2018/11/3放送
世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
今日は旧約聖書箴言14章から、主なる神を恐れることについて教えられましょう。
まず箴言14章の26節、27節をお読みします。
「力ある拠り所は主を恐れることにあり、それは主の子らの避け所となる。主を恐れることはいのちの泉、死の罠から離れさせる。」
最初に出てくる「力ある拠り所」の「拠り所」とは元の言語では「信頼」という意味のことばです。ですから最初の部分を直訳すると、「主を恐れることに強い信頼がある」というふうになります。もう少し分りやすく言うと、「主を恐れることはその人のうちで神への強い信頼となる。」ということだと思います。
この「信頼」という言葉をわざわざ「拠り所」と訳しているのには理由があります。この26節の後半で、「避け所」という言葉が出てきます。主を恐れることが避け所・避難所である、と言われています。
箴言は詩文です。詩的表現の工夫として、「避け所」に対して「拠り所」と訳しているのだと思います。主を恐れることは力ある拠り所でありまた避け所です。
続く27節は、「主を恐れることはいのちの泉、死の罠から離れさせる。」と語っています。主を恐れることはその人を死の罠から遠ざけて永遠の命を与えます。
前の26節もこの27節も、主を恐れることがテーマです。この二つの節を、主を恐れることに注目して言い換えるとこうなるのではないでしょうか。「主を恐れることは力ある拠り所であり、そこにはいのちの泉がある。そして主を恐れることは避け所であり、そこに行けば死の罠から離れることができる。」
主を恐れることは怖がって神から離れることではありません。主を恐れるとは主を信頼し、主に従うことです。主を信頼し、主からいのちをいただきましょう。
明日は日曜日です。お近くのキリスト教会にいらしてください。
(PBA制作「世の光」 2018.11.3放送でのお話より )
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このサイトは URL名として
http://yonohikari.biblica.info
が使えます。。携帯からもこのURLでどうぞ。
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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ
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世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
今日は旧約聖書箴言14章から、主なる神を恐れることについて教えられましょう。
まず箴言14章の26節、27節をお読みします。
「力ある拠り所は主を恐れることにあり、それは主の子らの避け所となる。主を恐れることはいのちの泉、死の罠から離れさせる。」
最初に出てくる「力ある拠り所」の「拠り所」とは元の言語では「信頼」という意味のことばです。ですから最初の部分を直訳すると、「主を恐れることに強い信頼がある」というふうになります。もう少し分りやすく言うと、「主を恐れることはその人のうちで神への強い信頼となる。」ということだと思います。
この「信頼」という言葉をわざわざ「拠り所」と訳しているのには理由があります。この26節の後半で、「避け所」という言葉が出てきます。主を恐れることが避け所・避難所である、と言われています。
箴言は詩文です。詩的表現の工夫として、「避け所」に対して「拠り所」と訳しているのだと思います。主を恐れることは力ある拠り所でありまた避け所です。
続く27節は、「主を恐れることはいのちの泉、死の罠から離れさせる。」と語っています。主を恐れることはその人を死の罠から遠ざけて永遠の命を与えます。
前の26節もこの27節も、主を恐れることがテーマです。この二つの節を、主を恐れることに注目して言い換えるとこうなるのではないでしょうか。「主を恐れることは力ある拠り所であり、そこにはいのちの泉がある。そして主を恐れることは避け所であり、そこに行けば死の罠から離れることができる。」
主を恐れることは怖がって神から離れることではありません。主を恐れるとは主を信頼し、主に従うことです。主を信頼し、主からいのちをいただきましょう。
明日は日曜日です。お近くのキリスト教会にいらしてください。
(PBA制作「世の光」 2018.11.3放送でのお話より )
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このサイトは URL名として
http://yonohikari.biblica.info
が使えます。。携帯からもこのURLでどうぞ。
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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ
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