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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■今日も、明日も、次の日も / 山中直義

2013年01月08日 | Weblog
2013/1/8放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、山中直義です。

 あなたを愛する神様の思いは、何があってもどんな時にも変わることはない、聖書はそう教えています。今日は新約聖書ルカの福音書13章31節から35節のことばを通して「今日も、明日も、次の日も」と題してお話をさせて頂きます。

 十字架にかかるためエルサレムへの旅を続けるイエス・キリストのもとに宗教家たちがやってきてこう言いました。「ここから出てほかの所へ行きなさい。ヘロデがあなたを殺そうと思っています。」(31節) このままな歩みを続けていればいずれ大変なことになる、殺されることになるだろう、と警告がなされました。しかしイエス・キリストはこう言われました。「よく見なさい。わたしは、きょうと、あすとは、悪霊どもを追い出し、病人をいやし、三日目に全うされます。だが、わたしは、きょうもあすも次の日も進んで行かなければなりません。なぜなら、預言者がエルサレム以外の所で死ぬことはありえないからです。」(32、33節) たとえ殺されることに成ったとしてもわたしはこの生き方を変えることはしない、イエス・キリストはそう言われました。悪霊を追い出し、病人を癒している間は人々は喜び、このイエス・キリストを歓迎しました。しかしイエス様が人の罪を明らかにし、さばきを警告なさった時、人々はイエス・キリストを疎(うと)んじ拒絶するようになっていった、と聖書は言います。そしてその後、人々は本当にあのイエス・キリストをエルサレムで十字架につけてしまいました。しかしたとえ殺されるほど憎まれたとしてもわたしは人を愛することをやめたりはしない、十字架にかかり人に救いを与えるのだ、とイエス・キリストは言われました。

 イエス・キリストの愛は何があってもどんな時も変わることはない、と聖書は教えています。ひどい事をしたから、随分と神様から離れているから、だから諦めなければならないと言うことは決してない、と聖書は言います。

 ヘブル書にこんなことばがあります。
 「イエス・キリストは昨日も今日もいつまでも同じです。

 十字架にかかるほどに私たちを愛してくださったイエス・キリストは今も生きておられ、同じ愛であなたを愛し続けている、聖書はそう教えています。どうぞあなたもそのイエス・キリストに心を開いてくださいますように。

(PBA制作「世の光」2013.1.8放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


****** このサイトは URL名として  http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 

 

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■求める者は与えられる / 関根弘興

2013年01月07日 | Weblog
2013/1/7放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 ヨハネの福音書1章を読みますと、ピリポという人の友人でナタナエルという人が登場します。ま、彼は友人であるピリポがイエス様と出会って「旧約聖書の中で預言されている救い主についに出会うことができた!、それはナザレの人でヨセフの子イエスと言う方だ」とナタナエルに告げたんです。 するとナタナエルは「お前、馬鹿なこというな。救い主があのナザレから出るはずがないじゃないか!」と即座に懐疑的な反応を示したんですね。 しかしピリポは「とにかくイエス様の所に行きましょう。」と彼をイエス様のもとに連れて行きました。 するとイエス様はこのナタナエルにこんな事をおっしゃったんです。 「これこそ本当のイスラエル人だ。彼の内には偽りが無い!」 いやあこれはちょっと誉めすぎではありませんかねえ。 ピリポをばかにしてそしてイエス様に対しては懐疑的な見方をした男に対しては評価が高すぎるのではないでしょうか。 しかしイエス様はナタナエルが心から真実を求めている求道者であると言うことを知っておられました。 そしてイエス様は「わたしはピリポがあなたを呼ぶ前にあなたがいちじくの木の下にいるのを見たのです。」と言われたんです。 するとナタナエルは「あなたこそ神の子です!」と態度を180度変えてイエス様を救い主として認めていったんです。何とも不思議な光景、会話ですよね。

