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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■イエス・キリストは神なのか? (2) /岩井基雄

2011年04月15日 | Weblog
2011/4/15放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。

 今日はキリストの復活の出来事からキリストが本当に神であるかを一緒に考えてみたいと思います。

 イエス・キリストがこの地上で生涯を送り、最後は十字架刑に遭ったことを否定する学者は殆どいません。しかし聖書が言うように三日目によみがえったことについては多くの人が疑問を投げかけます。では聖書には何と書いてあるでしょうか。

 「もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。」 新約聖書 コリント第一の手紙 15章17節
 
 キリスト教の信仰はこのイエス・キリストの復活にかかっていると言っても良いのです。そしてそれはキリストが神であるかどうかに関する重要な事柄でもあります。多くの人々がこの復活の出来事について聖書やその他の文献を調べた上で、本当にキリストがよみがえったのだということを心から信じています。なぜでしょうか。少なくとも三つの証拠があるといわれます。

 第一は、本当にキリストの墓は空であったということです。キリストの死んだ身体は確かに見出せませんでした。弟子たちがその身体を盗んだという噂も流れました。しかしもしそうであれば、彼らは自分たちが作り出した嘘のために命をかけてキリストの復活を宣べ伝えたことになります。そんなことができるでしょうか。

 第二に、復活したキリストの目撃者が少なくとも500名はいたことが証しされています。しかも新約聖書が記された時、その多くの人々がまだ生存していたのです。彼らは自らが経験したことを力強く証ししていました。

 第三に、それまでユダヤ人たちを恐れ、キリストを裏切り、逃げた弟子たちが命をかけてキリストのよみがえりを伝えます。何か大きなことがなければ彼らはそのように変わることはできなかったでしょう。

 イエス・キリストは本当に死からよみがえられたのです。それはキリストが永遠のいのちの源である神ご自身であることをも表しています。あなたの人生に本当のいのちと希望を与えるために神であるキリストはよみがえられたのです。

 新約聖書 ローマ人への手紙4章25節にはこうあります。
主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。

   (PBA制作「世の光」2011.4.15放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書
通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しく
はPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。
日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。
予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。
問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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