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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■死んだいのちで生かされて

2010年05月24日 | Weblog
2010/5/24放送

 世の光の時間です。 お元気でしょうか? 村上宣道です。 

 えー、いつか話題になったようなんですけども、小学校で給食の時にですね、「いただきまーす」ってこう、まあ言う訳ですね。 と、ある父兄の方が「あんなのいただきますなんて言わせないでください。 給食費を出しているのはこっちなんですから。」ってなことを言ったという話が話題になっていましたけども。

 まあ給食費は確かに親が出してるかもしれませんけども、私がこう頂けるという、食べるという(のは)、食物というのはですよねえ沢山作ってくださった方とか料理してくださった方とか、そういうふうな方々に対する感謝の気持ちもそうですし、実際にはみんなその命を犠牲にして頂いているという、 ----お魚にしてもお肉にしても、そして野菜であっても、またパンであってもうどんとかラーメンであってもですねえ、あるいは麦が粉にされて。----  で、その命が犠牲にされて私たちは生きているというふうに言える訳ですからねえ、そういうことも含めて本当にありがとうという意味で「いただきます」と言うのは自然なんだろうとまあ思うんですけれどもね。 ともかく私たちが生きているということの陰に、生きている者の命が犠牲にされているということ、そのことを思わされますねえ。 

 で、イエス様がこういうふうにおっしゃったことばがあるんですけれども、「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」(ヨハネの福音書 12章24節)っていうふうに言われたんですね。 

 で、これはその背景的にはですね、イエス様が十字架につけられるかもしれない、というふうなそういう切羽詰まった時でしたけどもギリシャの人たちがやって来て「ぜひお話を聞きたい」と。 むしろそっちの方に魅力を感じない訳でもなかった訳ですけれども、「いやわたしはどうしても死ななければならないのだ。一粒の麦がもし死なないでいるならば、いつまでも一粒のまま。もし死ねば、多くの実を結ぶ。わたしが十字架で死ぬことによって罪の赦しがそこでなされて、そしてわたしが死からよみがえることによって永遠の命を人々が受けることができる。どうしてもわたしは死なねばならない。」という。

 まさに私たちが滅びないで済むのは、永遠に生きることができるのは、イエス・キリストの十字架の死と復活のゆえであるという。 そのような犠牲の中で私たちは生かされているということを決して忘れてはならない。 そのように思わされますね。

  ( PBA制作「世の光」2010.5.24放送でのお話しより)


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-
2196 へ



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