国家の第一は民主主義である。美しさとか品格はまやかしの国家論である。新聞に掲載されている論文を中心に批判する。
品格より民主そして自由
地元の地元の地元は辺野古だ
1970年8月1日 - 名護町・羽地村・久志村・屋部村・屋我地村の5町村が合併し、沖縄県下9番目の市として名護市が発足する。名護町が名護市の中心地であり、久志村が辺野古である。
地図の赤い部分が名護市である。名護市は東海岸から西海岸にまたがっている。西海岸の元名護町には市役所、病院、商店や住宅が密集していて、国や県の出先機関も多く、商業が活発である。。元名護町一帯はヤンバルで一番栄えている街である。
普通、名護市というのは西海岸にある北部で一番栄えている街のことをいう。辺野古は東海岸にある。同じ名護市であっても西海岸がにぎやかな街であるのに対して東海岸は反対に家は少なく過疎が進行している。
辺野古は昔は基地の街として栄えたことがある。夜はまるでラスベガスのようにネオンが輝いていた。しかし、米軍基地の縮小で辺野古は廃れていった。
辺野古は過疎が進行していて、このままだと過疎地になってしまうかもしれないと辺野古区の人たちは危惧している。過疎をくい止め辺野古の経済を復活させる手段として普天間基地の移設を受け入れようとしているのが辺野古の人たちである。
辺野古が基地受け入れを表明したのは今度が初めてではない。1956年、全島で土地接収反対闘争が高まる中で辺野古民は基地受け入れを決めた過去がある。
辺野古区は基地を受け入れる代わりに条件を提示して米軍と交渉をしている。アメリカ軍と友好関係を築いたのが辺野古区民であった。
辺野古区民は普天間基地の受け入れを表明しているのにはそのような体験も影響しているだろう。
稲嶺名護市長は、地元の地元は名護市であると強調し、地元の地元である名護市が辺野古移設に反対をする中、知事が移設を認めることがあれば民主主義をないがしろにすることにつながる。まさかそんなことはないだろうと述べている。
稲嶺市長は県を地元と呼び、名護市を地元の地元と呼んでいるが、名護市が地元の地元であるならば、辺野古区は地元の地元の地元である。名護市を地元とすると辺野古は地元の地元になる。
稲嶺市長は地元の地元が反対しているのに地元が認めるのは民主主義をないがしろにすると断言している。稲嶺市長の民主主義論をそのままな名護市(地元)と辺野古区(地元の地元)に当てはめると、移設を地元の地元が賛成しているのに地元が反対するのは民主主義をないがしろにするということになる。
稲嶺市長が自論の民主主義に徹するなら地元の地元である辺野古区が移設に賛成しているのだから、稲嶺市長も移設に賛成しなければならないことになる。
しかし、稲嶺市長の民主主義論は自分に都合のいいときに使う民主主義論であり、都合の悪い名護市と辺野古区の関係ではつかわない。どういう風に使わないか。それは無視することである。
今まで、稲嶺市長は辺野古区が移設に賛成していることを口にしたことは一度もない。それどころか「辺野古移設」は口にしても「辺野古区」と口にしたことはない。稲嶺視聴は辺野古区の主張を完全に黙殺している。
ヤンバルの過疎化は止まらない。辺土名高校、本部高校、今帰仁高校は人口減がひどいために廃校や併合の危機に直面している。このままだとヤンバルの過疎化はどんどん進む。辺野古が過疎化するのは時間の問題である。
それなのに、県も名護市も過疎化を食い止める政策がない。県教育庁は過疎化を食い止めるどころか過疎化を促進させるような高校再編を企画しているのだ。
過疎化阻止を県にも名護市にも頼ることができない辺野古区民が選択したのが普天間基地の辺野古移設である。
県の人口は140万人と増え続けているのにヤンバルは過疎化がどんどん進んでいる。一方、宜野湾市から那覇市一帯は東京都と同じように人口密度が高い。小さな沖縄本島で起こっている過疎化と人口密集の矛盾。この矛盾に県市町村の政治は手を打とうとしない。
一括交付金の分捕り合戦に夢中になっている県市町村の政治家たち。もっと真剣に沖縄のことを考えてほしいものだ。
地図の赤い部分が名護市である。名護市は東海岸から西海岸にまたがっている。西海岸の元名護町には市役所、病院、商店や住宅が密集していて、国や県の出先機関も多く、商業が活発である。。元名護町一帯はヤンバルで一番栄えている街である。
普通、名護市というのは西海岸にある北部で一番栄えている街のことをいう。辺野古は東海岸にある。同じ名護市であっても西海岸がにぎやかな街であるのに対して東海岸は反対に家は少なく過疎が進行している。
辺野古は昔は基地の街として栄えたことがある。夜はまるでラスベガスのようにネオンが輝いていた。しかし、米軍基地の縮小で辺野古は廃れていった。
辺野古は過疎が進行していて、このままだと過疎地になってしまうかもしれないと辺野古区の人たちは危惧している。過疎をくい止め辺野古の経済を復活させる手段として普天間基地の移設を受け入れようとしているのが辺野古の人たちである。
辺野古が基地受け入れを表明したのは今度が初めてではない。1956年、全島で土地接収反対闘争が高まる中で辺野古民は基地受け入れを決めた過去がある。
辺野古区は基地を受け入れる代わりに条件を提示して米軍と交渉をしている。アメリカ軍と友好関係を築いたのが辺野古区民であった。
辺野古区民は普天間基地の受け入れを表明しているのにはそのような体験も影響しているだろう。
稲嶺名護市長は、地元の地元は名護市であると強調し、地元の地元である名護市が辺野古移設に反対をする中、知事が移設を認めることがあれば民主主義をないがしろにすることにつながる。まさかそんなことはないだろうと述べている。
稲嶺市長は県を地元と呼び、名護市を地元の地元と呼んでいるが、名護市が地元の地元であるならば、辺野古区は地元の地元の地元である。名護市を地元とすると辺野古は地元の地元になる。
稲嶺市長は地元の地元が反対しているのに地元が認めるのは民主主義をないがしろにすると断言している。稲嶺市長の民主主義論をそのままな名護市(地元)と辺野古区(地元の地元)に当てはめると、移設を地元の地元が賛成しているのに地元が反対するのは民主主義をないがしろにするということになる。
稲嶺市長が自論の民主主義に徹するなら地元の地元である辺野古区が移設に賛成しているのだから、稲嶺市長も移設に賛成しなければならないことになる。
しかし、稲嶺市長の民主主義論は自分に都合のいいときに使う民主主義論であり、都合の悪い名護市と辺野古区の関係ではつかわない。どういう風に使わないか。それは無視することである。
今まで、稲嶺市長は辺野古区が移設に賛成していることを口にしたことは一度もない。それどころか「辺野古移設」は口にしても「辺野古区」と口にしたことはない。稲嶺視聴は辺野古区の主張を完全に黙殺している。
ヤンバルの過疎化は止まらない。辺土名高校、本部高校、今帰仁高校は人口減がひどいために廃校や併合の危機に直面している。このままだとヤンバルの過疎化はどんどん進む。辺野古が過疎化するのは時間の問題である。
それなのに、県も名護市も過疎化を食い止める政策がない。県教育庁は過疎化を食い止めるどころか過疎化を促進させるような高校再編を企画しているのだ。
過疎化阻止を県にも名護市にも頼ることができない辺野古区民が選択したのが普天間基地の辺野古移設である。
県の人口は140万人と増え続けているのにヤンバルは過疎化がどんどん進んでいる。一方、宜野湾市から那覇市一帯は東京都と同じように人口密度が高い。小さな沖縄本島で起こっている過疎化と人口密集の矛盾。この矛盾に県市町村の政治は手を打とうとしない。
一括交付金の分捕り合戦に夢中になっている県市町村の政治家たち。もっと真剣に沖縄のことを考えてほしいものだ。
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普天間基地の「県外移設」は不可能
米空母艦載機の陸上着陸訓練の移転先とされる無人島「馬毛島」のある鹿児島県西之表市の市議会議員らが18日来県し、嘉手納基地などを視察した。
市議は戦闘機のごう音に驚き、「反対の意思を訴えていく」と強調した。
「馬毛島」は西之表市から12キロメートルも離れている。それでも市議は反対するというのだ。本土の住民は米軍基地問題にナーバスである。
12キロも離れている「馬毛島」で陸上着陸訓練することさえ反対するのが本土の住民である。普天間基地の移転となると本土のどこの住民も大反対するであろう。
西之表市の市議会議員らが「馬毛島」の陸上着陸訓練への対応をみれば、本土の住民が普天間基地を受け入れるのはひとりもいないことがわかる。普天間基地の移設は県や地元の住民が受け入れることに賛成するのが条件である。それから考えると、
普天間基地の「県外移設」は不可能である。
それにしても嘉手納町の職員は頭が悪い。「馬毛島」に嘉手納飛行場の訓練も移すことになっている。「馬毛島」で訓練するようになれば嘉手納飛行場の騒音が減る。それなのに嘉手納町の職員は騒音や事故、悪臭など嘉手納飛行場の悪いことを話している。それでは嘉手納飛行場の騒音被害を減らすことができない。嘉手納町の職員に知恵があるなら市議を12キロ離れた場所に連れて行き、嘉手納飛行場の被害がほとんどないことを教えるべきだ。
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きみはどこ求めて疾るさびしさや1053句~1054句
早く
温かく
ならないかな
寒いと
体が
動こうとしない
寒がり屋であるが
息苦し屋でもあるから
戸を開けっ放しだ
だから
寒い
寒いから
あいつの畑には行かない。
寒くても
スナックには行く
なんのこっちゃ
春よ
来い
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白猫の夜に餌なく小雨降る・1049句~1052句
白いねこが
一匹
コンビに住み着いた
何ヶ月かすると
白いねこは
数匹の白い子ねこの
母になった。
毎夜
コンビニの
客のエサを待つ
ねこたち
ねだりはしない。
エサが放られるのを
じっと待つ。
冬
の
夜
いつの間にか
母ねこがいなくなった。
子ねこたち
白い
子ねこたち
子ねこが
ニヤー
と
鳴いたのを
聞いた
ことが
ない。
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