不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

中国残留孤児の帰国

2005-11-24 18:42:49 | 中国関連
2005年度に中国残留孤児と認定された5人のうち4人が24日、一時帰国し、もう1人の高知県在住の三谷都美恵さん(中国名・張淑芝)=推定(65)=とともに東京・霞が関の厚生労働省内で記者会見した
早く肉親が見つかると良いが対面調査の予定は目下一人らしい
爺は孤児の記事やニュースを見聞きするたびに身につまされる 孤児の推定年齢が爺と似たようなものだから 同級生や会社での同僚の中にも満州生まれや引上げの時えらく歩いたとの記憶を持っていた友人がいた 20年位前は60人ほど帰国して40人以上が肉親と再会できた 関係者と共にテレビの前で一喜一憂した
思えば孤児も老齢化した 肉親は推定年齢に20歳をたしても85歳更に老齢化が進んでいる なんとか見つかって欲しい 

思い出して欲しい 昭和の始め関東軍による張作霖の爆殺・満州事変ついで日華事変・大東亜戦争へ 昭和20年関東軍の主力は内地に移動、数を誤魔化す為在満の
在留邦人から男手全てを現地応召して武器もろくに無い兵に仕立てた 彼らは戦後全員シベリア抑留に 8月8日ソ連軍の侵攻 満州北辺に張り付くように展開した開拓に取り残された老人・婦女子・乳幼児は着の身着のまま命からがら牡丹江へ、ハルピンへ、長春へ、瀋陽へと逃避行を行ったのである ある時は竹槍で、石で攻撃され止められて略奪され,長い道のりを歩き、はだしで氷の河をわたりの帰国行であった 国も軍も男も守ってくれない老人と婦女子とその結果取り残された乳幼児である その責任は関東軍にある 

最近防衛庁を防衛省に格上げとか騒いでいるが誰の為に何を守ろうとするのか 関東軍の遺伝子は引き継いでいるのである 話は変わって残留孤児は年齢制限があって昭和20年の時点で16歳以上(不確か?)の者は自己の意思で中国に残ったものと見做すとして孤児認定の対象にならない あの混乱の最中に何を持って自己の意思だ 厚生省官僚の冷たさを知るべし 軍も最大の官僚群である 繰り返す肉親が見つかって欲しい



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする