Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

責任~自主憲法制定への道程

2005-05-18 00:00:00 | インポート
日本国憲法第12条(自由・権利の保持責任と濫用禁止)

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない。
又、国民はこれを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉の為にこれを利用する責任を負ふ。

上記は憲法第26、27、30条に規定される国民の3大義務「勤労、教育、納税」と並ぶ重要な義務及び社会的使命を定めた条文です。
ある交信仲間の方が「現行憲法が我々日本人にもたらしたものはエゴイズム=利己的思考とデカダンス=退廃的風潮だけではないのか」との指摘をなされていました。
思わず耳が痛くなる極めて手厳しいものですが「当らずと言えども遠からじ」と言うのが至当でしょう。現に社会の状況は、極めて遺憾ながらこのご指摘通りの様相を色濃く示しているのはご存知の通りでしょう。
大阪のそば、JR福知山線にての大列車事故以来、主に西日本に於いて、置石や放置自転車などによる列車妨害が相次いでいます。確かに責任を十分に果たしているとは言えない鉄道会社への怒りの気持ちは理解できるものの、乗客の生命と安全に関わるこの様な所業は断じて許容できるものではありません。して良い事と悪い事の分別は幼い子供と言えども持つべきであり、親は子に対し、責任を持って厳しく教える使命があるでしょう。ましてや大人に於いてをやでありましょう。
政府や省庁も、責任の所在の曖昧さを指摘されていますが、同時に我々国民の側も、きちんと自らの意思と責任の下、日々信念ある行動を積み重ねて来たか、今1度反省してみる必要があるでしょう。
昨今の様に「無理が通って道理が引っ込む」如き有様は、どうも国民の側もとるべき責任を回避して来た様な気がしてなりません。ともすれば自らの不都合には目をつぶり勝ち。もう1度初めの条文を読み直し、反省してみる必要があるのでは、とも思います。
それができないのであれば憲法を作り直し、より具体的で解り易い「国民の義務」を改めて規定するのも一法ではと思います。*(日本)*


コメント
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