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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■主に祈った / 福井 誠

2018年09月26日 | Weblog
2018/8/22放送


世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「主に祈った」です。 出エジプト記8章30節から読んでみましょう。
モーセはファラオのもとから出て行って、主に祈った。」(新改訳2017)

 先週もお話ししましたが、イスラエルがいざエジプトの国を出て行こうとすると、エジプトの王はそれを阻止しようとしました。そこに神は様々な災いを送られ、エジプトの王が困り果ててイスラエルの奴隷を手放すようにし向けていくのです。しかもその災いは、エジプトの王にイスラエルを諦めさせるための神の嫌がらせではなく、意味のある災いでした。

 たとえばエジプト人の家にはナイル川のカエルが群がり、死に絶え、山と積み上げられてその腐敗臭に悩まされる災いが起こりましたが、エジプトでカエルは豊穣のシンボル・女神ヘクトとして崇められていたものです。たくさんの女神ヘクトが死骸となって積み上げられ腐敗臭を放っているのですから、それはエジプト人が間違ったものを信じていることを明らかにし、まことの神はこの災いを起こされたイスラエルの神だけであることを教え諭していたのです。

 またアブがエジプト人に襲いかかる災いでも、アブは太陽神の象徴である特殊なカブト虫を意味していたと言われます。つまりエジプト最強の神である太陽神も、イスラエルの神によって操られ、無力な存在であることを示していたのです。

 こうしてエジプト人が追求していたエジプトの神が無力なただの偶像であることがエジプト人に思い知らされていきます。日本人も多くのものを神としています。しかし、果たしてそれらの神は本当に私たちが信頼し、祈るべき存在なのかを考えてみたいところではないでしょうか。日本人の約70%は御利益信仰的な宗教心を持っていると言います。つまり信仰の対象は余り問わず、信じる態度を大事にし、信じるものが何であれ、うやうやしく信じていれば何か御利益があると考えているという訳です。しかし信仰においては信じる態度のみならず、何を信じているかという信仰の対象も大事でしょう。木や石でできた偶像ではなくて、確かにいのちを与えるまことの神にこそ心を開いて祈っていきたいものですね。

(PBA制作「世の光」2018.8.22放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 

 
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