♪ラジオ放送・文字版「世の光」

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PBA『世の光』を文字で 

■愛するということ / 羽鳥頼和

2013年02月16日 | Weblog
2013/2/16放送

世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。

 今日は新約聖書ヨハネの手紙第一 3章13節から24節で語られている「愛すること」についてお話ししたいと思います。

 聖書はまず愛の反対である憎しみの心について語っています。人を憎む心は、あいつなんか見たくない、いなくなってしまえ、という思いです。そのような憎しみの心について聖書はこのように語っています。「愛さない者は死んでいる。」(1ヨハネ 3章14節参照) また、「兄弟を憎む者はみな、人殺しです。」(1ヨハネ 3章15節)と。

 憎しみの心を持っていきる人は実は死んでおり身近な人を殺してしまっている、というのです。人を憎むということは憎む相手を殺してしまう心であり、その人本人をも憎しみの炎で焼き殺してしまうのです。

 それでは恐ろしい憎しみの反対の愛することについて聖書は何と言っているでしょう。まず聖書はこのように言います。「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。」(1ヨハネ 3章16節)と。

 イエス・キリストが私たちを救うために十字架で死なれたことによって本当の愛を示されたのです。自分は死んでも相手を生かすことが愛なのです。愛もまた厳しく大変なことだということが分かります。

 憎しみとの大きな違いは、憎しみは人を殺してしまうのですが愛は人を生かすというところです。

 また聖書はこう言います。「私たちは、自分が死からいのちに移ったことを知っています。それは、兄弟を愛しているからです。」(1ヨハネ 3章14節) また、「世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう。」(1ヨハネ 3章17節)とも語っています。

 つまり、キリストの愛によって救われた者は神様から本当のいのちを与えられているのです。神様に愛され、いのちを与えられた人は人を愛することができるのです。

 聖書は救われたばかりの人に語っています。「子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって愛そうではありませんか。」(1ヨハネ 3章18節)

 神様はあなたを愛してキリストによって永遠のいのちを与えてくださったのです。それは私たちが互いに愛し合うことができるようになるためです。

 (PBA制作「世の光」2013.2.16放送でのお話より )

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