Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

後記~岐路に立つ

2004-08-30 21:59:00 | インポート
コナサン、ミンバンワ!
この1ヶ月は、来春路線廃止が噂される岐阜の路面電車、名古屋鉄道岐阜市内線とその関連路線、揖斐線、美濃町線、そして田神線の事について、特集記事をとりとめもなく綴って参りました。それも今夜でひとまず締めくくろうかと思います。
20世紀初めに初開通してほぼ1世紀、岐阜市及びその周辺の市町と歩みを共にして来たこれら鉄道線も最も不運な場合、来年2005=平成17年3月限りで姿を消す事も有り得るのです。
この件については、これまでこれら路線の存続を求めて来た沿線市町対策協議会が、万一廃止と相成った場合の代替交通機関の確保(恐らく路線バスの事でしょう)を県や名古屋鉄道等に求めて行く様方針を転換、これにより路線存続は一段と危惧される情勢となりました。残るは岐阜県知事による最終決断を待つだけとなりましたが、多分に今後は芳しからぬ展開となりそうです。
思えば前世紀末の平成年間に入ってから、これら路線は縮小の歴史を辿って参りました。民営鉄道にとり、至上の命題でもある営業収支も遂に好転せず、来年以降の運営形態の見直しも、資産施設の譲渡価格を巡って沿線自治体と名古屋鉄道が折り合わず、暗礁に乗り上げた形です。
この様な問題は、日本の他の地域も抱えている様です。この木曜、9/2の夜、NHK総合TVにて、地域の鉄道を守る住民の取り組みを、成功例も交えて紹介する番組が放映される由。私の近所でも、三重県東部の北勢線と言う地方鉄道線が、かつての運営主体、近畿日本鉄道から地元の三岐鉄道に運営を移して存続している例があります。
こうした取り組みを見ながら、岐阜の路面電車の存続に、一縷の望みを託したいと思っております。
又、今月の日記は日によって、私の交信仲間への伝言の形をとらせて頂きました。ご理解、ご協力の各位にはこの場を借りて、厚くお礼申します。最後に、岐阜の有名な盛り場に因む唄をご紹介して、この特集を終わりたく思います。皆様、今月は誠に有難うございました。*(ポスト)*

「柳ヶ瀬ブルース」

雨の降る夜は 心も濡れる

まして1人じゃ なお寂し

憎い仕打ちと 恨んでみても

戻っちゃ来ない あの人は

ああ 柳ヶ瀬の 夜に泣いている

    Performed by 美川 憲一


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夜空~岐路に立つ

2004-08-27 23:48:00 | インポート
ミーSAN今晩は。今年の8月も残す所後僅かとなりました。
最初にお詫びと訂正を・・。過日、以前お住いの所を函館とご紹介しましたが、札幌の誤りですね。ご免遊ばせ。ここに訂正致します。しかしながら、岐阜の街にはかつて札幌の街を走った電車が今も健在。何やら因縁の様なものを感じます。以前は石川県の金沢から来た車両もいた様ですが、今岐阜以外から輿入れした電車はこの車両のみ。他は殆んど誕生以来岐阜で働く生粋の名古屋鉄道車両ばかりの様です。
今年、北海道はスポーツの歴史が変わりましたね。貴女の先日の日記、拝見しました。今夏の全国高校野球で駒沢大學付属苫小牧高校が北海道代表として史上初めて覇者となりました。栄光の決勝戦は私も見ていましたが、優勝決定戦に相応しい激闘でした。心より祝福します。
スポーツの歴史はまだ塗り替えられようとしています。来月初旬、十勝地方を舞台に史上初めて開催されるWRC=世界ラリー選手権日本戦、これは大いに注目です。
今世紀に入ってAPRC=アジア・パシフィックラリー選手権として毎年催されていましたが、世界選手権はこれが最初、日本車、そして日本選手の闘い、大いに注目し期待しております。
既に先日記してしまいましたが、先週は生まれて初めて岐阜金華山へ登り、岐阜城の天守閣を間近に仰ぎ、又山頂より岐阜の夜景を臨んで参りました。ここからの夜景、やはり一見の価値がありますね。これまでで1、2を争う絶景と申して良いでしょう。
写真帖に当日の映像を載せましたので、お時間のある時ご笑覧下さる様。
又長良川鵜飼いも初めてライヴで見る事が叶いました。満足な映像は残せませんでしたが、こちらも見られた事自体には納得しています。
去年の今頃は、貴女に宛てた特集日記を締めくくっていた記憶がありますね。やはり貴女宛てのこの伝言の閉めはこのタイトル以外思い浮かびませんでした。本当に金華山の「夜空の下で」色んな事に思いを巡らして参りました。まだまだ想いは尽きませんが、しつこくなってもいけません。最後に感謝の意を表して、そろそろお開きにしようと思います。
今年も多大なるご理解、誠に有難うございました。
(次回にて、ひとまずの終了と致します)。*(山)*
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処暑~岐路に立つ

