国家の第一は民主主義である。美しさとか品格はまやかしの国家論である。新聞に掲載されている論文を中心に批判する。
品格より民主そして自由
腐敗トップを闘争で追放、中国の村「自治」獲得
中国広東省の烏坎(うかん)村で、不正と横暴を続けた村幹部を住民らが3か月に及ぶ闘争の末、更迭に追い込んだ。
今月15日には、住民代表を務めた男性が村トップの共産党支部書記に任命された。住民運動の指導者が書記になるのは極めて異例で、地方政府の汚職に悩む各地から「烏坎に学べ」の声が上がっている。
「信頼できる指導者が書記になって良かった。もうすぐ初めての選挙もある」。21日に烏坎を訪れると、村民たちは口々に喜びを語った。
党の上部組織は15日、闘争の間、住民代表を務めた党員、林祖恋さん(65)を村党支部書記に任命した。闘争時に過激な行動に走らせずに党との橋渡し役を務め、事態を収拾した手腕が買われたのだ。
林書記のもとで、村の土地・財産の管理や公共事業などを行う村民委員会の役員を決める選挙も3月1日に実施されることになった。
中国では、国から地方の末端まで党組織が張り巡らされ、村民委は村党支部の指導下にある。1988年からは、村民委主任(村長)ら役員を選挙で選ぶ方式も始まったが、人口約1万2000人の烏坎では昨年まで40年以上、選挙もないまま、有力者2人が書記と村長に就いてきた。
「2人に刃向かえば、警察や役所など公権力を動かして介入し、とても太刀打ちできなかった」と村民は話す。
書記ら幹部は90年代から村民に無断で村の土地の使用権を次々と売却。最終的には耕地の約9割が人手に渡り、工場建設やリゾート開発などが進んだ。売却益は分配されず、書記らだけが私腹を肥やした。村民によると、2人は高級外車を乗り回し、香港に豪邸も建設、香港の銀行には多額の預金があるという。
都市部の出稼ぎから戻った若者たちが2009年から、村の上位組織に当たる陸豊市などに陳情を繰り返したが、取り合ってもらえなかった。「古里で家庭を築こうと戻ってきたら耕地がなくなっていた。魚も海洋汚染で激減しており、これでは生活が成り立たない」と、若者(27)は言う。
運動は村全体に広がり、昨年9月には村民と治安部隊による衝突が発生。村民らは村幹部を追放し、自治組織を結成して抗議を続けた。12月には当局側が若手指導者ら5人を逮捕。その一人、薛錦波さん(42)が拘束中に死亡したことで対立が激化した。村民は村に入る道路を丸太で封鎖し、当局側も武装警察を配備して村を包囲、緊張が高まった。
若者たちは闘争の様子をネットで発信。国内外で解決に向けた圧力が高まるなか、広東省当局は12月下旬、党幹部を村に派遣して自治組織を暫定的に公認、土地問題の調査や薛さんの死因究明を約束して事態を収束させた。
(2012年1月24日16時28分 読売新聞)
広東省当局の党幹部を村に派遣して自治組織を暫定的に公認したとしても、結局は共産党支配に変わりはない。広東省のトップをひきずり下ろすくらいにならないと中国は変わらない。
烏坎(うかん)村の民主化運動が広がるかどうかが問題だ。
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沖縄の反戦・平和、人権主義は本物か
![](http://img03.ti-da.net/usr/hijai/23%E5%B0%96%E9%96%A3%E3%81%AF%E6%A0%B8%E5%BF%83%E7%9A%84%E5%88%A9%E7%9B%8A.jpg)
【北京時事】チベット人権団体によると、中国四川省で23日、治安部隊がチベット族住民のデモ隊に発砲し、1人が死亡した。
1949年、東隣りに中華人民共和国という国ができました。
毛沢東という指導者が北京で「チベットを解放するぞ!」と宣言したのが、チベットの終わりの始まりです。
