新聞には書かない復帰運動の裏


 辺野古岬から見える与論島で松明を燃やし、「あれが母なる本土の火」だと毎年新聞に載ったものだ。お涙ちょうだいのセリフに高校生だった私は苦笑したものだった。母なる祖国、祖国のふところへ抱かれるなどと祖国への郷愁はとても強いものだった。このような復帰運動を主導したのは教員や公務員たちであった。

 復帰前に教師が広めた運動で最近の新聞には掲載されなくなったものがある。
 そのひとつは日の丸運動だ。学校の行事には必ず日の丸が掲揚された。教師たちは学校だけでなく家でも日の丸を掲揚するように指導し、新正月になると全家庭が日の丸を掲揚するようになったものだ。復帰前は私の村では旧正月をする家庭が多かったから、新正月は日の丸を掲揚するためにあるようなものであった。
 日の丸とくれば君が代である。小学生の時から君が代は徹底して教えられた。運動会、新入会、卒業式など学校の行事の時は必ず日の丸掲揚と君が代斉唱をやった。

 祖国復帰するまでは日の丸掲揚と君が代斉唱は必ずやったが、復帰後はやらなくなったようだ。復帰から15年ほど過ぎたときに高校生が日の丸を引きずり落としたのには驚いた。教師や公務員にとって復帰をすれば日の丸や君が代は不要なものになったようだ。

 「本土復帰すれば核も基地もない平和で豊かな沖縄になる」というのが革新政党のうたい文句だった。広大な嘉手納基地があり、ベトナム戦争中であり、沖縄に米軍基地があるのは中国や、ソ連とアメリカの一歩も譲れない対立状態があり、キューバ危機もあった。とてもじゃないが祖国復帰すれば米軍基地が沖縄から撤去するはずがないと私は思った。映画好きで日本映画を見ていた私は日本が黄金卿ではなく貧乏人もたくさんいるのを知っていたので、復帰すれば「平和で豊かな沖縄」になると信じることはできなかった。

 高校生の私は、「本土復帰すれば核も基地もない平和で豊かな沖縄になる」はホラだと苦笑し、政治というのはホラを吹いて支持者を集めるものだと思っていた。

「多くの県民が願ったのは、米軍支配の人権抑圧から解放されて、平和憲法下で日本人としてともに生きる社会の表現だった」というのはきれい過ぎるな。というより、事件・事故の場合はアメリカ兵が無罪になることが多かつたが、日々の生活の中には「米軍支配の人権抑圧」はなかった。むしろ戦前に比べれば沖縄の人々は自由になったのであり、市民革命前のカダフィ大佐が支配していたリビアやタリバン時代のアフガンのように、アメリカ人が沖縄人を弾圧するようなことはなかった。沖縄の人間は戦前に比べて自由になったというのが事実だ。


 「平和憲法下で日本人としてともに生きる社会」の説明を理解できるのは知識人であり、私の母のような庶民は「平和憲法下で日本人としてともに生きる社会」なんて全然理解できなかったから、ただ時代の荒波に流されて生きているだけで、本土復帰するか否かの問題に興味を持つことはできなかった。
 ただ、「本土復帰すれば核も基地もない平和で豊かな沖縄になる」と日本政府もアメリカ政府も約束していないホラを聞けば無学な母でも祖国復帰を望むのは当然である。

 新聞はほとんどの県民が復帰を望んでいたような表現をしているが、実際はそうではなかった。沖縄の経済界は時期尚早であると祖国復帰に反対した。本土の経営者がいない沖縄でこつこつと成長してきた沖縄の経済界は復帰をすれば本土企業に潰される恐れがあったからだ。実際に復帰してから本土企業の進出で多くの沖縄の企業は潰された。コザ市のアメリカ人相手に商売をしている人たちが復帰に反対して、デモをやったこともあった。しかし、デモなどをやるほどの生活の余裕はなかったので一回くらいしかやらなかった。


 今年は八重山教科書問題をじっくりと検討しようと思う。はたして、育鵬社の教科書を読んで愛国心や天皇、自衛隊などの存在を重視する国家主義的な色彩が濃いかどうか検証してみよう。育鵬社版でも日本憲法の説明を基本としている。日本憲法にのっとって説明しているならば国家主義的な表現になるはずがない。

 沖教祖委員長は、育鵬社版の憲法改正ができるという表現を引用して、憲法を改正して自衛隊を軍隊にしようとしている。だから育鵬版は軍国主義であると述べていたが、これは沖教祖委員長の完全な誤りだ。

 4月になり育鵬社の教科書が石垣市と与那国町の中学で使用するようになってから育鵬社版反対者がなにを言うか楽しみだ。多分、過激な発言は控えるだろうな。教科書は彼らがいう内容のものではないからだ。
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進路指導より基礎学力養成が重要




 業者がでテストをして偏差値を出して志望高校の合格率を判定するのが席巻していた時代があった。偏差値というのは少数の生徒のテスト成績にばらつきが出る。それを大多数の生徒が受けたのに匹敵するような波線をつくり、偏差値を出して、高校の合格ラインを判断するものであった。
 偏差値は高校の合否判定にかなり有効であったが、偏差値で生徒の進路を決めるのは生徒の自由な選択を阻害するものであると学校の教師は猛反発した。この騒ぎは沖縄でも起こった。

