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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■弱さを認めキリストの愛に生きた矢嶋楫子 / 岩井基雄

2018年07月30日 | Weblog
2018/6/25放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
 最後の週の月曜日は歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでいますが、今日は矢嶋楫子(やじま・かじこ)について学んでみましょう。

 3年前の熊本地震の時に被害の大きかった熊本県益城町で1833年、天保4年に生まれ育ったのが矢嶋楫子です。旧名は「かつ」でした。旧家に生まれたかつは、三人の子を持つ林七郎と結婚しますが、酒乱の夫に苦しめられ、命の危険に曝されます。夫の暴力に耐えかねたかつは自ら離縁を言い渡します。当時の良識に反する行動に世間も身内も冷たく対応します。そこでかつは自分にも与えられた3人の子どもも置き、単身東京へ行く決断をしました。上京する船の中、彼女はあなたに漕ぎ出そうと楫子(かじこ)と改名したのです。自立を志した楫子でしたが、10歳近くも年下の妻子ある書生との恋愛と出産を経験し、彼女は自分の弱さを痛感したのです。

 その中で出会ったのがキリスト教でした。楫子は宣教師メアリー・トゥルーと出会い、自分の罪を神様の前に認め、イエス・キリストを自分の救い主として信じ告白をしました。その後楫子は弱さを抱える人々に精一杯寄り添ったのです。40歳で教師となった楫子は貧しさゆえ身売りする少女たちを見、女子教育や禁酒運動に後半生をささげます。50代後半から現在の女子学院初代院長として、また日本キリスト教婦人矯風会初代代表として女性の教育と福祉に力を注ぎます。80歳代まで両方の運動を続け、弱い立場の人々に愛と希望を届ける生涯を歩み抜いたのです。

 命の最後まで地の塩たらんと生きた楫子の人生を作家三浦綾子は『我弱ければ』という本に描いています。自分の弱さを通し、人の弱さとも向き合い続けた楫子は何よりもキリストの力に信頼し、人々に愛を届け続けたのです。

 聖書のことば
  しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
          新約聖書 コリント第二の手紙 12章9節 (新改訳2017)

  PBA制作「世の光」2018.6.25放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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