♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して66年の
「世の光」を文字で 

■びっくりぽんの愛を貫いた 広岡浅子 / 岩井基雄

2018年12月03日 | Weblog
2018/10/29放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。
 最終週の月曜日は歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでいますが、今日はびっくりぽんの愛を貫いた広岡浅子について学んでみましょう。

 2015年、NHK 朝の連続テレビ小説「あさが来た」のモデルでもあった広岡浅子は1849年京都の出水三井家の四女として誕生します。女性らしく、と学ばせられた和歌や書道、茶華道などは大嫌い。反骨心旺盛だった浅子は、「女子も人間です。人間は学問をしなければなりません。」と両親にも語り、学ぶ機会が与えられました。しかし朝子は17歳で広岡信五郎と結婚します。広尾家は現在の大同生命保険の創業家でした。結婚した浅子は大同生命保険会社設立に大きく寄与して行きます。夫信五郎の死後はあっさりと家督を譲ったあっぱれな女性でした。

 浅子の生涯で特筆すべきは47才の時、先週学んだ成瀬仁蔵との出会いでした。クリスチャンである成瀬が記した『女子教育』は女性実業家として苦労も多かった浅子の心を捕えます。そして成瀬と共に日本女子大学の創設に尽力し、浅子53才の春に大学が開校してからは第二の青春を開花させ、頻繁に上京して勉学に励んだのです。しかし61才で乳癌を患った浅子は、63才で大阪教会の宮川牧師により洗礼を受けます。その時一緒に洗礼を受けたのは小さな子どもたちでした。子どもたちと一緒に洗礼を受けるということは砕かれた浅子の姿勢をも表していたようです。その後は伝道活動に奔走し、若い女性のための働きとして日本YWCAの委員や大阪支部の創立準備委員長として活躍します。何事も全力投球でした。全力で女性の地位向上のために尽くしたのです。浅子のペンネームは「九転十起生」でした。七転び八起きというなら自分は九回転んでも十回起きあがる人間になろう、とどんな中でも神様に信頼し、弱い立場の人々を愛し、神様と共に歩む人生を歩み抜いたのです。

 聖書ことば
 「彼は死にましたが、その信仰によって今もなお語っています。
        新約聖書ヘブル人への手紙11章4節

 私たちもまた神様と共に愛の人生を歩ませていただきましょう。 

 (PBA制作「世の光」 2018.10.29放送でのお話より )
 
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