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鉢呂経産相「死の町」発言を撤回

2011-09-10 07:10:58 | 福島原発事故
鉢呂経産相「死のまち」発言を撤回、陳謝(朝日新聞) - goo ニュース

鉢呂吉雄経産相が8日野田首相と福島原発周辺の市町村を視察した後、9日の閣議後に
その市町村を「死の町」と述べた事については既に当人による発言の撤回と陳謝がなされた。
これで一件落着になるか野田首相の任命権者としての責任まで追及されるかは判らない?

「死の町」と発言しただけでこれだけのバッシングになる根本はなんだろうと思っていた。
市井の年金生活者の浜爺が旧社会党上がりか崩れの民主党鉢呂経産相を擁護する気も無ければ義理も無い。
しかし福島第一原発付近で地域住民が一人も居なくなった町を「一体何と表現すれば適切であったのだろうか?」
「ゴーストタウン」「無人の町」「死者の町では内容が違う」「廃墟も内容と違うだろう」
まあ一般論で報道関係のレポーターが「市街地は人っ子一人居ない、まさに死の町という形」と表現したとして一寸厳しい表現かもしれない。
原発事故を管理監督してきた主務官庁の大臣として被災地の住民の立場に立てば「心無い発言である」しかし1億2千万人の日本人に対し事故に伴う放射能の危険を警鐘する発言であればその指摘する所は「まさにその通りなのであろう」
「怪我をして痛がってる人の様子を見に行き、ああ傷は深いなー」なんて言えば直る人も直らなくなってしまう。
一方、未だに周辺町村或いは風向きで70キロも離れているところで高濃度の放射能が検出されていたり狭い範囲ではホットスポットがたくさんある事を考えれば「住民撤退後の町を死の町」との表現が極端な間違いとはどうしても思えない。それを認識したなら「どう元に戻すのか?」その計画を十分に付け加えなかったのでバッシングとなったのか?
心遣いに重点を置けば「けしからん」話だが実情はどうかと言えば「死の町」なのだろう。但し鉢呂経産相がどれほどの決意で語ったかはわからない。

この話が出た後、前日の夜議院宿舎に帰り着いた際、防災服を記者の一人にすりつけ「(放射能を)うつすぞ」と振舞ったそうだから一市民としての感性は相当低い。
その話と「死の町」発言がつながると鉢呂経産相は資質に問題があるだろう。

自公時代にも柳沢厚労相が「婦人を生む機械に喩えた」と非難された。安倍首相は辞任要求に応じなかったが支持率低下の原因となった。でも本当の問題は特殊出生率を高めに偽った事が問題で、その事は国会での謝罪で済んでしまった。
政治家は私人で無いので「言葉を慎重に選び不要な誤解や怒りを買わないようにする見識が必要である」
一方マスコミは「発言の真意が何であるのか?!」を分析して報道しないと「言葉尻を捕らえての大臣狩り」になってしまう。
真実は中々見えにくい。


朝日新聞:
鉢呂吉雄経済産業相は9日午後の記者会見で、視察に訪れた福島県の東京電力福島第一原子力発電所の周辺市町村について「死のまち」と述べたことについて、「被災者の皆さんに誤解を与える表現で、真摯(しんし)に反省する。表現を撤回させていただき、深く陳謝を申し上げる」と語った。

 鉢呂経産相は午前中の記者会見で、前日に野田佳彦首相の同行で訪れた原発周辺自治体について、「市街地は人っ子一人いない、まさに死のまちという形だった」と述べていた。

 鉢呂経産相は午前の会見で、「福島の汚染が経産省の原点ととらえ、そこから出発すべきだ」「現場の作業員は予想以上に前向きで、活力を持って取り組んでいる」という発言もしており、午後の謝罪の会見では、「表現が十分でなかった」「全体の私の思いは皆さんにも理解いただけると思う」と述べた。
(引用終わり)
コメント (2)
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