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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■あわれみの器 / 羽鳥頼和

2011年12月03日 | Weblog
2011/12/3放送

世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。

どうして神様は人を罪を犯すことができないように最初から造らなかったのだろうと思ったことはありませんか? 新約聖書ローマ人への手紙9章には「形造られた者が形造った者に対して、『あなたはなぜ、私をこのようなものにしたのですか。』と言えるでしょうか。」(20節)と言いながら神様を陶器を作る陶器師に喩え、人をその陶器師によって造られた土の器に喩えて説明しています。

 陶器師は土の塊から自分の好きなように器を作ります。作られた器が「私はこんな器にして欲しくなかった」ということはできません。同じように人は神様によって造られたものですから人が神様に「なぜ私をこのようにしたのですか?」ということはできない、というのです。

 これだけ聞くとちょっと厳しいと思うかもしれません。しかし聖書は続けて、神様は私たちを憐れみの器として造られたことを教えています。陶器師は気に入らない器は壊してしまいます。同じように神様は、罪という大きな欠陥のある私たちを滅ぼされるはずでした。しかし実際には神様はすぐに人を滅ぼすことをしないで、役に立たない欠陥品のような私たちを使おうとされたのです。憐れみの器とは、本当なら壊してしまっても良いようなものが憐れみによって役に立つ器として使われるようになるので、そのように呼ばれるのです。神様はこの憐れみの器として私たちを選んでくださったのです。(ローマ9章23節、24節参照)

 そのことを知ったならばしなければならないことがあります。それは自分に罪があることを認め、罪を悔い改めて、イエス・キリストを信じることです。

 自分は土の器に過ぎないが神様に役に立つ器となりたいと願うなら、神様は土の器である私たちの中に宝を入れてくださいます(2コリント 4章7節参照)。その宝とはイエス・キリストです。そしてイエス様のいのちは私たちの中で働いて私たちを神様に喜ばれる器とするのです(2テモテ 2章21節参照)。

 聖書のことば

 「見てごらんなさい。神のいつくしみときびしさを。倒れた者の上にあるのは、きびしさです。あなたの上にあるのは、神のいつくしみです。」 ローマ人への手紙11章22節

  ( PBA制作「世の光」2011.12.3放送でのお話より )

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