♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■なぜ怖がるのか  / 福井 誠

2011年10月27日 | Weblog
2011/10/27放送
 
世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。
今日のバイブル・メッセージは「なぜ怖がるのか」です。それではマタイの福音書8章26節から読んでみましょう。

イエスは言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」 それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。

 イエスと弟子たちが舟に乗り、ガリラヤの湖を渡ろうとしました。イエスは連日の働きで疲れていたのでしょう、舟の中で眠っていたとあります。湖に大暴風が起きて弟子たちに起こされるまで気づかなかったようですから、よほど疲れていたのでしょうねえ。大暴風で舟が沈みそうになりました。弟子たちはいよいよ最後の手段とばかりにイエスを起こして「主よ。助けてください。私たちはおぼれそうです。」(マタイ 8章25節)と叫びました。イエスに頼めば何とかしてくれる。何かがイエスにはできる、そう思っていたのかもしれません。

 するとイエスは弟子たちに言いました。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。 「それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。」とあります。実に自然の力を従えるイエスの姿に誰もが驚いたことは言うまでもありません。。「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」(マタイ 8章27節)

 皆さんはどういう方だと思いますか? これまで荒れ狂う自然を従わせることのできた人間等いたためしがありません。答えは明らかですねえ。聖書はイエスを人間以上の存在として、ご自分が作った世界を支配しておられる神として描いています。大切なことは、弟子たちもイエスをそのように見ていました。しかし実際に自分たちが神と共にあるという揺るぎのない確信に至るまでには時間がかかっているのですね。

 私たちも聖書を読んで、イエスが本当に素晴らしい人間以上の存在である、この方こそ神であると思わされることがあるでしょう。しかしイエスが神であると頭で理解していることと、その確信に心から生きていくこととは違います。頭ではなく心から、つまり体験的に知って信じて生きていくことができたなら、私たちの心から恐れも消え去ることでしょう。信仰のない者でも薄い者でもなく、はっきりと神の守りを信じる歩みをさせていただきましょう。

  ( PBA制作「世の光」2011.10.27放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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