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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■ゲッセマネの祈り /福井 誠

2011年04月21日 | Weblog
2011/4/21放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「ゲッセマネの祈り」です。それではルカの福音書22章42節から読んでみましょう。

 「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。

 今日は最後の晩餐の続きになります。最後の晩餐の後、イエスはオリーブ山へと向かいました。 イエスが祈り場としていたゲッセマネの園があったからです。現在そこにはイエスの苦難の祈りを記念するゲッセマネ教会が建っています。この教会のために16ケ国の国際的な協力があったために、俗に「一般国民の教会」とも言われており、イエスが祈られた場所とされる所も保存されています。ともあれイエスはそこに三人の弟子を連れて入ると、彼らから離れて一人で祈られました。「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。

 杯は神の怒りを意味しています。イエスはこの時自分が神の怒りにさらされて死を味わう苦しみを予測し戦っておられたのです。使徒パウロは「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。」(ガラテヤ人への手紙 3章13節)と語りましたが、まさに私たちに代わって神の呪いを受ける、怒りとさばきを受けるという苦しみに直面して戦っておられたのですねえ。

 しかしそれは私たちが神に赦され受け入れられるためにはどうしても必要なことでした 。イエスは祈られました。「わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」 

 非常にイエスの純粋な心を感じさせることばです。 人間は自己中心なものです。人のために自分のいのちを犠牲にする、人に代わって神の呪いを受けたり怒りを受けたりするなど、なかなかできないものです。

 しかしイエスは私たちの罪の赦しのために神の怒りの杯を飲み干す決意を祈りの中でなさっていくのです。それは単に人間として高貴な決断だというのではありません。まことに私たちを神の怒りと罪の滅びの中から救い出す力あるわざなのです。イエスの救いを信じていきましょう。

  ( PBA制作「世の光」2011.4.21放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書
通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくは
PBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっ
そり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大
抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なし
でもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹
介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


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