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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■わたしの契約の血 / 福井 誠

2013年01月31日 | Weblog
2013/1/31放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブルメッセージは「わたしの契約の血」です。それではマタイの福音書26章28節から読んでみましょう。

 「これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。

 イエスが弟子たちと最後の夜を過ごされた時のお話です。イエスは晩餐の時を持たれたのですが、ぶどう酒を取り上げると感謝を捧げて、「これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。」と語られました。キリスト教会ではこの箇所を引用して聖餐式という儀式を行なってきました。

 しかしそれは単なる形だけの儀式ではなく、とても重要なものです。というのはここでイエスはぶどう酒をご自分がこれから十字架上で流す血に喩えているのです。そしてこの十字架の犠牲はすべての人々の罪の赦しのために流されるものであると宣言しているのです。

 人間というのは様々な形で罪を犯すものですね。罪という言い方をすると、「私はそんな犯罪のような罪を犯したことはない」とそういう人もいますが、よく落ち着いて胸に手を当てて考えてみると、「私は何も悪いことはしていない」と言い切れる人というのは居ないものですね。犯罪に手は染めていないにしても、何かかしら心を責められるようなことを思い起こすものがあるものではないでしょうか。

 そんな不完全な私たちが良い死後を迎えることができるのでしょうか。あるいは死の向こうに天国の安息に入る確信を持つことができるものでしょうか。どんなにお金を積んでも修行を積んでもそんな確信は得られないことでしょう。

 しかしイエスは十字架で流される血は人類に対する神のさばきを身代わりに受けるものであり、すべての人の罪が赦されるためであると言います。誰でもイエスのそのことばを信じて受け入れるならば、その人は罪の赦しを確信し恐れることなく死を迎え天国に入る希望を持つことができます。

 聖餐式はその事実を繰り返し確認する大切な時ですね。聖餐式のたびにイエスの十字架の死を覚え、私たちの救いの確かさを確認するのです。

 あなたも神からの揺るがない平安を心に与えられながら日々歩んでみませんか?

(PBA制作「世の光」2013.1.31放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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