♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■「カインの末裔(まつえい)」 / 板倉邦雄

2011年10月19日 | Weblog
2011/10/19放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「カインの末裔(まつえい)」という題でお話ししましょう。

 カインは結婚し、子供を生みました。その名はエノクです。カインは町を建て、その町の名をエノクと名づけました。それから4代後のカインの末裔レメクの話です。旧約聖書創世記4章です。

 さてレメクは二人の妻を娶(めと)りました。一人の妻の名はアダ、もう一人の名はチラと言います。妻アダはヤバルを産みます。ヤバルは天幕に住み、家畜業を営む先祖となりました。弟が生まれ、名前はユバルと言いました。彼ユバルは琴や笛を奏でる先祖となります。一方を妻チラもトバルカインを産みます。トバルカインは青銅や鉄のすべての刃物を鍛える者となりました。カインの末裔から代表的な職業の先祖たちが登場してきたことが分ります。家畜業、琴や笛を奏でる楽器音楽業、そして鉄の刃物の製造業です。カインは農業を営んでいましたね。第一次産業と言われます農業、家畜業そして製造業等はカインの子孫たちによって発展していったことが分ります。他に漁業や林業等を加えることができるでしょう。さて職業は職「業(ごう)」であり、業(ごう)を伴ったものであるという意味の発言があります。業(ごう)とは善悪の報いを受ける行為です。私たちに善を伴う職業もありますが、私たちに悪をもたらす職業もあります。

 次のレメクの二人の妻への傲慢なことばに表れているでしょう。「私の声を聞け、妻たちよ。俺のことばに耳を傾けよ。俺は自分の受ける傷のために人を殺してやる。」 これは自分が一つの被害を受けたら十倍にして仕返ししてやるということです。自分の肉体的・精神的被害はもちろんですが、仕事上の被害においても10倍100倍の復讐をするという宣言です。まことの神様と結びつかない職「業(ごう)」というものが自己中心と自分の欲望を果たすだけの職業となってしまうことをカインの末裔は私たちに証明しているのではないでしょうか。ドイツ語では職業を「神様からの呼びかけ」(※ドイツ語でベルーフ beruf 、英語で コーリング calling>。いずれも「呼び出されること」が原意)と言います。どのような職業でも神様と結びつくとき聖なる職業となるのではないでしょうか。
 
 ( PBA制作「世の光」2011.10.19放送でのお話より )

 

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書
通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくは
PBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっ
そり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大
抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なし
でもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹
介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■決して あなたを捨てない  / 山中直義

2011年10月18日 | Weblog
2011/10/18放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、山中直義です。生きる目的を見失い、孤独と虚無感に囚われて力を失っているそんな方にぜひ聴いていただきたい聖書のメッセージがあります。

 「あなたがどこへ行っても、・・・、決してあなたを捨てない。」(創世記 28章15節) この神様の語りかけに共に耳を傾けたいと思います。


 旧約聖書創世記28章に力を失ってたたずむヤコブの姿があります。このヤコブは神様の愛、神様の守りと導きを信じることができず、自分の思いのままに生きてきた人物でした。そして人を傷つけ、自分も傷つけ、とうとう取り返しがつかない罪を犯して家族から離れて独りきりになったのでした。住みなれた土地も離れ、孤独と虚無感に囚われて力なくさまようヤコブ。そのヤコブがある夜不思議な夢を見たと言います。

 彼が見ると、一つのハシゴが天から地に向けて立てられていました。そして神の使いたちがそのはしごを登りくだりしていたのです。このはしごはヤコブに、神様が彼を決して見捨ててなどいないということを、いや目に見えない所で彼を守り導こうとしておられたということを知らせるものとなりました。

 神が私たちを決して捨てず私たちを守ろうとしておられる。このことはイエス・キリストの十字架によってはっきりと私たちに示されたと聖書は言います。イエス・キリストの十字架、それは私たちに、神が私たちを決して捨てないということ、目に見えない所で私たちを守り導こうとしておられることをはっきりと示すものだと聖書は教えています。

 神様はあなたから決して遠く離れてはおられません。いやむしろ目に見えない所であなたを守り導くことを願い、もしあなたが願うならあなたと共に歩んでくださる。それが聖書の神様です。

 不思議な梯子を見つめていたヤコブに向けて語られた聖書のことば、ヤコブに語られた神様のことばをお読みします。
 「見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、・・・、決してあなたを捨てない。」(創世記 28章15節)

 「あなたを決して捨てない。」 そう約束してくださる神様とあなたも共に歩んでみませんか? 