 実はいちじくの木はユダヤ人にとっては平和と静けさの象徴でした。またいちじくの木の葉が茂って日陰を作るわけですけど、その木の下に座って黙想する習慣があったそうです。ですからナタナエルもいちじくの木の下で人生の意味や救い主のことについて思いを馳せ祈っていたのかもしれませんね。イエス様が「あなたがいちじくの木の下にいるのを見た。」とおっしゃったのは、いちじくの木の下で昼寝をして休んでるナタナエルの姿を見たと言うのではなく、このナタナエルが熱心に真理を探し求めていることを知っていたと言うことです。

 ナタナエルはそのイエス様のことばを聞いて、この方は私の真理を求める思いや願いをすべて読み取り理解しておられる方だと悟りました。イエス様は真剣に真実を求める者に対して決してそのままにしてお方ではありません。イエス様は救いを求める者の近くにいてくださるんです。あなたのことをちゃんと知っていてくださる方なんですね。

 イエス様は言われます。「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。」(マタイの福音書 7章7、8節)

(PBA制作「世の光」2013.1.7放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。

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世の光/さわやか世の光/ジェネレーションXの東海地方での放送に協力してくださるキリスト教会・キリスト者の皆様の献金は、

  郵便振替 00890-3-111071 東海福音放送協力会   まで

  お問い合わせは、
  電話 052-762-2196 (自由ケ丘キリスト教会内)  東海福音放送協力会 へ
 

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■罪はあなたを恋い慕う / 羽鳥頼和

2013年01月05日 | Weblog
2013/1/5放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。

 旧約聖書の創世記4章には人類最初の殺人のことが語られています。アダムとエバの子であるカインが自分の弟であるアベルを殺してしまったのです。カインの親であるアダムとエバは神様の命令を破って、エデンの園から追放されました。そしてその子カインは人殺しの罪を犯したのです。人とは何と罪深いのでしょう。

 この出来事から着想を得た小説があります。有島武郎(ありしま たけお)の『カインの末裔』、ジョン・スタインベックの『エデンの東』がそれです。それはこの実際に起こった出来事の中に人間の本質的な問題を見ることができるからでしょう。

 今日はこのカインの犯した罪についてお話しします。カインとアベルはそれぞれ神様に捧げ物をしました。カインは自分が良いと思うものを神様に捧げました。アベルは自分のものの中から最も良いものを神様に捧げました。神様はアベルの捧げ物に目を留められましたが、カインの捧げ物には目を留められませんでした。それでカインはひどく怒りました。そしてその憤りは弟のアベルに向かって燃え上がりました。カインはアベルを呼び出して野原に連れて行き、何と自分の弟アベルを殺してしまったのです。

 神様は罪を犯す前にカインに忠告されました。
 「なぜ、あなたは憤っているのか。・・・あなたが正しく行なったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行なっていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」(創世記 4章6-7節)と。
 神様はカインに、怒りの感情をコントロールして罪の誘惑に陥らないようにしなければならない、と教えられたのです。

 しかしカインは怒りに任せて弟のアベルを妬み、そして憎み、殺してしまったのです。カインは神様の忠告をしっかり聞くべきでした。しかし怒りの気持ちは神様の忠告を聞けなくしてしまったのです。

 カインの殺人を記している創世記4章の最後にアダムの三人目の子セツの子孫たちが主の御名によって祈る事を始めたことが記されています。聖書は怒りやすい私たちに神様に祈ることを教えているのです。私たちは祈りましょう。特に怒りの心が湧き上がってきた時、神様に祈りましょう。神様は私たちを罪の誘惑から守ってくださいます。

 明日は日曜日です。ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」2013.1.5放送でのお話より )

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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■朝ごとに新しい、主のあわれみ / 岩井基雄

2013年01月04日 | Weblog
2013/1/4放送

 世の光の時間です。明けましおめでとうございます。岩井基雄です。

 新しい年が始まりましたね。三が日を終え少しずつ通常の生活に戻る準備をされている方もいらっしゃるでしょうか。この新しい年も皆様とご一緒に聖書から神様の愛と真理を学びそして味わえることを心から感謝しています。どうぞ今年もよろしくお願いします。

