西成区長を“兼務”するとは橋下市長には恐れ入った

橋下市長:西成区長“兼務”で「直轄区」の構想


 来年度の公募区長任命を目指す大阪市の橋下徹市長が13日、記者団の取材に対し、生活保護などさまざまな問題を抱える西成区は自身が区長の役割を兼務して「直轄区」とすることも検討していることを明らかにした。また、全体の応募者が12日夕時点で1295人に達していることを受け、今年4月の任命は事実上不可能との見方を示した。応募は更に増加するとみられ、任命は早くて6月、遅ければ10月にずれ込む見通し。

 橋下市長は「西成を変えることが大阪を変える第一歩。責任者は僕がやるのが筋かと思う」と言及。西成をどう変えるかについて「お金と人を使って、とことん政治の力を注入しないと街なんて簡単には変わらない」と述べ、重点的に取り組む考えを示した。

 西成区には日本最大の日雇い労働者の街・あいりん地区がある。生活保護率は23%と24区で突出して高い。【茶谷亮】




「西成を変えることが大阪を変える第一歩。責任者は僕がやるのが筋かと思う」にはしびれるな。恐れ入った。すごいとしか言いようがない。橋下市長の政治は私の想像を超えている。
 一歩間違うと破綻するかもしれないぎりぎりの政治を断行している。橋下市長は危険や失敗を恐れていない。

 区長の応募者が1295人に達している。多くの国民が橋下流政治を待ち焦がれていたことがわかる。民主党には完全に裏切られたが、それでも国民は日本を変革する政治家を待ち望んでいる。それが橋下市長の圧倒的な支持になり、区長候補に1295人の応募があったことや、維新の会の政治塾にも多くの入塾希望者が集まったことに現れている。

 大阪から政治改革が起こり、それが全国へと広がっていく。それが現実のものとなりつつある。数年したら大阪維新の波が沖縄にやってくるかも。
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台湾が中国を民主化する

<台湾総統選>中国本土で「民主化への憧れ」高まる=当局は情報遮断しなかった!


2012年1月15日、台湾総統選(14日投開票)に向けた一連の選挙戦は、中国本土でも非政府系のポータルサイトを中心にリアルタイムで報じられ、ネットユーザーらに「民主政治の良さ」を見せつけた。米ボイス・オブ・アメリカが伝えた。

台湾総統選に関する報道は、4年前の前回は中国当局が完全に遮断したため、本土ネットユーザーはこっそりとインターネット検閲システムをかいくぐり、海外のサイトで情報を得るしかなかった。だが、今回は遮断されなかったばかりか、中国中央テレビ(CCTV)や国営新華社通信といった官制メディアでもわずかながら報じられたほか、新浪、網易、捜狐、騰訊などの非政府系ポータルサイトにも連日、特集記事が掲載された。

本土ユーザーの関心度は非常に高く、ミニブログなどのソーシャルメディアでも活発な議論が交わされた。その多くは台湾の民主政治の良さを称賛するもの。再選を果たした馬英九(マー・インジウ)総統に敗れた野党・民進党の蔡英文(ツァイ・インウェン)主席が敗北宣言で「台湾には反対を唱える声が必要」と述べたことにも感動の声が上がった。

こうした動きについて、深セン大学の張涛(ジャン・タオ)教授は「台湾の選挙制度や台湾の人民が享受する民主政治が中国本土の進むべき目標だと感じる人が増えている。我々は当然、誰もが中国本土の民主化を望んでいる」と指摘。

また、北京の弁護士、程海(チョン・ハイ)氏も「台湾の民主制度の成熟ぶりを見せつけられた。本土の民衆は自然に羨望と憧れの念を抱いた」とし、「本土でも民衆が立ち上がって自らの権利を行使しようとすれば、民主化も遠くないかもしれない」と話した。(翻訳・編集/NN)




中国は、台湾は中国であると宣言し、台湾を中国に取り込もうとしているが、中国の思惑通りにはいかない。なぜなら民主主義はしたたかに強いのだ。軍事独裁国家から民主主義国家となった台湾には後戻りはない。民主主義を発展させていくだけだ。中国共産党が台湾を社会主義化するのは不可能だ。台湾を取り込もうとすればするほど台湾の民主主義が中国の内側に浸透していく。それが民主主義のすごさだ。
 
中国当局の弾圧に米国へ亡命する中国の民主化活動家もいる中で、25万人以上の台湾人が今度の台湾総統選に台湾に戻った。彼らは投票した後に中国に戻った。そして、彼らの活動は台湾の民主主義を中国に浸透し続ける。

 中国の共産党一党独裁支配は次第に崩れていく。それが歴史的運命だ。
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ミャンマーの民主化は進む





解放のミャンマー元首相「自由を感じている」


 【ヤンゴン=深沢淳一】ミャンマーのテイン・セイン大統領による恩赦で自宅軟禁から解放された同国のキン・ニュン元首相(72)は14日夜、ヤンゴンにある有名な仏教施設「シュエダゴンパゴダ」を家族らと訪れ、読売新聞に「自由を感じている」と語った。
 キン・ニュン氏は軍政時代、民主化勢力に理解を示す穏健派の首相として知られ、人事抗争で2004年に失脚、自宅軟禁下に置かれた。
 パゴダでは孫の手を引き、院内を1時間半ほどかけてゆっくり歩き、仏像に祈りをささげた。周囲には「政治復帰はしない」と語ったという。
(2012年1月16日09時48分 読売新聞)

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 政治犯がまたも解放された。ミャンマーの民主化は加速化している。信じられないことであるが、ミャンマーの民主化は進んでいる。
 アメリカは大使派遣を準備している。クリントン長官は「米国は行動には行動で応じる」と述べ、、関係正常化に動き出した。

 ミャンマー政府当局者は13日の時点で、NLDが釈放を求めている政治犯は591人で、全員が御社の対象なったと述べている。
 ミャンマーの民主化は本物だ。

 気になるのはシリアだ。デモ弾圧の死者は5千人を超えたという。アラブ連盟はもっと強い圧力を加えるべきだ。シリアに武器を売っているロシアを世界が非難するべし。
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基地の金網に囲まれた古堅小学校




「アメリカへ米軍基地に苦しむ沖縄の声を届ける会」の訪米団団長の山内徳信氏は長年読谷村長を勤めた人である。同じ参院議員の糸数慶子氏も読谷村出身である。ひとつの村から二人も国会議員が居るのはすごいことである。
 読谷村は昔から革新の地盤である。保守系の政治家が村長になったことはないし、国会議員になったこともない。いわゆる、読谷村は革新の砦である。去年9万人(主催者発表)県民大会をやった村として記憶にある人もいるだろう。
 山内徳信団長は「新しい基地を造らせないと、県民が反対し、県議会が全会一致で決議しても政府は造るという。一体、これは民主主義社会の政治、外交なのか。一番大事なのは県民の民意だ」と政府を批判した。

 社民党は旧社会党の中のごりごりの社会主義である。柔軟な社会主義の政治家は民主党に合流した。旧社会党は、昔は北朝鮮を理想国家であるといっていた。在日朝鮮人の北朝鮮への移住を積極的にバックアップしたのが旧社会党であった。北朝鮮はいわゆる社会主義国家であり一党独裁の国である。
 中国、旧ソ連、北朝鮮などの社会主義国家を支持していたのが共産党、旧社会党であり、沖縄の社会大衆党(社大党)であった。彼らは米軍基地の駐留に反対しているだけではなく、資本主義の自由主義経済に反対していた。いわゆる反米主義であり、親社会主義国家であった。

 米軍基地があるから沖縄は戦争に巻き込まれると革新政治家は昔から主張していた。子どもの頃はそれを信じていた。沖縄を攻撃する国は中国だと信じていたが、不思議なことに革新政治家は中国が攻撃するとは一言もいわなかった。
 学校の先生は中国のような社会主義国はアメリカのよう恐慌がないとか、政府が農民のために十年計画をやるから豊かになるとかと中国を誉めていた。先生も革新政治家も中国の悪口は言わなかったから、中国が沖縄を攻撃することはないだろうという考えと革新政治家が米軍基地があるから沖縄は戦争に巻き込まれると言っているので、沖縄を攻撃するなら中国しかないという考えが交錯して、どのように理解すればいいか分からないで高校の頃は悩んだものである。

 大学に入ってからソ連、中国、北朝鮮などの一党独裁国家である社会主義社会には民主主義はないということがわかった。沖縄の革新政治家の発言には見せかけの民主主義はあるが、本当の民主主義はないことがわかってきた。アメリカは労働者を搾取する資本主義であり、帝国主義国家であり、民主主義国家とは認めないのが沖縄の革新政治家である。

 元読谷村長である 山内徳信団長は、「新しい基地を造らせないと、県民が反対し、県議会が全会一致で決議しても政府は造るという。一体、これは民主主義社会の政治、外交なのか。一番大事なのは県民の民意だ」と述べている。県民が反対し、県議会が全会一致しても国が辺野古基地をつくるのも民主主義である。県民は北朝鮮、中国を、そしてアジア情勢を真剣に考えた上で反対しているのか、沖縄の革新政治家は日本・アジアのことを真剣に考えているのか。政治家や知識人は県民にアジア情勢を正確に伝えているか。

 鳩山元首相は首相の立場になり日本全体、アジア全体を見なければならない立場に立った時、自分の論理が覆され、「県外移設」を断念しなければならなかった。普天間基地問題は沖縄県の側からだけで判断できるものではない。普天間基地問題は日本国・アジアの問題であり、普天間基地が必要であるか否かを判断するには日本国の最高責任者である首相の立場に立たなくてはならない。
山内徳信団長は「一番大事なのは県民の民意だ」というが普天間基地は「県民の民意」で決められるようなものではない。国全体で決めなければならない問題だ。国民世論では県内移設に賛成が過半数を超えている。「県外移設」に賛成する国民は10%くらいだ。自分の県に移設していいと思う国民は恐らく0%に近いだろう。
 辺野古区だけは全国の中で唯一普天間基地の移設を受け入れていることを忘れてはならない。


 読谷村に古堅小学校がある。9万人県民大会が行われた読谷飛行場の南側にある小学校である。昔は小中学校であり、私が九年通った母校である。








 見ての通り古堅小学校は金網に隣接している。右側が古堅小学校の運動場で左側が基地である。金網の上のほうは三本のバラ線が引いてあり、飛び越えようとするとバラ線の棘に傷つけられる。しかし、野球やバレーなどをやっていると、ボールが金網を飛び越えて入ってしまうことがある。その時には金網を越えてボールを取りに行かなければならなかった。バラ線をテントに使うカバーのような厚い布で覆ったりして、飛び越えるのを工夫したものだ。何度も金網越えをやった。金網越えは犯罪行為であるが、犯罪行為をやらなければならない学校であった(苦笑)。

 この写真には三本のバラ線を捲いているバラ線が見える。前より飛び越えるのが難しくなったようだ。
 

 小学校の西側である。向こうに見えるのがトリイステーションで勤務しているアメリカ兵の宿舎である。アメリカ兵たちは向こう側から下りてきて、上の写真の左側のビルで仕事をする。そのビルには窓がない。分厚くて不気味な大きい建物である。
 トリイステーションはアジア最大の通信基地である。アジアや世界からの情報が不気味な大きい建物に集まると子どもの頃から聞いていた。アメリカ軍にとって不気味な大きい建物は非常に重要なものであり、建物の下は核シェルターがあると子どもの頃には噂したものだ。子どもの頃には夕方になるとカービン銃を肩に掛けたガードマンが軍用犬(シェパード犬)を連れて見張りをしていた。

