♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■まことに神の子であった / 福井 誠

2013年02月28日 | Weblog
2013/2/28放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「まことに神の子であった」です。それではマタイの福音書27章54節から読んでみましょう。

 百人隊長および彼といっしょにイエスの見張りをしていた人々は、地震やいろいろの出来事を見て、非常な恐れを感じ、「この方はまことに神の子であった。」と言った。

 前回は裁判官のピラトが群集の声に押し切られてとうとうイエスを十字架刑に引き渡してしまうお話でした。今日はその十字架の場面です。

 イエスは死刑が確定した後、ローマ式に鞭打ちの刑を受けて磔にされます。その様子は実に痛ましいものです。イエスは無制限の鞭打ち刑を受けました。皮膚や肉が裂け、骨が打ち砕かれる想像を絶する苦しみであったことでしょう。

 更に兵士たちはイエスに緋色の上着を着せ、棘(いばら)の冠をかぶらせ、葦の棒を持たせ、王様ごっこをしました。イエスは身も心もズタズタにされた状態で、あとは用無しと言わんばかりに十字架に磔にされるのです。

 しかしイエスはあらかじめこれが人間の罪の赦しのためであると語っておられました(マタイ 26章28節参照)。神の呪いと怒りから私たち罪人を救い出すためには正しい人が犠牲にならなくてはいけない。神の呪いと怒りを身代わりとなって一身に受ける十字架の死がなければならないというわけです。イエスは御自分の目的を達成されたのです。

 そしてイエスが息を引き取った時に、「地が揺れ動き、岩が裂けた。」(マタイ 27章51節)とあります。そして死人がよみがえる実に不思議な現象が次々と起こりました。つまりイエスが語っていることは、単なる空言のお話ではなく、目に見えない神様も確かにイエスの行為に応答されたということなのです。

 見ていた百人隊長は恐れを為したと言いますが、そういうことですね。この方が言っていたのは負け犬の遠吠えでも気が狂った者の戯言でもなく、神がお遣わしになった救い主のことばであった。実に「この方はまことに神の子であった。」(マタイ 27章54節)というわけです。

 聖書は二千年前に起こったイエスの十字架の死について客観的に記録して私たちに問いかけてきます。あなたを神の呪いと怒りから救い出すまことの神の子イエスを知って頂きたいと思います。

(PBA制作「世の光」2013.2.28放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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