♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■神がまず私たちを愛してくださった / 福井 誠

2018年07月04日 | Weblog
2018/5/30放送


世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「神がまず私たちを愛してくださった」です。 ヨハネの手紙第一4章19節からから読んでみましょう。

 「私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。」(新改訳2017)

 この手紙を書いたヨハネはイエスの愛弟子でしたが、この時は既にかなりの高齢で、半世紀以上も昔の出来事を思い起こしながら書いていたとされています。つまりヨハネは自分が若かかりし頃イエスと共に歩んだ日々を思い起こしながら、イエスに学んだ最も大事なことを回想し、それは愛することであるとこの手紙の中で繰り返し語るのです。ただ注意すべきは、ヨハネが語る愛は単なる優しさや親切心ではありません。もっと力強い理性的な自分の身を捧げ、人を支え生かす愛について語っていますね。

 それをよく説明するのがイエスの十字架の愛だと言えます。イエスの十字架は身代わりの死であるとはよく言われることです。それは私たちの罪の赦しのための死であったと。つまり本来ならば私たちが自分の罪のゆえに神の怒りと罰を受けなければなりませんでした。十字架に磔にされて死ななければならなかったのは私たちである。やがて来る神の御国に入ることはそんなに優しいことではありません。罪人の私たちは死後にそんな楽観的な希望を抱いてはならないのです。罪人の死後に待っているのは素晴らしい神の御国どころか永遠の地獄の炎そのものです。けれども、その裁きを私たちの身代わりとなって受けてくださった方がいます。神の怒りと罰を一身に受けて、私たち罪人が受ける罰をすべて受けてくださった方がいます。それがキリストの十字架の意味でした。神が私たちを愛して私たちが永遠に滅ぼされることを望まなかった。そしてキリストの十字架によって救いの道を用意してくださったということですね。まずこのキリストの十字架の愛が分ることが大切です。

 そして神様に愛されていることが分かれば私たちも神様に倣って人を愛したいと思うようになるでしょう。ちょっとした自己満足、親切ではなく、人を支える愛、生かす愛に生きるようになるはずです。ぜひ聖書を読んで神様の愛を深く知り、その深さに生きる歩みへと導かれたいものです。

(PBA制作「世の光」2018.5.30放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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