Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

鉄道~この仕様もない、素晴らしき世界Ⅴ

2012-04-30 22:38:46 | 旅行記

コナサン、ミンバンワ!厳冬と陽春が出会った月、2012=平成24年4月も、早最終日となってしまった。実は、先週の金曜夜より、時折訪ねる新潟磐越の地へ入っており、今夕戻った所。

プロフにてもご紹介の通り、昨日付にて何十回目かの誕生日を、又もと言うかお陰様でと言うか、つつがなく迎える事ができ、お祝いのメッセージを下さった方もあり、一言御礼申す次第。

決して心がけの良い方ではないと思うが、最低でも他人様のあからさまなご迷惑となる事を避け、世間の足を引っ張る事だけはしない様にとの心構えだけは持ち続けたいと思う次第。未完の人間である以上、必ず不足や陥穽はついて回るので、そこの所のご意見ご指導を賜れれば幸いであります。

さて、今回の新潟磐越の地だが、俺が、前夜名古屋を発った夜行バスにて新潟駅に降り立った時には、既に次の土地、東北北部へ向け移動を始める気配だった。新潟市街の開花は4/16前後だったと思われ、それほど日数を経ずに満開となり、10日余りを経て俺が参った時には、既に見頃が終わり、少し山間の五泉市や咲花温泉の辺りも同様。更に山間の鹿瀬(かのせ)、新潟・福島県境に近い銚子の口峡谷の周辺、そして会津若松・喜多方両市を中心とする会津盆地が満開の見頃の様子。明けて5月初には東北北部、少しの日数を経て、北海道が道南より花の見頃を迎える事となろう。

と、桜花の事をひとしきり記して参ったが、連休前半は、喜んでばかりもいられない、遺憾な出来事も多かった。連休の直前に相次いだ、登校児童を巻き込んだ交通死傷事故を初め、昨朝には関東の関越道にて、東京の観光の目玉、東京ディズニー・ランドを目指していた夜行高速ツアー・バスが道路脇の防音壁に激突、複数の乗客各位に犠牲被害を生じる大事故へと発展してしまった。過労運転の疑いありとかで、本当に遺憾。犠牲各位への弔意と、被害各位へのお見舞いの意は勿論だが、プロの世界の貸切バス重大事故が生じた以上、原因の徹底究明と厳しい再発防止策の強力な実施、それに損害賠償への確かな道筋を立てる事が不可欠だろう。登下校事故対応共々、当事者と行政にはこうした事共に対し、それこそ「不退転の決意」を以て、諸問題に当たって頂きたい。

ここらで、話を復旧しましょう。震災、そして原子力発電所事故の後遺症とも言える影響は勿論残っているのだが、去年と比べても、磐越の地も、震災前と変わらぬ人出を博している様だ。俺は初日の4/28土曜、新潟・福島県境近くの、銚子の口峡谷の近所を覗いたのだが、現地のJR磐越西線沿いの公園には、花見客と、同線を通る蒸機の列車の雄姿を収めようとする愛好者達で、久し振りに賑わった。交通安全や花見の心得さえ押さえておけば、後は少しでも多くの方々で賑わうと良い、とは俺も思っている所。蒸機列車の乗客数も、去年より良いとは言え、まだまだ日によっては伸び悩んでいる様だ。桜の時季につき、今回は乗車を遠慮したが、今夏以降の再訪時には、必ず片道は、又乗車しようと思う。それまで、この土地がつつがない日々である事を祈りつつ、今朝新潟を後にした次第であります。

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鉄道~この仕様もない、素晴らしき世界Ⅳ

2012-04-22 21:50:28 | 国際・政治

「良くぞ、書いて下さった・・・」この所、東京都知事 石原慎太郎さんが、沖縄近海の事実上の日中、日台国境に隣接、かつ漁業、地下の両資源にも恵まれるとされる尖閣諸島の東京都による買い取り保有についてのコメントを表されたが、その事につき、あるネットの知友の方が、前向きに評価するブログ記事を記されており、俺も拝読して、少なからぬ感銘を受けた次第。国境近くの領土保全は、本来は国家的課題のはずであり、現行の野田民主党政権が先頭に立って行動しなければならないはずだが、対中国大陸向けの姿勢にては党内見解の相違などで強い意思も行動も示せず、又、政府レベルでも、特にこうした問題に中心になって取り組まなければならないはずの外務省、国益レベルの問題なら、財源の手当てに強い意思で当たらなければならないはずの財務省がいずれも及び腰、と言うより屁ひり腰に近い有様の為、東京都が一喝の意味で、こうした意思表示をされたのではと強く思う。勿論、尖閣買い取りには都議会の議決を要し、可決を取り付けるのは難しいかも知れないが、国家の尊厳と、国土の実効支配、そして保全へ向けて、こうした問題提起自体が大切な事であり、その事の意味を熟知して事を起された石原知事には、俺も一礼を申すと共に、これからも強い意思と信念を以てご言動をお願いしたく思う。

大体、我国の尊厳と領土保持、実行支配の保全などの問題につき、国民レベルでの関心は低いままだ。ひとえに、戦後教育の不良のツケが噴出した結果でもあろう。この事は、単に尖閣諸島の問題に留まらず、我国のエネルギー輸入問題などでも同様の病理を抱えている様で「一事が万事」の印象が付き纏う。この問題について、著述家 西部 邁(にしべ すすむ)さんが、今春先、全国紙M新聞に記事を掲載されたので、少し引用しながら考える事にしたい。1~2か月程前の記事だが、現在の情勢にも十分に対応し得る、価値のある文面であろう。

『中東・ホルムズ海峡が緊迫しています~日本の危機意識は、危機的』

「アフマディネジャド・イラン大統領は『ホルムズ海峡の封鎖を辞さず』と宣言し、オバマ合衆国大統領は『イラン制裁には、いかなる手段も排除せず』と演説している。もちろん、イランの核武装準備を巡って欧米の経済制裁が『イラン石油の輸入禁止』に及びつつあること、それがホルムズ危機の原因である。

我国の政府は『段階的制裁』をもって米合衆国に順応するという方途のほかに何の戦略も示していない。日本への石油輸入タンカーの8割強はホルムズ海峡を通過するという。誰がどう考えても、ペルシャ湾の軍事危機が現実のものとなったら、世界経済の大混乱は脇に置くとしても、日本へのエネルギー資源の供給は途絶する。それなのに、我国の政府と国民は、たとえば議員定数を減らすとか、公務員の俸給を下げるとかいったような国内問題にかまけて、やむことがない。日本国家は、危機意識と危機統治において、抜群の鈍感ぶりを見せつけているのだ。

中国(大陸)とインドは、イラン石油を必要とするため、そしてロシア共和国はペルシャ湾が欧米の覇権に屈するのを警戒して、イラン寄りの外交や軍事を展開している。我国がやろうとしている対イラン経済制裁が「段階的」であるというとき、こうした世界覇権の分裂状態が、今後どのように推移するかについての洞察があろうとはとても思われない。ホルムズ危機は、脅し言葉=ブラフの掛け合いに過ぎぬと思い込むことにし、宗主国 米合衆国に同調していれば大過は及ばないと信じることにする、といういわば『ふりの外交』が、日本国家の外面にべったりと張り付いてはがれない。」

『海峡が閉鎖されれば、日本は原発を再開も』

「ホルムズ危機が現実のものとなる可能性は『低い』と日本の外交専門家たちはのたまっている。その理由は『軍事力において、米合衆国とイランの間に大差があるから』とのことである。この手合い、イラクやアフガニスタンに対する米合衆国の侵略が失敗したことをどう考えているのであろう。早い話、もし大東亜戦争(こと太平洋戦争)における真珠湾攻撃を覚えていれば、経済封鎖にあった国家が冒険的な反撃に出る可能性は『低くはない』とみることもできるのである。

ホルムズ海峡が閉鎖されれば、我国はいや応なく原発の全面的再開に踏み切らざるを得ないであろう。そればかりか、エネルギーの安全供給のためには国家の自立が必要であると自覚し、そうなるには核武装すら必要となると知るであろう。『イランは悪の枢軸』などという米合衆国の得手勝手な世界観の中で安らいでいるのでは、日本はいずれ『愚者の天国』となるに違いない。ホルムズ海峡以上に危機的なのは、我が国民の危機意識の乏しさと、我が政府の危機統治の不全である。」

この記事を、皆様はどうお感じになりますか?西部さんに対しても「良くぞ、書いて下さった・・」と一礼したい思いであるのが正直な所。「核武装すら必要となる」下りは極論につき排除のやむなきとしても、同盟国と言えど、米合衆国の世界観に寄りかかり過ぎ、我国としての主体的な、信念ある外交ビジョンなど放棄しているに等しい現状では、有事の際のエネルギー輸送路、つまり生命線の確保すら難しくなるであろう。石油エネルギー資源の輸送路、所謂シーレーン防衛については、自由民主党政権時代に、再三に亘りその必要性が指摘されながら、日本国憲法の平和条項に非現実的なまでに拘泥する野党勢力の抵抗と妨害により、葬り去られて来た。又「愚者の天国」化の兆候は既に現実のものとなりつつあり、それらのツケ払いを今迫られていると言うのが、現実の姿ではないのだろうか。

ホルムズ海峡の問題に対する危機間の薄さは、そのまま尖閣問題、そして朝鮮民主主義人民共和国による歴史的暴挙、日本人拉致事件に対する弱い姿勢にも通低するものを感じるのは俺一人ではあるまい。年に何度か出かける思い出の地、新潟磐越。この地の勇者、蒸機No,C57180の雄姿に接し、又そこへ至る、日本海沿いの鉄道、JR信越線や羽越線を通ったり、その沿線に立つ度に、こうした外交、安全保障上の遺憾な問題に思いを致さざるを得ない。余程大きなダメージを被らないと、今の日本国民は深い自覚が得られないのかも知れないが。

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鉄道~この仕様もない、素晴らしき世界Ⅲ

2012-04-15 09:17:22 | 日記・エッセイ・コラム

各位お早うございます。この所、毎週日曜日は穏やかな晴天に恵まれている当地名古屋であります。やや雲が多めだが、今日1日は快適に過ごせそうだ。ただ、「快適に」とも参らないのが、内外の政治社会の情勢。

「北」こと朝鮮民主主義人民共和国の自称「人工衛星」実は大陸間弾道ミサイルの打ち上げが失敗に終わり、我国及び東南アジア諸国への脅威はひとまず去ったものの、核実験の懸念が生じているのはご存知の通り。元首は代わっても、「先軍強盛大国」路線を捨てない同国の危険な動向は、引き続いて監視を怠らない強い姿勢が大事だろう。

国内にあっては先日、京都市中心部にて、精神面が不安定だったとされる男性容疑者の運転する自動車が赤信号を守らなかった揚句、観光を含む歩行者の列に突入して7人の方々が落命、負傷も複数、直後の衝突で容疑者自身も死亡の由。多数を死傷させた罪責も大変遺憾な一方で、交通警察は、こうした精神面に問題ある運転者の監理監督を見直して、事故予防への取組みを立て直してもらいたい所。エセ人権勢力は、少しでも警察側の出方に過剰を感じるとすぐ「侵害!」などと騒ぎ立てるが、あくまで世の中の安全安心を優先し、必要な監理監督の根拠を明らかにして、信念を以て当たって頂きたい。そうした姿勢なら国民多数より理解も支持もされるだろうし、交通取り締まりも良いが、そうした所への尽力も必要なのではないか。犠牲被害の各位には、一言弔意とお見舞いの意を申し上げたく思う。

話がやや脱線してしまったので復旧しましょう。先の「北」の出来の悪いロケット同様、儚く散ったのが、今春の桜の見頃。予感はしていたのだが、やはり今季は短かった。まるで新幹線の様に、足早に次の土地へと去って行った趣だ。まあ、当地は去年と一昨年、長い間の見頃に恵まれたし、当地名古屋や愛知辺りだけで見頃を独占していては、他の地方より「早く見頃を回せ。ゴルァ!」と怒鳴られそうなので、まあ今季はこんなものだったと心得ておきたい。苦笑