2004-08-25 22:56:00 | インポート
らむSAN今晩は。
人間関係が様々である様に、ネットのサークルでも本当に色んな事がありますね。
我々のサークルも、今年初めとは比べ物にならない位人数が増え、まだ少人数だった頃のアット・ホームな雰囲気とは参らなくなって来ました。掲示板、チャット会・・
それらの行事も毎回楽しく順調に、とは行かない様です。方向性が我々と異なる人も現れ、それらを調整してまとめるのは容易ではありませんね。
ですがそうした状況にあっても、人としての最低限の倫理、常識、礼節、そして品性を失ってはならないでしょう。もしそれが許されれば人の集まりの秩序は破壊され、組織も社会も成り立たなくなってしまいます。
盆の頃から盆明けにかけても、数回名古屋と岐阜とを往来していました。
往復の車上で、又岐阜の街を路面電車に揺られながら、ふとそんな事を考えていました。
岐阜市の人口は、現在約41万人と推定されます。濃尾平野の奥の、決して広くはない土地に、それ程の人口が暮らしておれば、当然都市にありがちな色んな軋轢も生じる事でしょう。平日の朝夕や、休日の日中の交通混雑にもそれが表れています。
違法駐車や配慮のない右左折によって、避けられるはずの渋滞が随所で起きるのは名古屋と同じ。当然路面電車も巻き込まれ、遅延運転の原因となります。広島は一般車両の電車線乗り入れが禁止されている由ですので、こうした事は少しは円滑なのでしょうね。
本当に、人間関係の1つであるサークルの事は大変ですが、何とか希望を持って向き合いたいものですね。私も何とかない知恵を出すよう努めます。*(ポスト)*
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城址~岐路に立つ

2004-08-24 00:00:00 | インポート
猫さん今晩は。今夜は完成間もない新しい写真帖をご覧下さり有難うございます。
この前の土曜、8/21の夕刻、生まれて初めて岐阜金華山頂に登りました。岐阜城の天守閣も間近に見る事ができました。
さすがは難攻不落と言われた戦国の要塞、山頂から周囲を見回しますと、どの尾根も傾斜が急で、大人数が一度に登る事は叶いません。篭城戦には有利な地形でしょう。
ここを陥れた織田信長公は、事前に相当な計画と戦略、それに多くの資金と人数、物資を投じた事でしょう。何故なら古今を問わず、戦争とは資金と資源に恵まれた者が勝利を収めているからです。又、すぐ北を流れる長良川と、少し離れた南方を流れる木曽川も、天然の濠の役割を果たした事でしょう。結局この山に一般人が登るには、ロープウェイと言う文明の利器に頼る他ないのでしょう。
きな臭い話はこの辺でやめましょう。
貴女もご指摘の通り、この山頂よりの岐阜都心の夜景は一見の価値がありました。
生まれてこの方、恐らく1、2を争う絶景でしょう。しかしながらその景観を味わえる最高の位置が遺憾ながら公衆トイレの中と言うのも皮肉です。それも女性用の方がアングルが良さそう・・・。男の我々は今1つの所で妥協する他なさそうですね。
今回はその後、長良河畔にて岐阜観光のメインイベント、鵜飼いを見物する機会にも恵まれました。明るい漁火と、川鵜達の活発な動きが新鮮でした。
デジタルカメラでの夜間撮影・・・やはり難しいですね。シャッターの動作が少し遅く、特に夜はそのタイミングに留意する必要があります。又ストロボを使わない夜景モードは特に手ぶれを生じ易い為、三脚が必須となります。
私は橋と言う構築物も好きですが、ここ長良橋も中々良い雰囲気でした。思えば昭和の末までは、JR岐阜駅からここまで、路面電車がやって来ていたのでした。*(山)*
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夢路~岐路に立つ

2004-08-22 00:18:00 | インポート
ミーSAN今晩は。今夜は早くお休みの様ですね。良ければこの日記は又明晩にでもご覧下さい。
今日は午後から又しても岐阜へ参っていたせいで、帰りはかなり遅かったです。まあお陰で色んなものが見られましたが・・。
名古屋鉄道の岐阜市内線は、かつて1988=昭和63年まで現存の線区の他にも路線がありました。
有名な繁華街、柳ヶ瀬そばの徹明町から北上し、岐阜市役所の前を通って岐阜観光最大の目玉、鵜飼いの行われる場所のそば、長良橋を渡った先までで、以前はこの路線が市内線の本線だった様です。
JR岐阜駅から、あの金華山の麓まで乗換なしの電車で参れた訳で、残念至極です。
近郊線の、東の美濃町線、西の揖斐線も、以前は現在の終点より先まで線路が延びていました。
美濃町線の現終点は刃物で有名な関市ですが、1999=平成11年までは、その数km先の美濃市まで入っていました。かつての終点美濃駅は、現在は資料館になっています。
現役を退いた古い電車も保存され、ほぼ全てがあの頃のままに保たれ、そこだけ時が止まった様な雰囲気です。
揖斐線の現終点は大野町の黒野駅。2001=同13年まではここからも奥へ線路が延びていました。この駅の西で2つに別れ、更に西の揖斐川町までが本来の揖斐線、北へ向かっていたのが谷汲線です。黒野駅の西のはずれに立つと、この分岐した線路が錆びたまま今も残っており、古い電車が長閑に走っていた光景がつい昨日の事の様に想起されます。車内は木部が多く、新しい車両より、安らぎを覚えたものです。
今度は残りの線区全部の存続が危惧されています。下手をするとすべてが「夢路」となりかねない情勢です。
話が暗くなってしまい、済みませんでした。今夜は生まれて初めて金華山へ登りました。又1度見たいと思いながら果せないでいたあるものを見る事ができました。
それらの事共については、恐れながら終盤の楽しみとさせて頂きたく思います。8/21記。*(山)*
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