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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■希望としての笑い / 羽鳥頼和

2013年01月26日 | Weblog
2013/1/26放送

世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。

 今日は「希望としての笑い」と題してお話ししたいと思います。「希望としての笑い」とは文芸評論家の高橋敏夫さんが言われていることばです。高橋さんは井上ひさしさんの作品を読む中で井上さんが求めていたのがこの「希望としての笑い」であったと言うのです。聖書に希望としての笑いではなく、その逆の「諦めとしての笑い」が語られています。まずそのことからお話しします。

 アブラハムのところに3人の旅人がやってきました。「来年の今頃あなたの妻サラに男の子ができている」と言いました。それを聞いたサラは思わず心の中で笑ってしまいました。聖書はサラが笑った理由を「アブラハムとサラは年を重ねて老人になっており、さらには普通の女にあることがすでに止まっていたからだ」と教えています。サラは自分が子供を産むなどということは到底あり得ないと諦めていました。それで思わず笑ってしまったのです。これが諦めとしての笑いです。

 旅人はそんなサラに「なぜ笑う のか。神に不可能なことがあろうか。来年の今頃サラには男の子ができている。」と言うのでした。彼女の笑いは諦めとしての笑いでした。しかしもし彼女がこのとき、「神様には不可能なことはない。神様は私たちに子供を与えてくださると信じたなら、その時の笑いは希望としての笑いとなっていたはずです。

 井上ひさしさんが最初につくり出した希望としての笑いは、テレビの人形劇「ひょっこりひょうたん島」のテーマ曲でしょう。「丸い地球の水平線に何かがきっと待っている。苦しいこともあるだろさ、悲しいこともあるだろさ、だけど僕らはくじけない。泣くのは嫌だ、笑っちゃおう。」 何かがきっと待っている、という小さな希望を持って笑うと人はくじけないで進むことができるのです。

 そして聖書はもっとはっきりとした確かな希望を教えています。不可能なことのない全能の神様はこのように語っています。「わたしはあなたがたのために立てている計画がある。それは・・・平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」(エレミヤ書 29章11節参照)と。

 神様の立てている計画とは、イエス・キリストによる救いです。神様はキリストを信じる者に希望を与えてくださいます。何かがきっと待っている。神様はあなたが来るのを待っておられます。あなたがキリスト教会に来られるのを待っておられるのです。ぜひ教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」2013.1.26放送でのお話より )

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