の性生活に生きるように招いています。罪と堕落の中に汚された性ではなく、喜びと感謝と主への賛美に満ちた性の喜びがあることを聖書は大胆に旧約聖書の雅歌においても語ります。律法主義的な金欲の世界ではありません。性的なものは汚らわしい次元の低いものでもありません。聖書が語り励まし促す事は「あなたの若いときからの妻と喜び楽しめ。」(箴言5章18節)と夫婦の性的な関係も喜び楽しむことなのです。

 しかし、世の中の風潮は夫婦における性のテーマを話題にするのも恥ずかしいような態度をとられることがあります。そして特にキリスト者の男性たちは、聖書が示す結婚前の身体の関係を禁じられていることによって、他の誰にも相談できず自分の性欲をどのように捉えればよいか分からずに苦しんできたと言って良いでしょう。結婚するその時まで敗北の歴史を重ね続けてきたのです。

 あるカップルが我が家に来てこう言ってくれた事が忘れられません。
「夫婦で初めてから身体の関係を持った時に、今まで自分がずうーと敗北感を覚え、また恥ずかしさを感じ隠してきた部分を妻がさばくことなく、見下すことなく大切に受け入れてくれる時に、自分はこの世界に自分の居場所を得ることができました。」

 正直な男性のことばであると思います。外で弱さを見せる事の下手な男性たちにとって世の中は戦いの連続です。信仰の戦いもまたいつも敗北の連続です。しかし夫婦における性の豊かさを神様が備えていてくださるとき、自分はここにいても良いんだという安心感を得ることができるのです。

 聖書は夫婦の性的な関係を「知る」と表現しています。ここには愛されることで知ってもらえる喜びがあり、愛する人を知ることのできる喜びがあるのです。そしてこの愛は、もう自分以外の他の誰かに向けられないという安心があるのです。

 第七戒は神様が与えられた愛の豊かさ暖かさに生きて行くように神様が召し出されているご計画なのです。


    ( PBA制作「世の光」2018.11.15放送でのお話しより )

******


さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


******
このサイトは URL名として  http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■平和の契約を与える / 福井 誠

2019年01月02日 | Weblog
2018/11/14放送


世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「平和の契約を与える」です。民数記25章12節から読んでみましょう。
見よ、わたしは彼にわたしの平和の契約を与える。

 イスラエルの民は約束の地パレスチナを目指して荒野を旅していました。しかしその数約200万とも言われますから、その通り道となった国々の王も人々も、この民族の大移動に脅威を感じたであろうことはよく分ることです。実際このイスラエルの民が自分たちの国の近隣に住みついて、自分たちの存在を脅かすようになるのではないかと心配する国々がありました。モアブもそれらの国々の一つでした。

 モアブの王バラクは最初、預言者バラムを雇ってイスラエルを呪わせようとしました。当時、預言者による呪いは致命的な危機をもたらすものと信じられていたのです。しかし、預言者バラムの行動は呪うのではなく祝福を語るという結果に終わってしまいました。イスラエルは神に選ばれ愛されている民、祝福される民であるとモアブの人々に再認識されるような出来事でした。

 ところがモアブの心配をよそに、イスラエルの民は神に祝福を約束され愛されながらも、今度は自らモアブの女性たちと淫らなことをして堕落していくのです。何とモアブの王が心配するまでもなかったということでしょうか。イスラエルの民は自ら自滅していくのではないかと思われるような事態になりました。

 そこに祭司アロンの子エルアザルの子ピネハスが登場し、この堕落を食い止めます。神はピネハスの神に対する直ぐな信仰と勇気を評価して平和の契約を交わしています。

 旧約聖書にはいくつかの記憶されるべき契約があります。アダム、ノア、アブラハムと神は契約を結びましたが、神がここでピネハスと結んだ契約の特徴は、ピネハスと彼の子孫が永遠に祭司職とされる契約です。ピネハスは祭司としての職務に忠実で、イスラエル人を滅びから救いだしたことを評価されて、永遠の祝福の約束を与えられたのですねえ。神に忠実であることを大事にすべきことを教えられるエピソードです。時代がどのようであれ、目に見えない神にまっすぐに心を向け、正しいことを行う人生の報いは大きいと考えて歩みたいものですね。

 (PBA制作「世の光」2018.11.14放送でのお話より )

******

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

******

このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■似たもの夫婦 / 板倉邦雄

2019年01月01日 | Weblog
2018/11/6放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は「似たもの夫婦」という題でお話ししましょう。
 夫婦はいつも一緒にいますから良い面でも悪い面でも似た者夫婦になるようですねえ。使徒の働き5章の続きです。

 さて、アナニヤの妻サッピラはまさか夫が死んで葬られた出来事を知らずに教会へ入ってきました。使徒ペテロはサッピラ夫人にこう尋ねました。「あなたがたは地所をこの値段で売ったのですか? 私に言ってください。」 妻のサッピラは、「はい。その値段です。」と白々しく嘘の答えを言ったのです。そこでペテロはサッピラ夫人に言いました。「どうしてあなたがたは心を合わせて主の御霊を試みたのですか。見なさい。あなたの夫を葬った者たちが戸口に来ていて、あなたをも運び出します。」 するとサッピラ夫人はたちまちペテロの足元に倒れ、息が絶えたのです。戸口から入ってきた青年たちは彼女が死んだのを見て、教会全体とこのことを聞いたすべての人たちとに非常な恐れが生じました。

 聖書に次のようなことばがあります。
 「人は外の顔かたちを見る。しかし、主(神)は心を見る。」(サムエル記第一 16章7節参照)

 私たちは人の外側しか見ることができません。アナニヤとサッピラ夫妻の外側のことだけを見たら素晴らしい善行ではないでしょうか。自分の資産である土地を売ってその代金を教会へ献金したからです。素晴らしい信仰の持ち主です。しかしその心は偽善に満ちていました。偽善とは仮面をかぶって演技するということです。イエス様が最も忌み嫌われたのはこの偽善ではないでしょうか。

 偽善者には災いが来る、とイエス様は言い切りました。「災いが来ますぞ。偽善な人たち。あなたがたは杯や皿の外側はきよめるがその中は強欲と放縦で一杯です。まず杯の内側をきよめなさい。そうすれば外側もきよくなります。」(マタイの福音書 23章25節、26節参照)

 いつも心を見ておられる神様に心をきよめていただき、外なるからだの言動もきよめていただきましょう。


  (PBA制作「世の光」2018.11.6放送でのお話より )

***

このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

***

東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

***

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする