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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■キリストのまなざし /岩井基雄

2011年04月22日 | Weblog
2011/4/22放送


 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。 今週から二週に渡って、イースター・スペシャルをお送りしています。

 イエス・キリストが十字架に架けられためにユダヤ人の祭司長・律法学者たちに捕らえられた時、その場にいたキリストの弟子たちは全員逃げました。キリストを見捨てたのは、あのイスカリオテのユダだけではなく、十二人のすべての弟子だったのです。

 捕らえられたキリストの裁判は不当なものでした。ユダヤ側の裁判3回と死刑を執行できる権威を持つローマ側の裁判3回の合計6回の裁判が一晩で行われたのです。それは結果が有罪となるように策略をめぐらした不当な裁判だったのです。しかし、主イエスはすべてをご存知で、その裁判を受けられました。

 裁判の間、戻ってきたペテロは焚き火にあたりながら待っていました。心配もあったのでしょう。しかし、焚き火の火明かりに照らされた時、彼の顔を知る人が「あなたもキリストと一緒にいたでしょう。」と尋ねます。彼はとっさにそれを否定します。その後もことばのなまりを指摘されたりして二度キリストとの関わりを問われますが、彼はキリストを完全に否定したのです。そして鶏が泣きました。その時です、ちょうど裁判から出てこられた主イエスの眼差しがペテロに注がれました。聖書はこう記しています。

 主が振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、「きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは、三度わたしを知らないと言う。」と言われた主のおことばを思い出した。 
             新約聖書ルカの福音書 22章61節 

 主はすべてをご存知でした。そしてすでにその事をペテロに予告していたのです。

 すべてを知っておられた主イエスの眼差しはどのようなものだったでしょうか。きっと咎めるようなものではなく、ペテロを暖かく包むような眼差しだったのではないかと思います。主は私たちのすべての弱さや罪をご存知で、その私たちの罪のために十字架にかかってくださったからです。

 この主イエスの愛の眼差しはあなたにも注がれています。あなたにどのような過ちや罪があろうとも、主はすべてをご存知で、あなたのために十字架にかかり、そして愛を豊かに注がれます。あなたはこのキリストの愛にどのようにお答えになりますか?

   (PBA制作「世の光」2011.4.22放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書
通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しく
はPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。
日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。
予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。
問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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