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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■黙って、神を知る・・・ /岩井基雄

2011年04月01日 | Weblog
2011/4/1放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。 さっそくご一緒に旧約聖書の詩篇を味わいましょう。今日も詩篇は46篇です。10節、11節をお読みします。

 「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる。」 万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらのとりでである。

 この「やめよ。」ということばは、「黙って。」「静まって。」と訳すことができることばです。考えてみますと、私たちの生活には音が満ちていますよねえ。騒音とは言わなくても絶えず何かが聴こえてきます。逆に音がないと寂しくなったりするほどです。でも、本当に大切なことがらは、静かな中で考えたり思い巡らしたりしたいですよねえ。

 この詩篇は私たちに様々なことをやめて心を静め、黙って心から神様のことを考えなさいと語りかけます。しかもそれは私たちが勝手に思い描いた神様ではなく、聖書が語る、全てを創造された神様のことです。

 実はこのまことの神様の前に私たちが心を静めるときこそ私たちが本当の力と平安を受けるときなのです。なぜなら私たちはこの神様によって神様に向けて創造されたからです。

 これまで学んできた通り、この詩篇46篇は苦難や悲しみの只中にある神様の平安が詠われている詩篇です。 その平安の源は苦しみや悲しみの原因をも包む神様の主権でした。圧倒的な神様の主権を認めることこそ私たちの人生には必要なのだと聖書は語っているのです。

 そして「やめよ。」と命じられる方がいること、人間がすべてでも最高なのでもなく、人は被造物にすぎないことを認めること。そして欠けだらけの存在であることを認めること。まことに国々であがめられ、地の上で本当に礼拝されるべき主権者は、聖書が語るまことの神様であることを認めることは、何と大切なことであり、そしてそれはあなたの人生に力を豊かに与えるのです。

 もう一度10節をお読みします。
 「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる。」 詩篇46篇10節

   (PBA制作「世の光」2011.4.1放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書
通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しく
はPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。
日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。
予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。
問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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