    (PBA制作「世の光」2011.10.18放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■両者の違い  / 関根弘興

2011年10月17日 | Weblog
2011/10/17放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。

 広島の匿名の方から、カトリック教会とプロテスタント教会の違いは何ですか、という質問をいただいたんですね。この世の光の番組はプロテスタントのキリスト教会の協力の中で放送されていますけれども、今日は少しこのことについてお話したいと思います。

 聖書を読みますと、今から2000年前にイエス・キリストがベツレヘムでお生まれになったことが記されています。イエス様は30歳を過ぎた頃、公の活動に入られ、そしてイエス・キリストはその後むごたらしい十字架につけられました。でも三日目によみがえった、復活されたと書いてあるんですねえ。そして弟子たちに現れ、そしてその弟子たちは世界中に出て行って、イエス・キリストこそ罪の赦しと永遠のいのちを与えることのできるまことの救い主です、と伝えていったんです。そして信じる人があちこちに起こされ、そこに教会が誕生してきました。

 ですから教会の出発はイエス・キリストの十字架と復活によってもたらされたものなんですね。本来は出発は一つなんです。カトリックということばはギリシャ語で「変わらないもの」とか「普遍的なもの」という意味があるんです。本来教会は普遍的な変わらないものなんですよね。

 しかしキリスト教会が実は歴史を見ますと国教となり、時代がだんだんだんだん進んでいくと教会が絶大な権力を持つようになり、本来の聖書の言っていることからずれてしまうようなことが少しずつ起こってきました。例えば免罪符というものが発行され、献金すれば罪に対する罰の免除証書を出しましょう、というようなことまで行われるようになってきました。

 そこでこうしたことに対して、ま、抗議・プロテストする人たちが起こったんですね。その中で最も有名な一人がマルチン・ルターと言う人です。こうした抗議から始まった流れがカトリック教会に対してプロテスタント教会と言うふうに分かれていくようになったんです。

 マタイの福音書16章に出て来るんですけれども、あるときイエス様の弟子のペテロがイエス様に対してこんな告白をするんです。「イエス様、あなたは生ける神の御子キリストです。」 するとイエス様言われました。「あなたはペテロです。私はこの岩の上に私の教会を立てます。」と言われたんです。ペテロという名前は訳すと岩という意味なんですね。ですから、イエス様が「この岩の上に教会を立てる」と言われたのでカトリック教会は岩と言われたペテロの上に教会が立つというふうに考えました。でもプロテスタント教会はこの岩を信仰の告白・「あなたは生ける神の子キリストです、救い主です」という信仰の上に教会が立つと理解したんです。

 いずれにしても大切なことは私たちがイエス様を救い主として告白し生きることなんです。その告白をイエス様は本当に喜んでくださるんですね。

 (PBA制作「世の光」2011.10.17放送でのお話しより)

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■災いの中で 神の贖いを知ったヨブ  / 羽鳥頼和

2011年10月15日 | Weblog
2011/10/15放送

世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。

 今日は最初にお葉書を紹介します。長野県上高井郡の原たけしさんからのお葉書です。原さんは94歳になられました。原さんはいつも短い詩を送ってくださいます。今日はその1点をご紹介します。

  書きます。書きます。
  御(おん)恵みです。御(おん)憐れみです。
  小さな小さな小さな者ですが、
  書く喜びを 与えられています。

 原さんありがとうございました。神様によって書くことができる喜びが私にも伝わってきました。私たちは自分の思いを人に伝えるために書くという行為をします。今日は旧約聖書に出てくるヨブという人がどうしても書き残したいと願った重要なことについてお話をします。
 
 ヨブは1日にして自分の財産を失い、自分の子供たちを事故で失ってしまいました。ヨブ本人は全身に悪性のできものができてしまい、多いに苦しみます。そんなヨブに対して友人たちは「あなたがこんな災に遭ったのは、あなたが自分の罪を認めず、罪を悔い改めないからだ。」とヨブを責めるのでした。

 ヨブは友人たちに「あなたがたは私をあわれんではくれないのか。なぜあなたがたは神様のように私を責めるのか。」と言い、「ああ今できれば私の言いたい事を書き留めておきたい。」と嘆きます。ヨブは友人たちに批難されながら大切なことに気づいたのです。そのことを何とか書き記したいと思ったのです。

 ヨブが苦しみの中で気づき、書き残したかった重要なこととは、「私を贖う方は生きておられる。」(ヨブ記 19章25節参照)と言うことでした。贖うとは、ここでは親族が身内の者を何らかの問題から救い出すことを意味しています。ヨブにとっての問題は自分の罪でした。ヨブは罪という自分の問題を解決し救い出してくれるお方がいることを確信したのです。

