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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■ノアの歴史  / 板倉邦雄

2011年12月07日 | Weblog
2011/12/7放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「ノアの歴史」という題でお話しましょう。

 さて、ノアは神様の前に恵みを得た、と先週お話しました。恵みとは一方的であり、無条件であるということです。ノアとその家族は主なる神様の一方的でしかも無条件でこの世界の建て直しのために選ばれたのです。ノアとその家族からこの世界の再創造が始まりました。動物や鳥たちもです。

 ノアの歴史を通して私たちが学びたいこと、実践したいことは何でしょうか。それは、「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われる。」という現実です。

 まず、ノアはその時代の人々の中で正しくかつ全き人であった、と紹介されています。ノアの時代の人々の様子を前回紹介しました。当時の人々が心に思い計ることがいつも悪いことばかりであったそのような時代の中で、ノアは正しい考え方をする人であり、正しい生活を目指そうとする人であったのです。決してノアが完全で完璧な人であったということではありません。

 次にノアは神と共に歩んだ人でした。ノアは自分が欠点のある罪深い人であることを自覚していました。ですから完全できよい神様と共に神様に近く生活したいと願ったのです。神と共に歩む生活は神の前に恵みを得る生活でした。これを神を信仰する生活と呼んでいいでしょう。神様と結びつく生活は神様から恵みと知恵そして力をいただく生活なのです。

 そして第三に、ノアはセム、ハム、ヤペテの3人の子を生んだと紹介されます。この3人の息子から新しい世界での新しい人類のスタートが切られます。ノア家はノアとその妻、3人の息子たちとその妻たち、合計8人でした。セムはアジア系。ハムはアフリカ系。ヤペテはヨーロッパ系の民族の先祖となってゆくのです。神様を信じて神様と共に生きる人生が家族の救いとなるだけではありません。世界の再生をもたらすということです。神様の御前に恵みを得る人生とさせていただきましょう。

 ( PBA制作「世の光」2011.12.7放送でのお話より )

 

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書
通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくは
PBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっ
そり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大
抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なし
でもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹
介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■報酬 / 山中直義

2011年12月06日 | Weblog
2011/12/6放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、山中直義です。

 神様を軽んじて歩んだ結果、とんでもない報酬を受け取るはめになった人物の話をします。旧約聖書創世記30章に登場するこのヤコブという人物は14年もの間、ラバンという人物に奴隷のように仕えてきました。報酬としてラバンの娘を妻として娶るためであった、と言います。苦労に苦労を重ね、ようやく報酬としての妻を得た時、ヤコブは言いました。「わたしの故郷へ帰らせてください。このヤコブにとって故郷へ帰るということは神様との関係を回復すること、神様と共に歩み直すということを意味していました。ですがヤコブのおかげで財産を増やしたラバンは何とかしてヤコブをとどまらせようと新しい報酬を提示します。「あなたの望む報酬を申し出てくれ。それを払おう。」 ヤコブの弱さ、世俗の富に目が眩んで神様を軽んじてしまうそんな弱さを熟知した上での申し出でした。そしてヤコブは案の定、富という報酬を求めて再びラバンに仕える道を選んだのでした。結論からいえばヤコブは非常に富む者となったと聖書は言います。知恵と力を尽くして望んでいた報酬を勝ち取ったと言えるかもしれません。しかしそのことはラバンの妬みと怒りを招くこととなり、ヤコブのいのちは危険に曝されることになったのでした。

 私たちはどうでしょうか。神様を重んじることなく思いのままに生きていることでとんでもない報酬を受け取るはめにはなっていないでしょうか。

 新約聖書ロマ書6章23節にこう記されています。「罪から来る報酬は死です。

 罪ということばには「的外れ」という意味があります。的を外した生き方、神様を無視して自分の思いのままに生きている生き方は結局は永遠の死、神様との永遠の離別に至ることになると聖書は言うのです。

 「しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」と聖書は続けています。

 いかがでしょうか。死という報酬を受け取る生き方ではなく永遠のいのちという賜物を受け止る生き方をしてみないでしょうか。イエス・キリストを信じるときあなたも永遠のいのちを受け取ることになるのです。

    (PBA制作「世の光」2011.12.6放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■ずっと昔から  / 関根弘興

