goo blog サービス終了のお知らせ 

 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■埋葬の用意 / 福井 誠

2013年01月24日 | Weblog
2013/1/24放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「埋葬の用意」です。それではマタイの福音書26章12節から読んでみましょう。

 「この女が、この香油をわたしのからだに注いだのは、わたしの埋葬の用意をしてくれたのです。

 イエスがベタニヤのシモンという人の家を訪れた時のお話です。一人の女の人が大変高価な香油の入った石膏の壺を持ってやってきて、食卓についておられたイエスの頭に注ぎました。当時訪れた客人に香油を手で降りかける習慣があったようですが、壺から頭に注ぐというのは前代未聞、みんなをアッと言わせる出来事でした。

 問題はそのあとです。正気に返って皆が心配したのは、注がれた香油の値段です。皆はサッと損得勘定に走りました。当時の価格にすると300デナリの香油、1デナリは当時の労働者の日給に相当すると言われますから、それは約1年分の稼ぎになります。
 またイエスは別の場面で自分の話を聞きに集まった5000人の人々にどのように食料を提供するのかピリポに尋ねていますが、ピリポはその時「200デナリあっても足りない」と答えています。1年分の稼ぎあるいは5000人の食料を賄うほどの貨幣価値、そう考えてみると確かにこれは大変なことをした、何と無駄なことを、という気になりますねえ。

 しかしイエスはこの行為を立派なことだと評価しました。それは自分の埋葬の用意をしてくれたからなのだというのです。つまりこの女性はもうじきイエスが埋葬される事態になることを予測し埋葬の香油を注ぐ機会を逃すことのないように、あらかじめ手を打っておいたと言うことなんです。そこに、イエスは自分の財産を投げ打っても従うべきお方である、最高の価値を捧げるに相応しい方だ、という女性の信仰が表わされていますね。

 弟子たちは損得を考えました。事実彼らは損得勘定でイエスに付き従っている者に過ぎませんでした。しかし信仰というのは損得の問題ではありません。聖書の神が自身の人生の中で最も価値あるお方であると認めるからこそ信じ従うものです。私たちも神様の素晴らしさをしっかり認め、自分を捧げていきたいものですね。

(PBA制作「世の光」2013.1.24放送でのお話より )

******

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

******

このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする