Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

震災議事録は、なぜ作られなかったか

2012-01-28 16:38:27 | 国際・政治

2012=平成24年1月も、早下旬となった。昨年暮れ以来の近隣よりの深夜暖房騒音問題への対応に振り回されている内に、新年の1か月が過ぎてしまった感じ。拙居所の賃貸管理部門や、騒音発生元の住民への意図が中々伝わらず、一時は転居も視野に入れたものだが、ここ数日は幸か不幸か騒音が抑えられて来ているのも事実。ここはもう数日様子を見、それでも収束しなければ、再度管理部門と相談の上、発生元に直接申し入れをする必要もありかと考え中。勿論、事を穏便に済ませる心がけも必要かとは心得る。

それはさておき、先の震災、東日本大震災の政府級対策会議にて、国家危機に関わる重大会合であったにも関わらず、議事録や議事概要の全部又は一部が作成されていない不祥事が露見したのはご存知かと思う。世間はプロ野球、ダルビッシュ有 日本ハムファイターズ投手の合衆国プロ野球大リーグ進出や、若手芸能集団AKB48の日本ゴールド・ディスク大賞受賞などの報に沸いている様だが、それすら俺の側からすれば大したネタではない。喜びたければ喜んで結構だが、その陰のこうしたトンデモ事態にも、せいぜい目を向けて頂きたい。

以下、Gooニュースにて紹介された、読売オンラインの記事を引用し、この問題を見て参る事としたい。

『「政治主導」、官僚と溝・・・議事録作らず』

『政府の東日本大震災関連の10組織で、議事録や議事概要の全部又は一部が作成されていない事が、27日明らかになった。

「政治主導」を重視する民主党政権が、頻繁に設ける関係閣僚会議などでも、議事録の有無は不明だ。国家運営に対する感覚や歴史観が足りないとの批判が多い、民主党の体質が改めて問われそうだ。

「この様な問題が生じた元となる原因を分析し、必要な改善策が作成され講じられるべきだ。」27日夜の記者会見で、岡田副首相(公文書管理担当)は、早急に改善策を取りまとめる考えを強調した。

今回調べた15組織中、議事録・議事概要のいずれも不備の原子力災害・緊急災害の両対策本部、被災者生活支援チームの3組織は、震災とT電力原子力発電所事故対応を担う中核だ。

日本の国家的危機への対応はなぜ記録されなかったのか。会合の大半に、官僚が同席していたにも関わらずだ。政府関係者は、昨春の東日本大震災の直後、災害対応に忙殺された事を理由に挙げる。「電力供給に関する検討会合」事務局の内閣官房職員は「昨春の被災直後は業務が多忙で、正直議事録作成まで頭が回らなかった」と釈明する。

しかし、物理的な多忙さだけでなく、「政治主導」を標榜(ひょうぼう)する民主党政権の体質が影を落としたのでは、との指摘も出ている。政府内では(公文書管理法規に定めがある以上)震災直後から公文書作成が必要、との認識は共有されていたはずだった。

「震災から1か月経過した事を踏まえ、関連資料保存に留意願いたい」

滝野欣弥官房副長官(当時)は、昨年4/12の被災者生活支援各府省連絡会議で、居並ぶ各府省の担当者に文書作成と保存の徹底を指示した(はずだった)。

ところが、その後も議事録問題は事実上たな晒しになっていた。当時の内閣官房幹部は「政務三役から言われない限り、敢えて過去の会議の議事録を事後作成しようと言い出す発想は、官僚にはない」と語り、政権内での政治家と官僚の"溝"を指摘する。

鳩山(失政)政権下で迷走し、同政権の(自爆的)命取りとなった、米合衆国軍普天間飛行場移転問題に関する関係閣僚の協議などは、官僚は最初から排除され、政治家との距離は広がった。その揚句「非公式扱いで、議事録に残されていないものも多い(政務三役経験者談)」とされる。』

この「真性」トンデモ事実を、皆様はどうお思いになりますか?本当に、一国の存亡の危機とも言える、先の震災関連対策の重要会議の議事録も議事概要も残さない不良姿勢には、呆れてものも申せない。一体「公文書管理法規」を読んで把握し、実践していたのか?と糾したい。原子力災害など、重要3会合の議事録は作成やり直しも企図されている様だが、過去に文面すら残っていない議事の記録を今から作るのには、相当な不安が伴うとの指摘も、多くの専門家から出されているのだ。最早「忙しかったから」などの言い訳で済まされるはずはなく、「政治主導」を履き違え、官僚群を上手く使って難局と向合うのが真の政治主導たる事をろくに理解もしない、民主党の体質より生じた問題が事実なら、正に言語道断と申すべきだろう。これで、民主党政権は、社会保障と税の一体改革の面での不備と並び、更に衆院解散総選挙の時期を近づけてしまったと申しても良いだろう。