足早な花の見頃。それは、新幹線の車窓より眺める、ほんの一瞬の内に過ぎ去る儚い魅力も感じられるものだ。一昨年、西の名所、大阪造幣局の桜花を仰ぐ機会に恵まれたのだが、その折通った滋賀県 米原市内の東海道新幹線沿いの桜が中々で、帰途はわざと在来線を経て、新幹線列車と桜花の共演を捉えた事がある。編成は先月勇退の300系で、新大阪へ向かう往路も世話になった。同系は、1992=平成4年の高速便「のぞみ」の創設に合わせて本格デビューしただけに内装が秀逸で居住性も良く、俺個人は大いに気に入っていたものだ。この年と去年、この辺りで2度に亘り捉えたのが、この車両と桜花の唯一の記録となった。多くの機会に恵まれる事のない「儚さ」も愚か者の俺に教えてくれ、300系新幹線は走り去った様に思っている所であります。

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鉄道~この仕様もない、素晴らしき世界Ⅱ

2012-04-08 23:40:57 | 日記・エッセイ・コラム

コナサン、ミンバンワ! この土・日曜日は、随分久し振りで晴天に恵まれた2日間の休日となった。当地名古屋辺りは、丁度桜花の見頃とも重なり、主な見所はどこも大変な人出だった様だ。昨春は、東日本大震災直後の自粛思潮の下、華やいだ出方が控えられていただけに、各位思い思いに楽しまれた事と思う。

俺はと言うと、名古屋北郊の名古屋鉄道沿い、岩倉市の五条川沿いに名所があり、「ここの桜はとに角良い良い」などとTVや広告ポスターなどもこぞって褒めちぎるので「本当に良いのか?」と確かめたくなって、チラ見程度をして参った次第。前評判通り、足の踏み場も覚束ない程の凄まじい人の波!車だと、現地の駐車場所が奪い合い状態で、又道中も渋滞が知れ切っていた為、居所近くより名古屋鉄道の列車にて往来した。この名古屋鉄道犬山線に当市内より乗り入れているのが、名古屋地下鉄3号鶴舞線。

今朝の、ある知友の方の地下鉄についてのコメントが載った事もあり、当地の地下鉄の事に少し触れたい。1957=昭和32年晩秋に、当時の国鉄名古屋駅と中心街 栄(当時は栄町)とを結んで創業した名古屋地下鉄も、現在の路線延長は100kmに迫り、短い所を含めると、6つの路線が運行されるまでになっている。3号鶴舞線は、1977=同52年に名古屋市中心近くの伏見と、東部の交通の要衝 八事(やごと)の間が初開業。順次路線を延長し、1979=同54年に、この時同時に開業した名古屋鉄道豊田線と、1993=平成5年には北西部の同鉄道犬山線と相互乗り入れを開始、犬山より、名古屋市中心部を経て、豊田市までを結ぶ様になった。

東京、大阪など他の大都市圏に比べると、まだまだ小規模な当地名古屋の地下鉄と周辺私鉄などとの相互乗り入れ。今後は、更なる延長構想のある6号桜通線と名古屋鉄道本線との直通などが有望だが、自家用車依存が強い愛知県の交通形態の、環境保全へ向けたシフトと、主要道路の渋滞緩和を進める為にも、地下鉄の整備は引き続き取り組んでもらいたい所。地代のかさむ名古屋都心にては、新世代路面電車LRTの再整備なども課題となろう。おまけ画像は、「桜の名所?」岩倉駅にて捉えた、3号鶴舞線の初代車両。35年前の登場当初は、名古屋地下鉄初の空調完備車として、大歓迎されたものだが流石に耐用年数が到来。今後は、次期新車の登場と入れ替えに、順次勇退する様であります。

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鉄道~この仕様もない、素晴らしき世界

2012-04-01 15:45:22 | 日記・エッセイ・コラム

2012=平成24年4月も、拙ブログを宜しくお願い致します。

各方面で良く言われる様に、本当に長い冬だったが、月が変わった途端に当地名古屋でも、桜の開花が随所にて認められ始めた。「花冷え」とも言って、後1~2回は寒さの戻る日もあろうが、季節が、概ね陽春へと舵を切ったのは事実だろう。当地の桜花の見頃は、多分次の週末。晴れであれ、雨であれ、今から楽しみな所ではある。

さて、同時に今月は、欧州にての言い伝えのある「April fool」こと4月バカの月。多少の虚言なら許されると言う意味の様だが、それと少し意味合いは異なるのだが、拙趣味でもある鉄道交通の事も絡めて、今月の拙記事を進められたら、とも思う。

最初に取り上げるのは、当地の大私鉄、名古屋鉄道の事。想えば19世紀末の明治中頃、名古屋市内とその北郊とを結ぶ路線が事の始まりだった様だ。戦争の時期を挟んで大正、昭和と右肩上がりの発展を遂げ、総路線延長は近畿日本、東武の東西民営鉄道両雄に次ぐ全国第3位。在籍電車も1000車以上を数え、交通、流通や不動産を手がける企業集団、名鉄グループは、トヨタ自動車と共に、当地の有力企業の双璧をなしている事は広く知られる所だろう。

名古屋鉄道と俺の間柄は、決して浅からぬものがあるのは事実だろう。何せ、物心ついた時に一番身近だったのが名古屋鉄道、次に伊勢湾台風の災禍から立ち直ったばかりの近畿日本鉄道名古屋線。今はJR東海となった旧日本国有鉄道線は、母の実家のある豊川市内を走る飯田線が最も身近で、東海道線や中央線、関西線、それに愛知最古の鉄道線、武豊線などを身近に感じるのはずっと後の事となる。

この飯田線と、名古屋鉄道の車両は、俺の餓鬼時分には随分長い間、車齢の高い車種が多く、つまり「オンボロ競争」を繰り広げていた。俺の幼少時は、特に各停列車と言えば戦前製、中には昭和一桁生まれと、拙両親と大差ないものも少なくなかった。照明は白熱灯、内装はと言うと、今は市内港区のJRリニア・鉄道館に所蔵されるオール木造車 モハ1型と大差ない木部ばかりの構成。「本当に、戦前製なのか」と疑いたくなる程多くが現役を守っていた。さすがに遅まきながら世代交代の波が押し寄せ、引退して行くのは、俺が成人してからだったと思う。外装は、国鉄車はモハ1型と同じ渋めの茶褐色(正式には葡萄色2号と言い、戦前国鉄の制式色だった由)、名鉄車は、これ又渋い暗緑色だった様に記憶している。

この重たいイメージを打破したのが、海外にも知られた名車、7000系展望車「パノラマカー」だった。当時我国では表現できなかった、明るめの赤「スカーレット」の外装を大胆に用い、初めは国内調達の利かなかった塗料は欧州よりの輸入によった。既に名古屋鉄道にても、戦前の傑作流線特急車 3400系(それにしても「芋虫」なる愛称は、同車に対する侮辱ではないだろうか)、戦後の特急型車 5000系などによって、性能面や装備面の高速化が試されてはいたが、伝説にまでなった前面展望を初め、空調の標準化や、空気ばねによるエア・サスペンションの本採用による走行性能の強化は、どれもパノラマカーが最初であったと思う。又、同車の勢力伸長が、戦前よりの旧世代車両の更新を促し、ひいては名古屋鉄道自体の近代化に大きく寄与した所も大きかったと見るのは、俺一人ではあるまい。

多大な功績と貢献、大いなる足跡を残して先年、伝説へと昇華したパノラマカーだが、実は厳密に申せばまだ生きている。信じられないのは無理もないが、現役の特急車「パノラマ・スーパー」の一部車両に、引退したパノラマカーの走行系や電気機器を再用したグループがあり、詳しくはマニアックになってしまうので割愛するが、現在も20車余が在籍している様だ。一部の車両は、今世紀初の名古屋本線踏切事故遭遇の為、残念ながら引退したが、多くは今日も快走を続けているはずだ。それは目出度い事なのだが、いずれ寿命が尽きるのも又事実。後5年以内位ではないかとの見方もあるだけに、まだ「日常の、ありふれた」になり切っている内に、記録画像を残しておきたい、とも思うこの頃であります。

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