2011年12月05日 | Weblog
2011/12/5放送


世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 12月に入りましたね。クリスマスの季節です。クリスマス、それはイエス・キリストは今から約2000年前に来てくださったことを記念する時です。でもその誕生は何とイエス・キリストが生まれるはるか前から旧約聖書に預言されていたことだったんですね。聖書に記された約束に従ってキリストは来られたということなんです。

 ところで約束ということを考えてみましょう。あなたが何か約束するときにはどういう風にしますか? たとえば私があなたに「プレゼントをあげるよ」と約束したとしましょう。そのプレゼントはいつ?どこで?どのようにもらえるんだろう、って考えますよね。ただプレゼントをあげますだけ言われたら喜ばしい知らせですけどもあまりにも漠然としすぎている訳です。実はイエス・キリストの誕生の約束も同じでした。いつどこでどういうふうにということは、旧約聖書の長い歴史を通して少しずつ少しずつはっきりと記されていくんです。

 神様はイスラエル民族の父祖であるアブラハムという人を選ばれて「地上のすべての民族はあなたによって祝福される」と約束なさいました。それは救い主はアブラハムの子孫を通して来るのだということが教えられているんです。アブラハムの子はイサク。そしてその子はヤコブ。そしてヤコブの子たちがイスラエルの十二部族を形成していきました。そして聖書をずっと読んでいくと、その十二部族の中のユダ部族から救い主が生まれ、そしてそのユダ部族の中からダビデ王様が登場し、救い主はこのダビデの血筋から生まれるのだと語られるんです。

 またミカという預言者は、救い主はベツレヘムでお生まれになると預言しました。イザヤという預言者はこの救い主はガリラヤ地方で活動されるんだとか語りました。彼らはイエス・キリストの誕生の約700年も前の人たちだったんです。そしてその預言者のそして旧約聖書が語った通りに今から約2000年前にイエス・キリストはベツレヘムでお生まれになりました。

 ガリラヤのナザレで育ち、まさに暗闇を照らすまことの光として来てくださったんです。聖書が約束した通り、救い主はお生まれになったんですね。そしてずっと昔から預言されたイエス・キリストこそあなたの心に平安と永遠の救いを与える方として今も生きておられるんです。なぜクリスマスをお祝いするんでしょう。それはキリストが昨日も今日もいつまでも変わることのない、聖書で預言されたまことの救い主だからなんですね。


 (PBA制作「世の光」2011.12.5放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■あわれみの器 / 羽鳥頼和

2011年12月03日 | Weblog
2011/12/3放送

世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。

どうして神様は人を罪を犯すことができないように最初から造らなかったのだろうと思ったことはありませんか? 新約聖書ローマ人への手紙9章には「形造られた者が形造った者に対して、『あなたはなぜ、私をこのようなものにしたのですか。』と言えるでしょうか。」(20節)と言いながら神様を陶器を作る陶器師に喩え、人をその陶器師によって造られた土の器に喩えて説明しています。

 陶器師は土の塊から自分の好きなように器を作ります。作られた器が「私はこんな器にして欲しくなかった」ということはできません。同じように人は神様によって造られたものですから人が神様に「なぜ私をこのようにしたのですか?」ということはできない、というのです。

 これだけ聞くとちょっと厳しいと思うかもしれません。しかし聖書は続けて、神様は私たちを憐れみの器として造られたことを教えています。陶器師は気に入らない器は壊してしまいます。同じように神様は、罪という大きな欠陥のある私たちを滅ぼされるはずでした。しかし実際には神様はすぐに人を滅ぼすことをしないで、役に立たない欠陥品のような私たちを使おうとされたのです。憐れみの器とは、本当なら壊してしまっても良いようなものが憐れみによって役に立つ器として使われるようになるので、そのように呼ばれるのです。神様はこの憐れみの器として私たちを選んでくださったのです。(ローマ9章23節、24節参照)

 そのことを知ったならばしなければならないことがあります。それは自分に罪があることを認め、罪を悔い改めて、イエス・キリストを信じることです。

 自分は土の器に過ぎないが神様に役に立つ器となりたいと願うなら、神様は土の器である私たちの中に宝を入れてくださいます(2コリント 4章7節参照)。その宝とはイエス・キリストです。そしてイエス様のいのちは私たちの中で働いて私たちを神様に喜ばれる器とするのです(2テモテ 2章21節参照)。

 聖書のことば

 「見てごらんなさい。神のいつくしみときびしさを。倒れた者の上にあるのは、きびしさです。あなたの上にあるのは、神のいつくしみです。」 ローマ人への手紙11章22節

  ( PBA制作「世の光」2011.12.3放送でのお話より )