もう一つ、これは民主党政権に留まらない我々日本人の抱える病理かも知れないが、歴史教育を軽視し続けて来たツケの印象も付き纏う。戦後一貫して、我々は、特に祖国日本の近現代史についての教育を、丁寧には施される事のないまま成人して来た。その事は、きちんと教えたはずの古代中世史の軽視をも招き、日本人より「歴史に学ぶ」謙虚な姿勢を奪い去り、大切な事共を記録する姿勢をも失わせてしまった様に思えてならないのである。こうした教育面にも真摯にメスを入れない限り、この様な不祥事は、繰り返されるのではないだろうか。

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身を切る努力をしたのか?

2012-01-21 17:52:37 | 社会・経済

当地名古屋は、昨日辺りより雨模様。厳しい寒気も一服と言った風情。ただ、このままでは終わらないだろう。来週は中盤に強い寒波の到来が予想され、今冬一番の冷え込みとなるかもだ。昨年暮れよりの、拙居所の他家発夜間暖房騒音問題も完全解消とは行かず、頭の痛い所だが、年明けよりは、当地東海地区にて、新世代のインフルエンザが流行り出したとか。以前にも増して健康安全留意、特に騒音付では中々に実行し難いのだが、少しでも睡眠を多めに取って、こうした問題に対して参りたいと思います。

さて、先の震災の折、福島県下にて原子力発電所の大事故を生じたT電力だが、原発停止の代替火力発電所の燃料コストが嵩んだとかで、今春以降大幅な電力料値上げ見通しを表明した様だ。今春より大口事業向けを十数%、今夏辺りより一般家庭向けをほぼ10%の幅で引き上げ希望している由。「又そんな事を」と読者は仰るかも知れないが、この値上げ幅、業者の言い値通りに認められないのは勿論だ。

原子力発電所事故への対応、大被害を被った地元福島各地域への賠償など、兆の字の付く巨額の資金の必要から、売上や利益が圧迫されるのは分っているが、そも原発は国家プロジェクト。一時的な公金投入や、金融界の援護措置も決まりつつあり、仮にある程度の値上げやむなしとしても、T電力の言い分通りに上げ幅を認めるのは、何とも能がなかろうと言うものだ。

多くの一般家庭は今、収入の伸び悩みによる家計悪化に大変苦労されている。ガソリン、灯油の化石燃料などは、歴史的な為替高の威力もあって、やや高めとは言え価格が抑えられているが、野菜などの生鮮食品は、今冬の厳冬傾向もあって、大変高めの価格で推移している。高齢化によるやむを得ない所もあるとは言え、社会保険費用の負担も大変だ。そこへ今度は、野田政権は、早ければ2年以内に消費税を、現行5%より暫定8%を経て、10%への引き上げ構想を明らかにしている。こちらも高齢化進展による社会保障の制度安定化と言う大義名分がある以上、他の物価部分の上昇要因を厳しく査定し、その抑制に全力を尽くした上で実施への道程を作るのが筋ではないのか。言い変えれば、それができなければ、短期の経済見通しさえ明らかでない今、消費増税に言及するのは不適切の極みだろう。民主党の定めた政権公約マニュフェスト違反の疑いも強い。

話がややそれてしまった。ご容赦。こうした原子力発電所事故に鑑み、全国の原発が長期停止のやむなきとなった場合、発電用燃料事情が悪化した時は、電力料に転嫁できる仕組みが法制化される話をも聞いたが、その為には厳格な原価計算が求められる条件の様だ。当たり前の事だが、T電力にも、こうした姿勢は強く求められるべき。社員や役員の人件費を含めた原価計算さえ不明朗な今、一方的な値上げ圧力は排除されるべきであろう。同社は、ただでさえ霞が関官僚OBの有力な天下り先である事実が早くから指摘され、人件費の不当な高騰に繋がっている可能性高く、又、競争のない電力業界にあって、自社に有利過ぎる経営、財務環境の問題も取り沙汰されている様だ。

今回の原発事故の大変さを顧みるとしても、ひいては震災被災地より遠い我々の生活にも響きかねない、こうした電力料値上げ希望の取り扱いはくれぐれも慎重に願いたい。一度は破綻し再建途上の半官企業、N航空の様に、厳しい企業競争に向かい合わせるなど経営環境を変える様な方策の実施もこれからは必要だろう。

最後に、原発は、放射線の問題が極めて小さい「トリウム」と言う燃料でも駆動できるとの話を聞いた。莫大な管理コストを要し、危険極まるウラン燃料を使うのは、結局は取り出されるプルトニウムにより、核兵器を開発保有しようとの一部政治勢力の不良願望からだと言われる。こうした愚かな観念との訣別の為にも、電力業界は、原発を再稼働させたければウラン燃料から足を洗う努力も、併せて求められよう。

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「性善説一辺倒」は終わりだ

2012-01-15 11:31:05 | 社会・経済

先週、広島刑務所よりの中国(大陸)出身受刑者の、ほぼ2日に亘る脱走劇は、広島市を震撼させると共に、先般のO教団特別手配容疑者の自首逮捕劇と共に、我国の警察に、真に社会の治安と、ひいては国内の平和を守る意思があるのか?との大いなる疑問を抱かざるを得ない実態を露呈したのではないかと強く思う。

この受刑者は、先年警察関係者に対する発砲など、凶悪事件など複数の罪責にて懲役23年が確定しており、丁度施設改修にて、(有名な?)仕切塀に工事足場が組みつけられ、その気になれば乗り越えられる状態を利用して、一度は脱走に成功した模様。再度確保されるまでの2日間に、複数回の窃盗行為に及び、一度は住宅に侵入して衣類や食材などを盗み、電話を不正使用した疑いもある様だ。又、確保の折には「自分は何も食してない」と述べながら、実は飲食していたと言う虚偽の言動も発覚しているのだ。

ここで俺が問題にしたいのは、刑務所の関係各位に、これだけの重罪人が服役している事実を、どれだけ重く受け止め、脱走などの可能性を認識していたかと言う事だ。施設改修は必要に応じてのものだったろうが、脱出感知装置なども停止が必要な状態だったならば、普段以上に人手による監視を強化したり、工事関係の方々に、少しの異変でもすぐ通報する様通達を徹底すべきなのである。もしかすると、エセ人権勢力などの間に蔓延している「性善説」に、警察も刑務関係も流され易い状況があったのかも知れない。

我国にては、遠く江戸期に大村益次郎によって提唱されたとされる「刑罰は教育」との教育刑の前提ともされる、受刑者の態度姿勢が良ければ大目に見る「性善説」の様な姿勢も一面では必要かも知れないが、外国人凶悪犯の多くは「日本人は裕福な者が多いから、犯行に及んだ。盗ったら、奪ったら、勿論返すつもりなどない」との不良同機、言わば「性悪説」の一面によるものが多いのである。振り返るに、1995=平成7年夏の東京・八王子にての女性小売店員複数の銃殺事件や、2000=同12年暮れの東京都内 一家殺害事件のいずれも外国人による凶行の可能性が指摘されている。そうである以上、刑務関係各位は受刑者の罪業の深刻さを真摯に受け止め、上辺だけの性善説に流される事なく、脱走、そして再犯などの最悪の事態を想定し、施設工事などの折には警戒を新たにして万全を期すべきであろう。

我国の国内治安は、国際化による外国人の流入が増えるにつれ、犯罪件数の減少に関係なく、確実に悪化の度合いが高まっている印象を受ける。こうした脱走行為に対する厳しい姿勢が保てなければ、我国内の平和を守る事は到底叶わないのではないだろうか。

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成人式と食糧安保の事

2012-01-09 15:49:00 | インポート
正月 松の内の直後に、恐れながら3連休を頂きました。「国民の祝日に関する法律」の改正により、去る2000=平成12年より、「成人の日」が以前の1/15より第2月曜日に変更された為もありますね。本日は成人式。当地名古屋の街中にても、晴れ着姿や礼装の若い方々を見かけました。

新成人は戦後最も少ないとも言われ、又祖国日本の前途が懸念される程の大変な情勢下ではありますが、何とか希望の見出せる様、つつがない歩みを望みたい所です。

先の震災にて大きなダメージを受け、復興途上の各地にての成人式は、一際特別な意味があった様な報道にも接し、特にこの地域の若い方々が、難しいのは分るが、少しでも明日を見通せる様、我々をも含む周囲が応援して参る姿勢も大切かと心得ます。

さて、式典と来れば、飲食がつきものですが、先の震災による大きな農業被害が生じた事もあり、新成人の方々には、どうか食糧を大事にする姿勢を持って下されたく思うのは、私一人ではないと思います。そうした心がけが、我国の食糧自給率を高める「食糧安全保障」の向上にも繋がるからであります。

拙ブログ「トイレの雑記帳」に、その食糧の無駄削減に取り組む若い方の記事を載せました。下記アドレスよりご一読を下されば幸いであります。*(日本)*
http://nanaseko.blog.ocn.ne.jp/bloghakase32/
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成人式と食糧安保の事

2012-01-09 15:31:04 | 社会・経済

正月松の内直後の三連休も今日まで。明日よりは、いよいよ2012=平成24年の日常が本格始動する。今日は、改正祝日法により、1月第2月曜に規定変えとなった「成人の日」。先の震災後初のこの日となり、特に東日本の震災被災各地にては、特別な1日となる事だろう。沖縄県など一部では、一頃社会問題化した荒れ模様の所もある様だが、多くは大人となる事の節目を謙虚に受け止め、社会人としての自覚を新たにする日である事が認識されている様だ。今日々中も、当地名古屋市内にても、式典に向かう晴れ着姿や礼装の若者達を多く見かけた。まずは、彼らの前途のつつがなきを祈りたい所です。

さて、式典と来れば、宴会に出る食材がつきものだが、曲がり角が指摘される我国の「食」の問題につき、昨日の地元紙 C新聞に記事が出ていたので、以下に引用しながらこの事を考えてみたく思う。

「食品1割ゴミに~野菜って 形なの?」

昨年末、名古屋市熱田区の市中央卸売市場は、迎春用の商品を運ぶフォーク・リフトが忙しく行き来していた。その間をすり抜けて国立K大学農学部4年、M(22歳男性、敬称略)は店舗裏へ向かう。目当ては、廃棄食材入りの段ボールだ。

「廃棄」と言っても、食べ残しと言う意味ではない。色褪せた白菜やキャベツ、熟れ過ぎたトマト・・。「傷んでいる所は取り除けば良いし、形の悪さと味は関係ない」名古屋で手に入れた野菜は宮城に持ち込み、大晦日は塩釜市、元日は名取市の集会所で若鶏の煮込みやカレー・ライスなどを振る舞った。料理は好評で、仮設(住居)に持ち帰る被災者もあった。

Mが「食」に関心を持ったのは、自宅にあった絵本「世界がもし100人の村だったら」を何気なく手にした時、高校2年生だった。(100人中の)20人は栄養が十分でなく、1人は死にそうな程です。でも15人は太り過ぎです・・。限られた食糧を、一部の裕福な国が独占し、貧しい国は飢えている。日本は裕福な部類に入るが、ニュースにては食糧自給率が40%前後まで落ちていると報じられている。必要な食糧を自分達で作り、余った分は足りない所に譲る「当たり前の社会」を創る必要がある。漠然とそう感じたMは、大学に進むと、農家で野菜栽培を学んだ。所が農家でも「当たり前」ではない実態があった。心を込めて作ったはずの作物が、ただ色形の悪さや値崩れへの心配から、捨てられていた。

「(先の震災)3.11」が起きた。避難所では食糧が不足し、特に野菜が決定的に足りなかった。ところが5月、Mがボランティアで仙台市内の市場へ行くと、ここでも廃棄食材の段ボールが「ゴミ扱い」で積まれていた。

未曾有の衝撃を受けても、日本はまだ「裕福」と言う意識から抜け出せていない。愕然とした。

食べられるのに捨てられる食糧を「食品ロス」と言う。日本では毎年、500万~900万tのロスが出る。これは、食用となる農林水産物の総量のほぼ1割になる。国際連合世界食糧計画WFPが途上国に行う1年間の援助量を上回る程の量だ。ロスを減らせば、自給率を高めるのと同じ効果がある。「すぐには変わらないが、10年後、20年後には、このおかしな社会を変えたい」と思う。

Mは昨年、知人が住み、人脈もある名古屋市にて、廃棄(予定の)食材を使ったカフェを2回開いた。地元の大学生が調理や接客を担当。店は1800人以上が訪れる盛況だった。売上は、義援金に充てた。嬉しかったのは、延べ60人のスタッフの意識が変化し始めた事だ。最初の頃は余った分を捨てようとしたが、カフェで働くにつれ「まだ、全然食べられるじゃん」と言う声があちこちで聞かれる様になった。

こう言う言葉が増えて行けば、自分が高校時代に絵本を読んだ時に感じた、世界の偏りが少しずつ取り除かれる。Mは、少しだけ形のおかしい野菜を眺めながら、そう感じている。

この記事と、若いMさんの取組みを、皆様はどうお感じになりますか?先の震災は、福島県下の原子力発電所事故と共に、東日本の多くの地域より、良質な多くの農業生産とその雇用を奪った。その再生には、最低でも10年を超えるスパンの月日が必要と言われる。更に、我々の暮らす当地東海や西日本、首都圏周辺も将来は震災の不安が付き纏う。最早これまでの、食糧の安易な廃棄は許されまい。夏場などで安全が懸念される一部の場合を除き、食せる物は活用する厳しい姿勢が生産、販売、消費の各方面に求められている様に感じるのである。その事は、我国防にも資する、食糧安全保障の鍵をも握る程の大きな意味を持つ。大きな事は申せないが、新成人の中よりも、Mさんの様に「食」の健全化に真っ向から取り組む方々が多く現れる事を、強く望みたいと思います。

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