 新しい年が始まると朝の輝きがとてもまぶしく感じることがありますねえ。心に心配事や悲しみを抱えている時は余計にそう感じることがあるかもしれません。神様が創造された世界は本当に不思議ですね。

 旧約聖書の時代にも悲しみは数多くありました。その中でもイスラエルの民にとって自分たちの国や神の神殿があるエルサレムが敵の国によって滅ぼされる様を目の当たりすることは大きな痛みであり悲しみでした。しかしその状況の中でも聖書記者は朝の輝きの中に新しい神様の恵み憐れみを見つめていたのです。

 次のような聖書のことばがあります。
 「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。『あなたの真実は力強い。主こそ、私の受ける分です。』と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。
 旧約聖書 哀歌 3章22節から24節

 ここでは悲しみと苦痛の状況の只中にあっても神様の恵みによって自分たちが生かされ守られ滅び失せていかないというその恵みが語られています。たとえ国が滅び、敵の国に捕虜として連れて行かれるような艱難が降りかかることがあったとしても、そこにも神様の不思議な恵みと憐れみがあり、その恵みと憐れみは朝ごとに新しくされ、力強く自分達に届けられている、と言うのですね。それゆえこの作者は神様の真実の力強さと神ご自身をこそ祝福として受け取ることを告白し神様を待ち望むことができるのです。

 神様の恵みと憐れみを覚えて歩む人生は苦難の中でも何と平安と力に満ちているのでしょうか。この神様の愛と憐れみはあなたにも豊かに注がれているです。あなたのこの真の勝利、永遠のいのちを受ける人生を歩み始めませんか?

(PBA制作「世の光」2013.1.4放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■よくやった / 福井 誠

2013年01月03日 | Weblog
2013/1/3放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブルメッセージは「よくやった」です。それではマタイの福音書25章21節から読んでみましょう。
 「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。

 先週は、備えあれば憂いなし、神がいつ天に召されても良いように日頃から良き備えをしましょう、というお話をしました。今日はその良き備えが何であるかということについてもう少しお話ししたいと思います。

 先週も触れたことですが、一つは悔い改めてイエス様に罪を赦されて新しい人にしていただくことですねえ。ニコデモという人はイエス様に、誰でも新しく生まれなければ神の国を見ることはできない、と言われています。今このまま皆が天国に行くことがあればそこは天国なんかではなくてこの世の延長です。やはりどこかで私たちは新しく生まれて新しい人にならなくてはいけませんね。神様の前に素直に悔い改めて神様に新しい命を授けていただく必要があるのです。

 それからもう一つ、新しい人になったら新しい人生を積極的に生きていくことです。ここでイエス様がお話された喩えというのは、基本的に私たちには神様からの賜物が与えられている、と言うことです。何もできないように見える人でも神様は一人ひとりに賜物と使命を与えられています。それを活用して天の御国に入る準備をして行きなさいと言うことですね。

 それでイエス様のお話の中では自分の賜物が何であるかということをよく理解してそれを一生懸命生かして働いた人とそうでない人が出て来る訳です。一生懸命生かして働いた人は神様に、よくやった、とお誉めのことばを頂きます。しかしそうでない人は、怠け者の悪いしもべだ、とおしかりを受けるわけですねえ。やはり私たちに新しい命を与えて天の御国の祝福を与えてくださるお方の前に、何も人生の実を持つこともなく立ってしまう不名誉なことが無いように、今年も良い働きをさせて頂きたいものですね。

(PBA制作「世の光」2013.1.3放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■嫁にふさわしい娘 / 板倉邦雄

2013年01月02日 | Weblog
2013/1/2放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしですか、板倉邦雄です。
 今日は「嫁にふさわしい娘」という題でお話ししましょう。

