♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■渇くことのない水 / 関根弘興

2013年02月25日 | Weblog
2013/2/25放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。今日も聖書のことばを最初に紹介いたしましょう。

 「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」 ヨハネの福音書 4章13節から14節

 イエス様がエルサレムからガリラヤに向かう途中のことでした。サマリヤのスカルという町外れにある井戸の傍らで腰を下ろしていました。するとまっ昼間、一人の婦人が水を汲みにその井戸にやってきたんです。まあ暑いさなか水を汲みに来るのは普通ではありません。どうも人目を避けるかのようにして水を汲みに来たようでした。

 イエス様はこの婦人に「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。」と言われたんです。

 まあ水を汲む作業というのは重労働ですよね。「わたしが与える水は渇くことはない」と言われたものですからこの婦人は困惑してしまいました。

 少し考えてみたいのですが、私たちの渇きというのは肉体の渇き、喉の渇きだけではありません。喉の渇きなら水を飲めば済むことです。しかし日常生活の中でいろんな問題に出くわしていくとき、心の渇き、魂の渇きに誰もが直面するのではないかと思うんですね。いったい誰が渇いた心に潤いを与えることができるのでしょう。

 実はこのまっ昼間にと水を汲みに来た婦人は人生に大きな大きな影を落としていた問題がありました。それは人間関係の問題でした。具体的には、夫が五人あったが今一緒にいるのは夫ではない(4章18節参照)、ま、そんな現実だったんです。彼女にとってこの現実は人目を避け後ろめたさを持ちながら生きるという深刻な心の渇きとなっていました。どう生きていったらよいのか分からない。これがこの婦人の心の渇きだったんですねえ。

 イエス様はこの婦人の抱えていた問題を御存知でした。ですから「わたしが与える水を飲む者は渇くことはない」と言われたんです。

 それではイエス様が与える水を飲むとは一体どういうことでしょうか。

 第一にはイエス様の約束を信じ生きるということです。イエス様は信じる者の罪を赦し永遠のいのちを与えると約束してくださっています。

 第二はイエス様を心をこめて礼拝するということ。私たちの魂の潤いの回復は神様を礼拝し心から賛美していくというときに回復していくからなんですねえ。

(PBA制作「世の光」2013.2.25放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。

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