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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■絶望の先にある希望 /山中直義

2011年04月12日 | Weblog
2011/4/12放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。山中直義です。

 夜が明けるその少し前に闇は最も暗く冷たくなると言います。ですが、暗く冷たいその闇に朝の光は訪れます。

 十字架に架けられる前夜、イエス・キリストは偽りの裁判にかけられていました。そんなイエス様から少し離れた所に人々に紛れて様子を伺う弟子ペテロがありました。そのペテロに女中の一人が近づいてきて尋ねました。「あなたもあのナザレ人イエスと一緒にいましたね。」 必死にごまかしてその場を立ちそろうとしたペテロでしたが、そばにいた人々にも詰め寄られた時、彼はとうとうイエスを否定してしまいました。

 新約聖書マルコの福音書14章71節からのことばです。
  彼はのろいをかけて誓い始め、「私は、あなたがたの話しているその人を知りません。」と言った。するとすぐに、鶏が、二度目に鳴いた。
  そこでペテロは、「鶏が二度鳴く前に、あなたは、わたしを知らないと三度言います。」というイエスのおことばを思い出した。それに思い当たったとき、彼は泣き出した。


 愛するべき人を裏切り、傷付ける。そんな時私たちは自らの深い闇に気付かされ、絶望的な思いになるのではないでしょうか。夜の闇が明けようとしていたまさにその時、ペテロは自分の内側にある深く冷たい闇に気づかされ、「激しく泣いた」(マタイ 26:75、ルカ 22:62)と言います。「私は・・・その人を知りません。」 イエス・キリストの愛に気づきながらも、その愛を拒絶しようとする。そんなどうしようもない闇が私たちのうちにも確かにあるのではないでしょうか。

 ですが、暗く冷たい闇に朝の光が訪れるように、その絶望の悩みにも希望の光は訪れます。私たち人間の弱さ、愚かさ、醜さ、本当にどうしょうもない闇を知った上でそれでもなおイエス・キリストは私たちを深く深く愛し、十字架についてくださった。そうしてすべての罪を、本当にすべての罪を赦してくださったと聖書は言うのです。

 絶望の闇の先に希望の光は必ず訪れます。あなたもイエス・キリストを信じてください。

     (PBA制作「世の光」2011.4.12放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

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  郵便振替 00890-3-111071 東海福音放送協力会   まで

  お問い合わせは、
  電話 052-762-2196 東海福音放送協力会へ
            (自由ケ丘キリスト教会内)

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