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■恐れのある日に、信頼します  / 岩井基雄

2011年12月02日 | Weblog
2011/12/2放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。今日もご一緒に旧約聖書の詩篇を味わいたいと思います。今日の詩篇は56篇の3節と4節です。早速お読みします。

 「恐れのある日に、私は、あなたに信頼します。神にあって、私はみことばを、ほめたたえます。私は神に信頼し、何も恐れません。肉なる者が、私に何をなしえましょう。」 旧約聖書詩篇56篇3節、4節

 私たちは様々な恐れを経験します。強烈な恐れは時として身体や心を虫食むこともあります。自分が置かれている状況からくる恐れ、他の人からもたらされる恐れ、身体や心の不調から来る恐れ、そして何よりも死に対する恐れを私たちは誰しも心の奥に持っているのではないでしょうか。

 この詩篇の作者のダビデは、イスラエルの二番目の王となる人でしたが、この時のダビデは先の王サウルから命を狙われて逃げていたのです。それはダビデの才能や人望に対するサウルの激しい妬みが殺意にまで高まっていたせいでした。この詩篇を歌った時のダビデは、ペリシテ人の陣営で敵に捕らえられてしまうという絶望的な状況でした。まさに二重三重の恐怖が彼を包んでいたことでしょう。

 しかしその中でダビデは、「恐れのある日に、私は、あなたに信頼します。」と祈ります。恐怖が彼を襲い、生命の危険が迫る中でこそ彼は命を創造される神様に信頼するのです。そしてこう続けています。「神にあって、私はみことばを、ほめたたえます。私は神に信頼し、何も恐れません。肉なる者が、私に何をなしえましょう。」と。ダビデは肉に過ぎない人間は自分に何もなし得ない、彼らはたとえ自分の命を取ったとしてもそれ以上のことは何もできないと考えていました。それゆえに彼は自分が本当に恐れ敬うべき真の神様を信頼し、誉めたたえることができたのです。そして恐怖の中で、本当に信頼できる方にすべてを委ねることによってダビデは真の平安を得たのです。

 あなたもあらゆる恐れの中で本当の信頼を神様において本物の平安を受け取りませんか? それではまた聴いてください。

   (PBA制作「世の光」2011.12.2放送でのお話しより)

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■和解の福音 / 福井 誠

2011年12月01日 | Weblog
2011/12/1放送
 
 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。今日のバイブルメッセージは「和解の福音」です。それではマタイの福音書10章2節から4節を読んでみましょう。

 「さて、十二使徒の名は次のとおりである。まず、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、熱心党員シモンとイエスを裏切ったイスカリオテ・ユダである。

 今日の箇所にはイエスの最初の弟子となった12人が出てきます。ペテロやヨハネはよく聞く名前ですね。取税人のマタイやイエスを裏切ったイスカリオテ・ユダもよく聞く名前です。しかしこうやって名前を一つ一つ見ていくと非常に奇妙な組み合わせがあることが分りますねえ。

 と言うのは、取税人マタイと熱心党員シモン、この二人は真逆の人達です。取税人と言えばローマの手先としてユダヤ人に大変毛嫌いされた人達ですね。また熱心党員と言えばローマに敵対する国粋主義者です。ですからもしこの二人がイエスとは関係なしに道で出会うことがあったなら、殺し合いが始まってもおかしくはない、そういう関係でした。ところがそういう二人がイエスの弟子という事で名前を連ねている訳です。名前を連ねているどころか3年間イエスの弟子として生活と寝食を共にし過ごしたのですねえ。実に考えられない人間関係がイエスのもとにあって起こっている訳です。

 どうしてこんなことが起こるのでしょうか。それはイエスが私たちにも与えてくださった大事な福音そのものにあるのでしょう。イエスは私たちが自己中心という罪を認めてそれらを捨て去るように教えられました。まことの神様を認めず自分を神様とする高慢な者であることを認めてイエスにある罪の赦しを受け入れ悔い改めて全く新しい人となるべきことを教えられました。そしてイエスの教えに心から従う人には、そのように新しく生きることができることを約束してくださったのです。そこに新しい人間関係も起るわけですね。

 乗り越えがたきところを乗り越えるそのような歩みをさせていただきたいものですね。

  ( PBA制作「世の光」2011.12.1放送でのお話より )

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