♪ラジオ放送・文字版「世の光」

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「世の光」を文字で 

■エパタ、開かれよ / 岩井基雄

2019年01月07日 | Weblog
2018/11/19放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。第三週の月曜日はマルコの福音書から学んでいます。

 私たちはみんな何らかの不自由さを抱えていますね。身体や心の不自由さや偏り、また止めるべきことを止められない不自由さもあります。あなたはいかがでしょうか。

 再びガリラヤ湖畔緒に戻られたキリストの所に、耳にもことばにも不自由さを抱える人が連れて来られました。当時のイスラエルで痛みを伴う不自由さを抱え人々の愛にも渇いたこの人は、他の人の配慮によってキリストの前に運ばれてきたのです。聖書はこう語っています。

 「人々は、耳が聞こえず口のきけない人を連れて来て、彼の上に手を置いてくださいと懇願した。そこで、イエスはその人だけを群衆の中から連れ出し、ご自分の指を彼の両耳に入れ、それから唾を付けてその舌にさわられた。そして天を見上げ、深く息をして、その人に「エパタ」、すなわち「開け」と言われた。すると、すぐに彼の耳が開き、舌のもつれが解け、はっきりと話せるようになった。
        新約聖書 マルコの福音書 7章32節から35節 (新改訳2017)

 キリストは彼を群衆の中から連れ出されました。そして彼の両耳に指を差し入れ、つばきをつけてその舌に触られ、天を仰ぎ、深く息をされました。この深い息は深いうめきを表します。キリストは不自由さを抱えてきた彼のうめきをご自分のものとされたのです。キリストは彼を一対一の交わりに招き、彼が感じることができるよう指を彼の耳に入れ、ご自分のつばきで渇ききった彼の舌に潤いを与えられたのです。不自由さと悲しみを抱えてその歩みを重ねてきた彼にとってそれはどれほど暖かな、また心を潤される時だったでしょうか。そしてキリストは彼に語られました。「エパタ」すなわち「開け。開かれよ。」と。それは解き放たれよという意味がありました。何かに縛られ閉じ込められていた彼に向かってキリストは「解き放たれよ。」と命じられ、その通りになったのです。それは全善人格的な解放と癒しでした。

 私たちの頑な心、不自由さを抱え何かに閉じ込められていた私たちに対してもキリストは語られます。「エパタ」「開かれよ」「解き放たれよ」と。キリストにあってこそ本当の自由が与えられるのです。あなたもこの自由と恵みを豊かに受け取っていきませんか。キリストはあなたを愛し、待っておられるのです。

 (PBA制作「世の光」 2018.11.19放送でのお話より )
 
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