♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■どんな悪いことをしたというのか / 福井 誠

2013年02月21日 | Weblog
2013/2/21放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「どんな悪いことをしたというのか」です。それではマタイの福音書27章23節から読んでみましょう。

 「だが、ピラトは言った。『あの人がどんな悪い事をしたというのか。』 しかし、彼らはますます激しく『十字架につけろ。』と叫び続けた。

 裁判官ピラトはユダヤの宗教家に訴えられたイエスを取り調べましたが、判決をためらっていました。訴えられるような罪はなく、むしろ妬まれているだけだと分かったからです。ピラトはイエスを釈放しようとして近頃町を騒がせた有名な犯罪人バラバを連れ出し、群集にどちらを恩赦にして欲しいかと尋ねます。ピラトはてっきり「イエスを釈放せよ」と人々が求めると踏んだのでしょう。ところがユダヤの宗教家が既に手をまわしていました。群集は、イエスを死刑にするようにと説得されていたのです。群集は叫びました。「イエスを十字架につけろ。」 思いもよらぬ展開にピラトは困惑して言いました。「あの人がどんな悪いことをしたというのか。」 しかしピラトの正義を求める声は「十字架につけろ」の大合唱に掻き消されてしまうのです。

 水野源三さんという詩人がいます。口も聞けない手足も動かせない、重度身体障害者でありながら目の瞬(まばた)きでお母さんとコミュニケーションを取って沢山の詩を残した詩人です。その水野さんの詩の中に、十字架につけろと叫んだものの中に自分がいる、ということばがあります。水野さんは小学生の時に高熱で重度の身体障害者となり、寝たきりの生活を送ってきた人です。人をだましたり陰口を言ったり盗んだりということとは全く関係のない世界で生きてきました。しかし彼は自分の心の中にあの群集と同じように宗教家に扇動されて「イエスを殺せ」と叫ぶ愚かな罪深い自分があることを認めていたのです。

 「あの人がどんな悪いことをしたというのか。」と問われても無関心にイエスを見捨てていく私たちの現実があります。2000年前の群衆の心の現実は私たちの現実でもあるのです。神の救いを受け、変えられた人生を歩んでいきたいものですね。

(PBA制作「世の光」2013.2.21放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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