 自分の息子や娘に代わって婚活をしている両親たちがいるそうですね。テレビの特集番組で見ました。嫁に相応しい娘、娘の夫に相応しい男性を探しているのです。

 主人アブラハムのしもべもご主人様の息子イサクのため相応しい娘を探していました。創世記24章の続きです。

 まず、嫁に相応しい娘は男を知らない処女であったと書いてあります。複数の男性遍歴があったり不特定多数の男性と関係のある女性は親としては自分の息子の嫁としては相応しくないでしょうねえ。

 次に、嫁にふさわしい娘は親切な人ではないでしょうか。しもべが「水を飲ませてください。」とお願いしますと、「どうぞ。」と言って飲ませただけではありません。「あなたのラクダにも飲ませましょう。」という親切な心の持ち主でした。

 更にラクダ全頭に飲ませるためには、彼女は急いで何度も井戸まで水を汲みに走ったのです。そしてすべてのラクダのために水を汲みました。ですから、第三に嫁にふさわしい娘は働き者ではないでしょうか。

 聖書にはこのように書いてあります。
だれが賢い妻を見つけることができるか、彼女は宝石よりもすぐれて尊い。
彼女は家の事をよくかえりみ、怠りのかてを食べることをしない。」 箴言の31章の10節と27節です。

 さてラクダが水を飲み終わった時、しもべは贈り物を手に持つと女性に尋ねました。「あなたは誰の娘か。あなたの家に私たちの泊まる場所がありますか?」 娘は答えました。「私はナホルの妻ミルカの子どもベトエルという父の娘でリベカと言います。私どもにはわらも飼い葉も沢山あり、泊まる場所もあります。」 それを聞いたしもべは頭を垂れ、神様を礼拝し、神様を誉めたたえました。神様が自分の旅路を祝福し、ご主人の兄弟の家へ導いてくださったからです。

 嫁も婿もどちらも天の神様からの私たちへの贈り物だということです。自分の好みで選んだりすることではないようですねえ。

( PBA制作「世の光」2013.1.2放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書
通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくは
PBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっ
そり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大
抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なし
でもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹
介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■狭い門から / 山中直義

2013年01月01日 | Weblog
2013/1/1放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、山中直義です。

 神様が目の前に与えていてくださる機会を大切にするように、聖書はそう教えています。今日は新約聖書ルカの福音書13章22節から30節のことばを通して「狭い門から」と題してお話をさせて頂きます。

 十字架にかかるため、エルサレムへの旅を続けておられたイエス・キリストは町々村々を教えながらその旅を続けられた、と聖書は言います。寸暇を惜しんで一人でも多くの人に少しでも神様のことばを伝えようとしていたイエス・キリストの熱心が描かれています。そのイエス様がその時人々にこうおっしゃいました。
  「努力して狭い門から入りなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、入ろうとしても、入れなくなる人が多いのですから。

 神様を本当に知り神様と人格的な交わりを持つために目の前に開かれている門を通って神様と交わりを持つように、イエス様はそうおっしゃいました。いつかもっと自分が願うときにもっと大きな門が開かれるのを待っていたのでは手遅れに成ってしまう、イエス様はそう警告をなさいました。

 この狭い門というのは古代中近東の城壁に設けられていた通用門です。この門を通るためには荷物を降ろしてそして身を低くして一人で通っていかなければなりませんでした。神様との交わりもそのようなものだ、とイエス様は言われました。自分が思い通りの時に自分の思うような形でということではなく、今あなたの前に開かれてるその狭い門を、身を低くしていろいろなものをあとに置いて通っていきなさい、とイエス様は励ましてくださいました。

 寸暇を惜しんで一人でも多くの人に少しでも神のことばを、と願い続けられたあのイエス・キリストは今も生きておられあなたに語りかけ、あなたの前に門を開いていてくださいます。聖書を読んでみる、心をこめて一言祈ってみる、近くのキリスト教会へ行ってみる、そんな小さな行為でも狭い門を誠実に通ろうとするなら、その門の先に必ず神様との親しい交わりが与えられる、と聖書は教えています。

 聖書のことば
 「努力して狭い門から入りなさい。」 ルカの福音書13章24節


(PBA制作「世の光」2013.1.1放送でのお話しより )

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