♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■それで十分 / 山中直義

2013年02月05日 | Weblog
2013/2/5放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 山中直義です。

 人が犯した罪を責め続ける、あるいは自分が犯してしまった罪を責め続ける、そんな中で前に進むことができなくなってしまう、そんなことはないでしょうか。今日は「それで十分」と題しての聖書のメッセージです。

 創世記45章に登場するヤコブはは食料調達から帰ってきた10人の息子たちから思いもよらない罪の告白、思いもよらない知らせを聞きました。何と22年前に「死んだ」と聞かされていたあの最愛の息子、11番目の息子ヨセフは実はこの兄たちの手によって奴隷としてエジプトに売られていた、と言うこと、そして更に驚くことにそのヨセフは神様の不思議な守りと導きの中でエジプトの総理大臣に成っており、兄たちを心の底から赦し、兄たちと共に家族が皆一緒になって新しい歩みをすることを心から願っている、というのです。

 この時、父親ヤコブはこの10人の息子たちを憎むこともできたでしょう。彼らの過去の罪を責め立てて彼らを拒絶するということができたかもしれません。あるいは息子たちをそんなふうにしてしまった自分の至らなさというものを責めて自己嫌悪に閉じこもるということもできたかもしれません。しかしこの知らせを聞いた時、ヤコブはこう言ったと言います。「それで十分だ。私の子ヨセフがまだ生きているとは。私は死なないうちに彼に会いに行こう。」(創世記 45章28節)


 誰よりも苦しみ、悲しみ、傷んだはずのヨセフが兄たちを赦し、家族に新しい歩みを願っている、それで十分だ。今更人を責めたり自分を責めたりして過去にとらわれるのではなく、前へ進んで行こう。ヤコブはそう言ったと言うのです。

 このことはイエス・キリストによる赦しと再出発を示す一つの型でもあります。私たちも人が犯した罪を責め立て、あるいは自分が犯してしまった罪を責め立てて前に進めなくなるということがあるでしょう。しかし私たちの罪のすべてを背負い、十字架におかかりくださったイエス・キリストが今も生きておられる、そして私たちにすべての罪の赦しを提供し、新しい歩みへと招いていてくださる。人を責め自分を責め過去に囚われなくても良い、イエス・キリストが生きてあなたを新しい歩みへと招いていてくださる、それで十分ではないか、聖書はそう言うのです。

(PBA制作「世の光」2013.2.5放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


****** このサイトは URL名として  http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。



 

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