 基地に隣接する小学校としては普天間第二小学校が有名であるが、古堅小学校は普天間第二小学校より金網に囲まれている。

「新しい基地を造らせないと、県民が反対し、県議会が全会一致で決議しても政府は造るという。一体、これは民主主義社会の政治、外交なのか。一番大事なのは県民の民意だ」と山内団長は主張する。しかし、山内団長の民主主義思想を疑う。
 
 山内団長の民主主義思想を疑うのは、山内団長は長い間読谷村の村長を勤めたが、村長時代に古堅小学校を移転しなかったからである。現在も、山内団長は米軍基地のせいで沖縄の人々が苦しんでいると主張しているが、古堅小学校が米軍基地の金網に囲まれていることには平気なようである。

 民主主義の根っこには子どもの人権を守ることがある。楚辺から古堅小学校は遠く、楚辺の小学生は毎日長い坂を上り、トリイステーションの前を通って古堅小学校に通っている。
 楚辺の子どもたちにとって古堅小学校は通学に不便である。そして、小学校の半分が金網に囲われている。このような異常な状態を放置している山内団長に民主主義思想は欠落していると考えざるをえない。

 米兵による交通死亡事故の時はトリイステーションで猛烈な抗議大会をやった。渡米には被害男性の遺族関係者も同行するようだが、山内団長も糸数参議員も古堅小学校が基地に隣接している問題は放置したままである。

 革新政治家をつきつめれば反米主義である。米軍基地に反対しているのも反米主義だからであり、純粋な反戦・平和主義だからではない。
 山内団長と糸数参議員は辺野古への移設に反対しているだけではない。沖縄の全ての米軍基地に反対である。山内団長と糸数参議員は全ての米軍基地に反対であることを主張するべきであり、「新しい基地を造らせない」と他の基地は容認するような発言をするのは間違ったメッセージである。

 アメリカ軍が沖縄に駐留している理由は社会主義国家の中国と北朝鮮が存在しているからであるとアメリカは考えている。山内団長、糸数参議員はアメリカの主張に反論できるだろうか。中国は安心できる国であり、決して日本や沖縄に迷惑になるようなことはしない。だから沖縄に米軍基地は必要でないと主張するだろうか。それはあり得ないことだ。山内団長、糸数参議員の口からは中国や北朝鮮のことは一言も出ないだろう。沖縄県民か基地被害で苦しんでいる、辺野古への移設反対は県民総意であるとアメリカとはかみ合わない話をするだけだろう。

 なんの効果もないアメリカに行くより、古堅小学校の移転を考えてほしい。

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悲しみが嘆いてくねり冬がゆく・1041句~1042句

1041句






1042句







夜11時30分
コザの仲ノ町に行く。
仲ノ町の薬局の近くにある
「スナック優香」
ひとり娘の名前だ。
「集い」
昔、好きな女が居て
よく通ったスナックだ。
「アメジスト」
営業したり
しなかったり
今日は営業をしていた。
ヤエさんが
歌がうまいのを初めて知った。
「たむん」
ウチナー方言で薪のことだ。
ジュンちゃん一人でやっている。
「ちゃん」といってもおばさん年齢だ。
仲ノ町仲通りの
「心酔」は、
着くやいなや閉店だった。
仲ノ町を下って、
あるスナックに行ったが、
閉まっていた。
ゲート通りを横切り、
一番街に行く。
開いているスナックはなかった。
仲ノ町に戻る途中で
ゲート通りの真ん中で、
若いアミリカーに捕まる。
アミリカーの
写真を撮っているのを
怪しんだのだ。
英語を話せない酔っ払いのおっさんと
日本語を話せない若いアミリカーと
しばらく押し問答。

仲ノ町から
ゴヤの飲み屋街に
移動する。
どこか知らないが、
若い美人のスナックがあった。

ゴヤからコザ十字路に
移動する。
開いているスナックは
ひとつもなかった。
コザ十字路近くの、
二十年通っている
二十四時間の食堂
に行く。
なにを食べたか
覚えていない。

タクシーに乗り、
家に帰る。


1041句の原画





1042句の原画




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