圧倒的な武力でチベットはすぐに陥落し、1959年、指導者のダライ・ラマ14世(→)がインドに亡命。北インドのダラムサラにチベット亡命政府を樹立しました。
チベットの現状
☆人権がおろそかにされています
思想信条を理由に投獄されたり、刑務所で拷問されたり、マトモな裁判もなしに死刑にされたりします。
☆中国人(漢民族)の移民が多すぎます
政府が入植を奨励しており、すでにチベット人は少数派になってしまいました。もともと600万人しかいないため、民族としての存亡が危ぶまれています。
☆チベット人にとって不利な社会
社会の上層部は中国人が支配。教育水準の低さや中国語の能力不足などで、チベット人は何かと不利な扱いを受けています。
☆信仰の自由がありません
ダライ・ラマ法王を批判しない僧侶は寺院から追放されます。一方、中国政府が勝手に高僧を任命して、信仰を強制しています。
☆環境を壊しすぎています
乱獲、乱伐、乱開発でチベットの自然が破壊されました。核兵器を作り、核廃棄物の捨て場にしている疑いがあります。
こういった状況に置かれても、ほとんどのチベット人たちはダライ・ラマ法王の教えを守り“非暴力”を貫いています。
2006年にはラサまで鉄道(青蔵鉄道)が通りました。ますます多くの中国人が流れ込み、状況の悪化が加速されています。
2006年には、ダライ・ラマ法王に会うためにヒマラヤ山脈を歩いて越えて亡命しようとするチベット人たちを中国軍が狙撃する模様を多くの登山者らが目撃。一部始終を撮影した映像が公開されました。
そして、2008年3月、たまりかねたチベット人たちがデモなどの抗議行動を起こしました。中国政府は武力でこれを鎮圧し、多くの犠牲者が出ました。
反戦・平和、人権の立場から米軍基地撤去を主張するのなら、反戦・平和、人権の目をアメリカだけではなく中国にも向けるべきである。
チベットは中国の漢民族が支配している。チベット人は差別されている。チベットには言論の自由がない。チベットは中国の植民地といっても過言ではない。
チベット人は仏教徒であり、非暴力派である。しかし、中国共産党は平和的なデモにも発砲してチベット人を殺害する。
このチベットの現実を沖縄の反戦・平和主義者たちは真剣に考え、中国を非難するべきだ。しかし、沖縄の反戦・平和主義運動を牽引している革新政治家、知識人たちは親社会主義であり、中国共産党の人種差別を無視し、アメリカ軍よりも数千倍もひどい中国共産党の弱者への暴力支配には関心を持たない。
米軍に差別されていることに怒り・反発するのなら中国のチベット、ウィグル族への差別・弾圧に怒るのが当然である。
しかし、沖縄の反戦・平和主義、人権主義者たちは中国の差別政治を無視する。自衛隊の尖閣諸島の防衛にも反対する。
沖縄の反戦・平和主義、人権主義者たちの反戦・平和思想、人権思想は本物なのか疑ってしまう。
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のんびりと当てない旅の浮世かな・1101句~1102句
![](http://img03.ti-da.net/usr/hijai4/tukaretara1201.gif)
狭い部屋
机に
向かっている間
足
を
暖める
石英管ストーブ
部屋は寒く
足だけ
が
熱い
電気コタツ
は
壊れた
新しいのを
買う気はない
電気コタツ
に
入るということは
テレビを見るということで
テレビを見る時間より
机に向かっている時間が長い
だから
石英管ストーブ
しかし
石英管ストーブ
は
足だけを照射し
離れると寒く
近づくと熱い
足
を
近づけたり
足
を
遠ざけたり
上半身は
やや
寒い
しかし
ここは
沖縄
身が凍るほど
寒くはない
足が冷えると
石英管ストーブ
に
足を近づけ
膝を
手でぐるぐる
熱くなると
足を遠ざけ
脛をさする
そんなことを繰り返し
時間
は
過ぎていく
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