王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

ロシア大統領 国後島を訪問

2010-11-02 08:47:51 | ロシア関連
ロシア領としての発展強調 大統領、返還拒否明確に(共同通信) - goo ニュース

昨日1日ロシアのメドベージェフ大統領が日帰りで国後島の訪問を終えました。
ソ連邦以来ロシアの国家元首が北方4島を訪れたのは初めてのよし。
訪問中「島民の生活水準を本土並みに引き上げる」とアッピールしたのはとも角、
北方領土は返還に応じない」との強い意思表示との見方が有力です

先月来の「尖閣列島での菅政権のへタレ振りを捉えて、北方4島を終戦後に占領した事実をロシアの元首の国後島訪問で実行支配の事実を見せ付ける」と言う事のようです。
加えて「中ロの二国で日本に対し領土問題では譲らない」との密約が有ったとか無かったとか?!

千島列島は昭和20年(1945年)8月15日までは「日本の領土」でしたが8月15日(ポツダム宣言受諾)敗戦日以降旧ソ連軍が軍事行動を起こし武力占領したものです。
スターリンはソ連軍による短期急襲で米軍の北海道本土進駐以前に東海岸一帯(知床、釧路、根室)を確保し北海道の東半分の割譲を米国に要求する積りでした。
さて同年8月18日千島列島の最北端の島である占守島を急襲しました。
折から武装解除準備中の日本軍はありあわせの武器で激しく抵抗21日に日ソ軍の休戦協定が成立した。これによってソ連軍の北海道急襲は大幅に送れ(米軍の北海道進駐が進み)島伝いに侵攻を進め北方4島の歯舞諸島を占領したのは何と何と?東京湾で日本対連合軍の降伏文書調印式のあった9月2日であった。

占守島の勇戦で北海道のソ連による占領は免れたが帝国陸軍の負け方を知らない降伏指導が後の北方4島の火種を残した。
当時千島列島と北海道本土の防衛は陸軍第五方面軍の管轄であった。
降伏受諾後、連合軍の命令は北海道の軍は米軍に、千島列島の軍はソ連軍に降伏せよ!と言う事であった。

さてここで北海道とは何処まででしょう。
降伏とはその前に停戦(戦闘行為を止める)そして武装解除と繋がるのです。
8月15日以降戦火の収まらない千島列島を知り連合軍(米軍)は日本軍中枢部を怒鳴りつけ第五方面軍はそのツケを回され只々千島列島駐在の日本軍に降伏指導を続けた。
残念ながら第五方面軍の指導部の誰もが「北海道」とは何処までと考えもしなかったのでしょう?!

千島列島はロシア(ソ連)と日本の間に江戸末期日露和親条約が友好裏成立し国境線が引かれていたのです。
負け戦を知っていれば軍中枢の指導は「ウルップ島以北の日本軍はソ連軍に択捉島以南の軍は米軍に降伏せよ」と明示すべきでした。
喧嘩過ぎての棒ちぎり、出し遅れの証文ですが「敗戦のドサクサとは言いながら知恵が無さ過ぎました」

さてサンフランシスコ条約で千島列島の主権は放棄させられました。しかしその管理は条約締結国の合意で定められる主旨です。
米国の理想主義は「戦争による領土拡大を認めていません」
それに対しソ連/ロシアは「実効支配」を示さないとソ連邦崩壊後幾らか小さくなったロシア(連邦)内の異民族に対する締め付けが効きません。

菅政権の体たらくは内政不振の外交への反映です。つまり日本国民が中ロにおちょくられているわけです。
国後島の暮らしぶりが写りましたが戦後のバラック(ボロ兵舎)並みの町並みです。
ロシアにあの町並みを改善する力が有りますかね? 
やがてロシア(連邦)は民族自決の流れで更に分裂せざるを得ないでしょう。
その時まで根強く日本は北方4島の返還を求めて行かねばいけません。
時間のある方はカテゴリー「ロシア関連」或いは四島返還の骨子についてはここをご覧あれ。


共同通信:
【ユジノサハリンスク共同】ロシア国家元首として初めて北方領土を訪問したメドベージェフ大統領は1日、訪問先の国後島で、ロシア人住民が島にとどまれるよう生活水準を「ロシア中央部並みに引き上げる」と述べ、ロシア領として島を発展させていく強い決意を表明、日本の返還要求に応じない姿勢を鮮明にした。タス通信などが伝えた。「わが国固有の領土」との立場を取る日本政府は厳しい立場に立たされた。
(引用終り)
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