 偏差値について研究したが、塾で50人くらいの生徒にテストをさせても、コンピューターで偏差値を出して高校合否判定の予想を出すことができた。偏差値は進路志望にかなり役立つものであった。偏差値の開発者も学校の教師が高校の合否判定の参考にするのを目的でつくったのだが、教師たちより業者や学習塾の方が偏差値を積極的に使ったので、教師たちの進学指導の権威が落ちた。教師たちの権威を回復するために偏差値廃止を主張したのである。
 学校の教師は偏差値を有効利用することができなかった。

 学習塾で進路指導をやっていたし、浪人生を教えたから教師の進路指導のいい加減さがわかる。

 学校の教師が偏差値を否定する理由に、「偏差値で生徒の志望高校を決めるのは生徒を縛ることになり生徒がかわいそうである」と言い、「私たちは生徒には志望校を自由に選択させる」と主張した。

 とても立派な主張なのであるが、教師は決して生徒の志望する高校に「合格」させるとは言わなかった。だから、A高校に確実落ちる生徒も「頑張れば合格する」と言って受験させた。
 A高校に進学志望している生徒がいたが、成績が悪く、A高校は確実に落ちると予想できた。私は浪人してもA高校に進学したいかと聞いたらね生徒は浪人はしたくないと言った。浪人をしたくないならA高校を諦めて別の高校に変更するように進言した。しかし、生徒は「先生が、頑張れば合格すると言っていた」と言って、私の進言を拒否した。あの頃は成績が悪い生徒がどんでん返しで合格することはなかった(今もそうだと思う)。
 なぜなら、十段階の通知表の成績とテストの結果を相関表に載せて合否判定をしたからだ。通知表の成績が悪いとかなり不利であるのと、通知表の成績も中間・期末テストの結果が90%影響した。だから通知表の悪い生徒は二重に不利であり、奇跡的に合格するというのはあり得なかった。その生徒もテスト成績が悪かった。

 中学の教師は生徒に高校の合否判定のやり方を教えないで、「頑張れば合格する」と生徒の志望する高校を受験させた。
「頑張れば合格する」と言われて、二学期に入塾して来る生徒も多かった。通知表の成績を見れば、確実合格ライン、ギリギリライン、確実に落ちるラインが分かる。

 生徒の通知表を見て、「確実に落ちる」というと、「学校の先生は頑張れば合格するといったのに、なんでたかが塾の人間がそんなことが言うのか」と怒られることが毎年の行事だった。通知表の成績で1の生徒は確実に合格できない高校もあった。塾は高校の裏情報も掴んで進路指導をしたが学校はそうではなかった。

 小中学校の教師はペーパーテストだけが学力ではないと強調し、ペーパーテストの成績が悪い生徒を放置しているが、高校の合否判定は90パーセント以上はペーパーテストの成績で決定する。その事実を中学の教師は説明しない。説明をすれば親たちはぺーぱーテストの成績に神経質になるからだ。

 「以前は進学担当の先生は、近所の高校の受験者層や合否ラインなど、生きた情報を収集し、生徒の志望校に応じアドバイスしていた」というがあやしいものだ。進学指導しようにも資料は通知表の成績だけであり、指導する材料が少ない。偏差値があればもっと指導できるはずであるが今はそれがない。学校の教師が的確に進路指導するのは難しい状況にある。

 現在は全員が高校進学する時代になっている。できるだけ不合格者を出さないために二次募集もある。それが影響して教師の指導を望む親も減ったと思う。
 塾に相談するような生徒は大学進学希望者が多く、大学進学のための高校選びは重要になる。そのために塾に相談するだろうが、それは昔から多かった。
 
 安田教育研究所の安田代表は、「公教育である中学校での進学指導の役割が再検討される時期にきている」と指摘しているが、全員が高校進学できるようになった現在でもっと需要なことは基礎学力養成である。
 高校が少ない時代に中学を卒業すると社会に出て仕事をしていた生徒が今は高校に進学する。多くの基礎学力のない生徒が高校に進学する時代になった。それなのに時代に合わせた教育をしない中学は多くの落ちこぼれを出している。落ちこぼれた生徒が高校に進学しても勉強することができない、落ちこぼれていくだけだ。そんな生徒は中退したり遊びまわったりするだけだ。

 中学の大きな課題は全ての中学生に高校の勉強ができる学力をつけることである。北谷高校に成績の悪い生徒を集めるフューチャースクールをつくろうとしているが、基礎力のない生徒だけを集めた教育はイギリスやフランスなどで失敗している。フューチャースクールはうまくいかないだろう。

 基礎力養成は小学一年生から徹底してやるべきである。そうすれば高校で勉強できない生徒は激減する。

 中学の役割は進路指導ではなく、全生徒が高校で勉強できる学力をつけることである。
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温もりを求めて走るさびしさや・1010句~1012句

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