 この贖う方については新約聖書を読むと良くわかります。新約聖書のコロサイ人への手紙1章14節は「この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。」と御子であるイエス・キリストによって罪の赦しを受けることができることを教えています。ヨブが期待していた罪の赦しを与えてくださる方とは、イエス・キリストのことだったのです。イエス・キリストは今も生きておられ、私たちを救ってくださるのです。
 
  ( PBA制作「世の光」2011.10.15放送でのお話より )

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■信仰を告白した、勝海舟 / 岩井基雄

2011年10月14日 | Weblog
2011/10/14放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。

 近代日本の夜明けとも言ってもいい激動の時代に、坂本龍馬(りょうま)らと共に活躍した勝 海舟が死の間際にクリスチャンになったことが最近様々な所で紹介されていますねえ。

 勝 海舟は1823年文政の6年に生まれました。ところが彼はアメリカ司令官ペリーの黒船来航後、安政の改革で才能を見出され、長崎の海軍伝習所に入所しましたが、長崎でオランダ人クリスチャンの教師カッティンディーケにより初めてキリスト教と出会いました。

 また1860年に咸臨丸で渡米した際、勝海舟はそこで見た世界に衝撃を受け、日曜日ごとにプロテスタントの教会に出席していたという記録が残っています。

 勝海舟は徳川慶喜(よしのぶ)による大政奉還また翌年の江戸城の無血開城をさせ、また伊藤博文らと共に政府に提出した切支丹禁制に対する意見書は後に明治3年の切支丹禁制の撤廃へとつながっていきます。

 1878年、東京の商法学校、今の一橋大学の開設のためにウィリアム・ホイットニー一家が来日し、勝海舟はすばらしいこのクリスチャンの一家と深い交流を体験します。この一家の影響を受けて勝海舟の娘も息子もクリスチャンとなり、彼の三男梅太郎はホイットニーのお嬢さんクララと結婚もします。

 勝海舟は宣教師であったニーダムから一時間以上に渡って神様のことを聞きました。そして彼は「これから祈りたいが一緒にひざまづいてくださいますか?」とニーダムに申し出、ニーダムは共に彼と涙を流して祈ったそうです。

 日本の歴史が大きく動いた時代に、聖書が語る神様は勝海舟という一人の人物の人生を大きく用いました。そしてその背景には神様の愛を豊かに表わす聖書があったのですねえ。

 「聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。」 新約聖書 テモテへの手紙第二 3章15節

 聖書はあなたに本当の知恵を与えます。そして聖書は更にあなたの人生にも光を与え、本当の罪の赦しと救いを与えてくださいます。

   (PBA制作「世の光」2011.10.14放送でのお話しより)

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■おことばをください / 福井 誠

2011年10月13日 | Weblog
2011/10/13放送
 
 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「おことばをください」です。 それではマタイの福音書8章8節から読んでみましょう。

 しかし、百人隊長は答えて言った。「主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばを下さい。そうすれば、私のしもべは直ります。」

 百人隊長というのは百人からなる部隊を組織する隊長のことを言います。彼の部下が病気になっていました。この隊長は部下の病気がなかなか治らないので、とうとうイエスのもとにやってきました。

 当時は医学もそれなりの手を施すことができたはずですから、この部下の場合はもはやどんな医者の力も施しようがない。もはや奇跡の力を持ったイエスに頼るほかはないと言うことだったのでしょう。

 しかしこの百人隊長が偉い点は、彼が部下思いで、謙遜にユダヤ人の奇跡を行う教師のイエスのもとに最後の手段としての助けを求めたというだけのことではありません。むしろこの百人隊長にはイエスについての一つのしっかりとした理解がありました。彼なりの信仰と呼ぶべきでしょうか。つまりこの百人隊長は郵政はイエスが自分と同じように権威を持つものだと理解していました。

 権威を持って命じるなら部下は必ずその言う通りにするものです。イエスも権威を持っていて、人類に命じるならば、そのことは必ず人類に起こる。そういう信仰を持っていたのです。ですから、権威ある人のおことばをください、と言うだけで十分だと理解したわけですね。「癒してください」ではありません。「あなたのおことばをください。そうすれば、その権威に天と地の生きとし生けるものが皆従うことでしょう。」 そういう信仰です。百人隊長の信仰に教えられますねえ。

