♪ラジオ放送・文字版「世の光」

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PBA『世の光』を文字で 

■バベルの塔 / 羽鳥頼和

2013年01月12日 | Weblog
2013/1/12放送

世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。今日はバベルの塔についてお話しします。

 この出来事は創世記11章1節から9節に記録されている本当にあった出来事です。聖書はまずバベルの塔を建てようとする前、「全地は一つのことば、一つの話しことばであった。」(創世記 11章1節)と教えています。もともと人々は同じことばを話していたのです。

 神様は人に、地に増え広がるようにと命じていました。しかし彼らはこの命令に聞き従わず、シヌアルという地に住みついていました。そして人々はそのシヌアルの地でこう言いました。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」(4節)と。

 この「名をあげよう」とは偉くなろうと言うことです。彼らは神様のことを忘れて偉くなろうとしたのです。「天に届く塔を建てよう」というのは自分たちが神様のように偉くなろうという思い上がりから来たことばです。神様はこのような人々の行いを天から見て言われました。「さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」(7節)と。こうして人々のことばは通じなくなってしまいました。そのため人々は工事を続けることができなくなり塔を建てることを止めなければなりませんでした。

 聖書はこう言います。「それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。主が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、主が人々をそこから地の全面に散らしたからである。」(9節)と。バベルとは混乱させる、バーラルということばからつけられたのです。人々が神様を忘れて自分勝手なことを行おうとしたとき混乱が起こったのです。

 バベルの人々が「名をあげよう」と言ったのは、彼らに向上心があったと言うこともできます。確かに向上心は大切です。向上心とは自分が良くなろう、より良くなろう、という心だからです。しかしこのバベルの塔の出来事はこの向上心が間違っていたことを教えています。彼らは神様を忘れてしまいました。神様を忘れてしまった人の向上心は混乱を生み出しました。神様を信じて向上心を持たなければ、人は良い人になることができません。神様こそ私たちを良い人としてくださいお方なのですから。向上心とは上におられる神様に心を向け、その神様によって自分がより良い人となろうとする心なのです。

 (PBA制作「世の光」2013.1.12放送でのお話より )

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