世の光の時間です。 お変わりありませんか? 岩井基雄です。
今日も詩篇23篇を学びましょう。 今日も1節をお読みします。
「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。」
さて先週も学びました通り、この詩篇を記したのはダビデという王様でした。 王様と言えば皆さんはどんな人をイメージされるでしょうか。 絶対的な権力を持ち、資産を持ち、それゆえ乏しいことなど全くないような存在のイメージが強いかもしれませんねえ。 しかしこのダビデはそのような存在とはかけ離れたような人でした。
彼の前の王であったサウルから、また自分の子どもアブシャロムから命を狙われ、時には気が狂ったような振りまでして逃げまどう王でした。 不安や恐れを持ち、食べるものに困り果てるような時さえあった王なのです。 もちろん、どの時点でこの23篇が書かれたのか明確ではないのですが、ダビデの人生は苦難に満ちていたのです。 しかも聖書が記された地域は荒野の多い場所です。 この詩篇でダビデは、人生の荒野、苦しみや悲しみ、そして空しさを通る中で、自分には乏しいことがない、乏しいことがなかった、と告白しているのです。
状況が整ったから乏しいことがないのではなく、様々な欠乏・乏しさがありながら、それでもなお乏しいことがありません、と言える経験をしたのではないでしょうか。 それは痩せ我慢でも背伸びでもありません。 乏しさがありながら、その乏しさや危うさの中で、神様は確かに自分を顧みていてくださる、とダビデは知ったのです。 いや、その乏しさ・欠け・困窮の中にあるからこそ、その乏しさをやがて満たしてくださる神様の御手をダビデは見ることができたのです。 何度も苦しみを通りながら、確かに神様は生きていてくださることを経験してきたのです。
「あなたがたは、世にあっては患難があります。」 (ヨハネ 16章33節)と聖書は語ります。
「しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネ 16章33節)と語ってくださる神様が、勝利の主があなたと共にいてくださいます。
もう一度お読みします。
「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。」(詩篇23篇1節)
ではまた聴いてください。
(PBA制作「世の光」2010.1.8放送でのお話しより)
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