 人間をはじめ、生きとし生けるもの全てに注意を持っておられるイエスを信じる、それが百人隊長の信仰だとすれば、あなたはどういう信仰を持っていますか? あなたにとってイエス様とはどういうお方ですか? かくかくしかじかのお方を私は信じる。そのようなはっきりとしたものがあるときに、あなたの人生も大きく変わっていくことでしょう。

  ( PBA制作「世の光」2011.10.13放送でのお話より )

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■地上の放浪者  / 板倉邦雄

2011年10月12日 | Weblog
2011/10/12放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は地上の放浪者という題でお話ししましょう。

 「夜がまた来る 思い出つれて
  おれを泣かせに 足音もなく
  ・・・
  どうせ死ぬまで ひとりひとりぼっちさ」 

 これは『さすらい』という歌の一節です。何をいまさら。どうせ死ぬまで俺はひとりぼっちのさすらい人だ。罪を犯した罪人はみな地上の放浪者ではないでしょうか。旧約聖書の創世記4章の続きです。

 さて、弟アベルを殺害し、地中に埋めた兄カインに主なる神様は言われました。「弟アベルはどこにいますか?」 兄カインは答えます。「知りませんよ。私は弟の番人でしょうか?」 

 私たちは兄弟姉妹に対して見張りの責任がある、と主なる神様は問いかけているのです。私はどこにいるか、だけではなく、私の兄弟姉妹はどこにいるか、私たちは即答しなくてはならない責任と義務があるのです。

 次に地上の放浪者は定住することはできませんね。「あなたの弟の血の声が土の中から神に叫び続けている。今あなたは呪われてこの土地を離れるのです。土地を耕しても土地はもはや実を結ばない。そのため新しい土地を探して地上の放浪者となるのです。」

 第三に地上の放浪者は人の復讐を恐れてさまようのです。カインは主なる神に訴えました。「私を見つける人は誰でも私を殺すでしょう。」 弟アベルの身内の者たちからの復讐を恐れてカインはさすらい人になるのです。地上の放浪者は人を恐れながら一生を過ごすのですねえ。

 しかし主なる神は何と言われましたか。「いや、誰でもカインを殺す者は7倍の復讐を受けるでしょう。」 そして主なる神はカインを保護するために一つの印をつけてくださいました。この一つの印とは何でしょうか。ある人は体につけられたものだと言い、ある人は自然界の光や風、雷のような印だったと言います。とにかく神様は恵み深いお方であると言うことでしょう。

 ( PBA制作「世の光」2011.10.12放送でのお話より )

 

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■粉々に砕かれた心  / 山中直義

2011年10月11日 | Weblog
2011/10/11放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、山中直義です。

 あなたが模範とするのは一体どんな人でしょうか。今日は、全人類の模範として神様が定められた人についてお話をさせていただきます。

 旧約聖書レビ記6章に大祭司についての教えがあります。この大祭司というのはある意味で全人類の代表であり、全人類の模範であるべき人物でした。それは一体どれほど偉大で立派な人物なんだろうと私などは思うのですが、聖書は意外なことを私たちに教えています。6章の21節によると、この大祭司は自分を象徴するものとしてパンを神様に捧げていたのですが、そのパン種・イースト菌を入れないパンを捧げるときに、まず粉々にそれを砕かなければならなかったと言います。

 粉々に砕かれた、それは痛みと悲しみを知っている心、そして痛み悲しむ人に対する神様の深い愛を知っている心だと言えます。そしてこの模範は神様の独り子イエス・キリストによって私たちに完全に示されたと聖書は言います。

 イエス・キリストはその偉大な知恵と力を誇ることは一度もありませんでした。いやむしろ知恵と力ばかりに拠り頼んで神様から離れ痛みと悲しみの中を歩んでいる私たちのために、心を砕いてくださった。そして私たちを救うためにご自分のいのちまで捧げてくださったと聖書は言います。イエス様はそのようにして私たちの究極の模範である神様を示してくださり、その神様の愛に私たちを預からせてくださいました。イエス・キリストは私たちの痛みと悲しみをようく知っていてくださるお方です。そしてそんな私たちに神様の深く暖かな愛を与えてくださるお方です。

 どうかこのお方をあなたも大切な模範として心に留めてください。その時あなたの心にも深く温かな神様の愛がしみ込んでくるのです。

 聖書のことば
 「神へのいけにえは、砕かれた霊。 砕かれた、悔いた心。 
  神よ。あなたは、それをさげすまれません。
」    詩篇51篇17節

    (PBA制作「世の光」2011.10.11放送でのお話しより )

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■大切な関わり  / 関根弘興

2011年10月10日 | Weblog
2011/10/10放送

 世の光の時間です。元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。

 私たちはそうですねえ生活の中で三つの関わりの中で生きています。
 第一は人との関わり。まあ人間関係ですね。
 第二はいろいろな沢山の物に囲まれていますから物との関わりです。沢山の物を持ってる事が自分の価値を決めると考えてる人も居ますけども、物との関わり大切ですよねえ。
 そして三番目は天地を創造された神様との関わりなんです。
 人と物とそして神様との関わり、この三つの関わりをどのようにしていくか、これによって人生は変わります。

 聖書を読みますと、人は本来神様を心から礼拝し、人をお互いに愛し、沢山の物を生活のために利用するという基本的な関わりに生きて行くことを教えています。ま、人間の姿なわけですねこれが。

 でもどうでしょうねえ、神様はいつの間にか礼拝の対象ではなくて人のためのまるで便利屋さんのように利用されてしまうことだってあります。苦しい時だけ神様に登場していただいて、あとは必要ありませんと考えたり、目に見えない神様をどうして礼拝しなければならないんですか、頑張っているのは自分自身なんですよと神様に対する感謝を持つなんて必要ないと考える、そんなこともあるかもしません。
 人との関わりはどうでしょうねえ、聖書は自分を愛するように隣り人を愛しなさいと教えています。でもいつの間にか人は高慢になって自分が賞賛されることを求め、仕えることを忘れ、まるで神様のように崇められることを求めて行こうとすることがあるんです。また自分さえよければよいという自分勝手な思いが心を覆うこともあります。でもほんとにそれでいいんでしょうか。
 私たちの周りに溢れる物はどうでしょう。物は人のために用いられるもの、利用の対象でしかありません。しかしいつの間にか利用の対象ではなく、愛する対象になり、物さえあれば万事オッケーという価値感を持つことがあります。ある人は物に囲まれていれば安心という、そんな人さえいます。本当にそれでいいでしょうか。

 聖書はあなたの生活がバランスを保たれていくために人を愛し物を利用しそして神様を心から礼拝していくというこの三つの関係に生きることを勧めているんです。聖書はこう記しています。マルコの福音書 「『心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』・・・『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』 この二つより大事な命令は、ほかにありません。」(マルコ 12章30、31節) こう記しています。聖書からこうした人生の生き方の調和を求めていきませんか?

 (PBA制作「世の光」2011.10.10放送でのお話しより)

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■災いの中で 神のとりなしに期待するヨブ  / 羽鳥頼和

2011年10月08日 | Weblog
2011/10/8放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。今日はヨブという人を通して、神様とはどういうお方なのか、考えてみたいと思います。

 ヨブは一日にして自分の財産を失い、自分の子供たちを事故で失ってしまいました。ヨブ本人は全身に悪性のできものができてしまい、大いに苦しみます。

 苦しみの中にあるヨブに友人のエリファズは厳しいことばを語りました。「人が災いを受けるのはその人が悪いことをするからだ。罪があるから人は苦しむのだ。ヨブよあなたは自分は正しいと言って神に向かって怒っている。あなたは信仰を捨て神に祈ることを止めている。」とヨブを責めました。

 ヨブはエリファズの訴えを聞き、嘆きながらも心をふりしぼって自分の信じることを語ります。「天には私の証人がおられる。私を保証してくださる方は高いところにおられる。」と。ヨブは自分を裁かれるお方である神様は自分のことを弁護してくださるお方でもあると信じるのです。

 そしてヨブは言いました。「その方は人が友達のためにするように執りなしをしてくださる。」と。絶対的な正しさを持って悪を裁かれる神様はそれとは違った面も持っておられる。神様は友達として弁護し、執り成してくださるお方でもあるのだ。ヨブは苦しみの中で神様についてこのように深い理解を持ったのでした。

 私たちは新約聖書を通して私たちを弁護し執り成してくださる神様のことを知ることができます。新約聖書のヘブル人への手紙7章25節に「キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられる」とあります。イエス・キリストこそ私たちの友となってくださり、人の弁護をし、執りなしてくださるお方なのです。イエス様は私たちの罪のために十字架にかかり、私たちの身代わりとなってくださったのです。イエス様は私たちを愛し、私たちを罪から救うために十字架で死んでくださったのです。そして死んだイエス様はよみがえり、今も生きておられ、天において私たちのために執りなしをしてくださっているのです。自分の罪を悔い改め、救い主イエス・キリストを信じましょう。

  ( PBA制作「世の光」2011.10.8放送でのお話より )

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