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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■忘れよう /関根弘興

2011年04月04日 | Weblog
2011/4/4放送

世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興です。
今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

新約聖書ピリピ人への手紙3章13節。
兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。

 新約聖書の後半の手紙の多くを記したパウロは「後のものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進もう」と手紙に記しました。どうも私たちは忘れていけないものはすぐに忘れてしまい、忘れた方がいいものはいつまでも覚えているというようなそんなくせを持っています。

 忘れるという漢字は心を亡くすと書きますよね。イエス・キリストは「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。」(マタイ6章21節)とおっしゃいました。宝というものは決して忘れることができないのですが、忘れられないというのはそこにあなたの心があるということなんですね。

 人はいろいろな宝を蓄えるのが好きです。私の子供の頃、ま、いろんなものを私は集めました。子供が自分の引き出しの中に大切にしまっている物を見ると面白いですよね。瓶の蓋とかシールとかゲームセンターのコインとか、これがなんで宝物なんだろうと思うわけですけども、子供にとってはそれは宝なんです。なぜか。そこに心を置いているからです。しかし大人になればそれらものは忘れ去られている物ばかりでしょう。なぜならそこに心がなくなるからです。

 私たちは忘れたい過去をまるで宝のように大切にしまい込んでいるということがありませんか。心をそのものから別のものに移すということをしないと忘れることができないんですねえ。

 私は高校生の時、中古のギターを持っていました。ある時、隣り町の教会の人が私のギターを見て気に入り、僕のギターと交換してくれと言ってきたんです。その人のギターは私のギターよりも大変高価なものでした。わたしはうれしくなってその人の気持ちが変わらないうちにすぐ交換してしまいました。そして古いギターのこと等すっかり忘れてしまいました。なぜなら新しいギターが手に入ったからなんです。

 私たちは過去の様々な痛みを忘れるためにその代わりに何かを得なければならないんです。何を得ればいいんでしょう。それは聖書からのイエス・キリストの励ましであり、約束のことばなんです。過去の痛みをイエス・キリストの恵みのことばと換えていくんですね。

 イエス・キリストのことば
 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイの福音書 11章28節) 

 (PBA制作「世の光」2011.4.4放送でのお話しより)

***

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 

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