goo blog サービス終了のお知らせ 

 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■イエスの十字架の意味 /羽鳥頼和

2011年04月23日 | Weblog
2011/4/23放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。
 今週から二週に渡ってイースター・スペシャルをお送りしています。

 今日は2000年前の十字架の出来事が私たちにとってどんな意味があるのか、お話をしたいと思います。

 聖書は十字架刑がどんなに苦しいものか詳しくは説明していません。むしろあっけない程簡潔に十字架のことを語っているのです。どうしてでしょう。

 それは「十字架」という一言で当時の人々はその恐ろしさを理解できたからでしょう。そしてまた、いたずらに人間の情に訴えることをしないというのが聖書の方針であったからでしょう。聖書は十字架の出来事をドラマチックに描くことをせずに、冷静に描くことによって、十字架の意味を私たちに語っているのです。

 聖書にはイエス様が十字架に架けられ昼の12時になった時、全地が暗くなって午後3時まで続いた、その時イエス様大声で、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」(マタイ 27章46節、マルコ 15章34節)と叫ばれたと記されています。不思議なことに昼の12時に全地が真っ暗になったのです。昼間のように本来明るいものが暗闇となってしまうような出来事は聖書では神様のさばきを意味しています。神様のさばきを表す暗闇の中でイエス様は大声で、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」と叫ばれました。

 このことばは神様から見捨てられた者の神様への叫びです。神さまとの親密な交わりを持っていたイエス様が神様に見捨てられてしまったのです。この暗闇とイエス様の叫びはイエス様が私たち人間に代わって罪を負って神のさばきを受けられたことを教えています。

 コリント人への手紙第二 5章21節には「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」と語ってイエス様の十字架によって人が罪を赦され、義しい者となることを教えています。そして聖書はそのイエス様は死んで三日後によみがえられたことを教えています。

 明日はそのことを記念したイースターです。教会では私たちを救うために十字架で死なれそしてよみがえられたイエス様を覚えて記念の礼拝を行います。ぜひお近くの教会にいらしてください。

  ( PBA制作「世の光」2011.4.23放送でのお話より )

***

このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


***

東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

***

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする