Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

自己都合的「世界史」

2019-03-30 21:38:55 | 国際・政治

2019=平成最後の 3月も、遂に終わりが見えて来た。翌 4月末を以て 平成期は完全に幕となる。読者各位も拙者も それぞれに想いがあると心得るが、折々にじっくり振り返り 素晴らしい記憶と忘れるべからざる課題を改めて把握できる様になればとも思う所です。政府与党による 改元への備えも着々と進んでいる様で、来る 4/1月曜の正午前後に新元号が明らかになる様だ。欲を申せば、現実の国民生活に資す為にも 今年初の公表を願えると・・との想いもあったが、やはり伝統的経緯もあって このタイミングに落ち着いた様だ。是非 大きな混乱のない事を祈りたい。

日本及び日本人の習俗や国柄と密接に関係する元号だが、勿論反日的アンチ勢力が 元号の存在自体を良く言わない向きがある様だ。長野県下の某弁護士などは、元号法や改元のあり様などを不良な事共として提訴する意向の様だ。日本国憲法の価値基準しか認めない かような勢力の事なので提訴をするもしないも自由だが、日本及び日本人を人質にする様な出方は決して認められるものではない。提訴理由の一部は、以下の様なものだ。

「現代の日本人は『世界史』の中で生きている。である以上、その時間は西暦の流れで動いており。元号の定めは必要ない」のだと。まぁ一読するだけで呆れかえる思考だ。勿論 決して認められるものではない。

当該弁護士を含む 日本国憲法の護憲勢力や反皇統の容共左派勢力の意図する「世界史」など、所詮は欧米キリスト教文化の 自勢力に好都合な所の尻追いに過ぎぬではないか。正に「牛後」だ。キリスト教文化圏の暦が西暦で統一されているから、それが世界基準だとする短絡的見方には心底呆れ返るものがある。広い世界には、預言者ムハンマドの教義に因むイスラム暦やアジア暦、タイ王国辺りにも独自の暦があると聞く。「世界史」を口走る連中が、欧米のみならず A.A圏やイスラム圏をも見渡した、広く豊かな見識の持ち主ばかりとはとても思えない。前述の 欧米だけに目を向けたしかも「木を見て森を見ぬ」近視眼の連中の方が多数だろう。

以下にリンクを致すが「あの悪名高い」朝日新聞も 去る 3/21付社説で前述勢力の援護射撃じみた持説を振り回したらしい。元号とは、あくまで皇統を象徴として頂く日本及び日本人の 長らくの習俗文化に根差したものであるはずだ。だからこそ我国では特段の重みを持ってもいるのだし、反対勢力の頭目 日本共産党といえども元号法への異議を唱える事はあっても、習俗文化的な元号の存在そのものは 事実上認知している姿勢だとか。現に同党の機関紙「あかはた」にしても、西暦一本表示から 多くの読者の意向を容れて元号併記に改めたと聞く。前述弁護士の そうした動向さえ認めようとしない不良姿勢は、決して与してはならないものだろう。

「自己都合的」世界史は頂けない。こんな見方は それこそ歴史を歪める事に繋がるだろう。所謂学者や専門家の見解にしても、大手を自称する新聞社説にしても 結局は読者の我々が、その真の可否を判断できる様 読解力リテラシーを高める様努める必要があるのだろう。そうした努力が我国文化の面において「良貨が悪貨を駆逐する」望ましい流れになり得るし、そうできる様努めなければという事だろう。それがひいては、我国の独立と尊厳に資する健全な固有文化の涵養にも資するものだと信じる所だ。今回画像は、これまでにも載せた 三重県下の石油基地から長野県下向けの JR中央線燃料専用列車の様子。以下に関連記事をリンク致します。(美しい日本様)  http://japanhascomet.cocolog-nifty.com/blog/2019/03/post-4ef0.html

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下方硬直性という事

2019-03-27 20:42:49 | 社会・経済

今日の日中、九州の東で 気になる地震が生じた。日向灘を震源とするそれが、分かっているだけで午前午後各一回。特に午後のは宮崎県下で 最大深度 4を記録した様だ。周辺各地への目立つ被害がなかったのは良いが、日向灘周辺で続く地震は 近い将来可能性が見込まれる東海地震や南海トラフ大地震の発生とも関連有りとの指摘も聞いた事があり、現状は不明な以上 徒に不安を煽るデマレベルの記述をすべきでないは分かるが、一定の備えをした上で 注意して見守る位はした方が良いかも知れない。

もう一つ、これは残念だが 当地愛知と北隣岐阜の両県で流行する家畜伝染病 豚コレラの感染域が、これまで見られなかった瀬戸市内にも飛び火してしまった様だ。既に名古屋・守山地区に駐屯の陸自に災害出動要請が出され、当該地区の豚の多くが殺処分される様だ。大変遺憾だが、これ以上の感染を抑えなければならないのも事実。有力な感染源とされる野生猪向けに 餌に仕込んだワクチンを投与する試みも実施され、それぞれの地元猟友会の各位にも 対応が要請されているという。大変な折だが、どうか少しでも早い事態の収拾の為に力添えをお願いしたいものだ。心なしか、店先に並ぶ豚肉各部も 微妙な値上がりを感じるこの頃だ。

前置きが長くなったが本題です。TVなどの報道に接していると 気になる言葉の一つに「下方硬直性」がある。主に賃金の問題を取り上げる時に使われる様で、賃金即ち労働市場における「価格」の立場であり役割を持つ。需要に当たる求人が減ったり 供給に当たる働き手が増えれば賃金は下落、逆に求人が増えたり働き手が減る様な場合は上昇する。あくまで 市場任せにした場合だが。

尤も賃金の場合「最低賃金制度」によって 一定水準より下がらない様に定められている。だから不況で求人が減って賃金が低下し続けても、一定水準に達すると雇用側はそれ以下の賃金では雇えない。「労働者の最低限の権利」を守る措置だ。又 正社員など既に職に就いている労働者の賃金を引き下げる事も容易でない。賃金の下方硬直性がある事で、労働側が雇用側に過分に搾取されるのを防ぐ効果を期しているのだ。まぁ、左派勢力にとっては「絶対の正義」と言えようか。

しかし一方で、この性向は 失業者を増やす一因でもあるとの指摘も聞いた。不景気時 雇用側は「労働市場の需要と供給で決まる水準」より高い賃金を支払う事になる為、雇う労働者の数を減らさざるを得なくなる。この結果「低賃金でも良いから働きたい」という層が職に就けず失業者となる。価格維持の為 もったいなくも産地廃棄される野菜みたく、賃金の下方硬直性は働き手を事実上放置するのマイナス面もある訳だ。

功罪両面ある賃金の下方硬直性。近年の我国では、それが崩れているとの指摘もあるらしい。長らくの不況下 新規採用の雇用形態を正社員から非正規社員に切り替える企業が続出する。これは実質賃下げであり、下方硬直性が弱められる事で、デフレーションを悪化させた。不景気下で労働力の供給過剰が続いた場合でも、賃金の下方硬直性がある事で 一定の賃金水準は保たれてきた。いわばデフレ拡大を抑えて阻止する「防波堤」として機能した訳だ。ところが雇用形態の変化などで 下方硬直性が弱体化すると、所得減少がデフレを加速させ、それにより正社員が更に減少する事で 賃金の下落が拡大する「負のスパイラル」をもたらしてしまったのである。

と ここまで見て来ると、長引く平成不況の原因が 安倍政権の不足な所だけではないという所が、おぼろ気ながら分かる様な気もする所だ。もういい加減に「景気回復」の強弁を見直したらどうかの気もする所だが、我国の賃金水準は世界レベルからしても下降気味との声も聞く。平成初期 まだ実績もない新規学卒者の初任給を安易に上げ過ぎた失態も顧みつつ、賃金については健全な下方硬直性を模索するのが各方面が納得する所か。

この事に関し、単純な例えは適切でないかもだが、拙的にはどうしても触れずにはいられない事共がある。学歴の事だ。既に後半生の 我々世代の少し前からそうだったが「何が何でも大学へ」の風潮に追われる様に、学生達の多くが大学を目指し、入学する様になった。戦後の高度成長と前後した私大の激増は、それを裏付けるものだろう。これとて、親達の世代が中卒、高卒メインで「大卒なら自分より有利に世に出られる」魂胆から 追い立てる様に大学に行かせる風潮が強まったのだろう。

しかし待て。大学とは、高校までと異なり、理系にせよ文系にせよ それぞれの志す専門を深める為の 学びの場であるはずだ。全部が全部とは申さぬが、特に私大に入った勢力には、そうした己にとっての専門さえ見極める事なく「ただ大卒の肩書」欲しさに親達に追われ 仕方なく入学した「でもしか組」も多かったのではないだろうか。かく申す拙者も 実はその口だったので大口は利けないのだが。とまれこうして 大卒が大半になってしまった人口構成では、もしも子供がいる様になったとしても 結局は大学に入らせる訳で、決して実効があるとは言い難い巨額の教育投資を伴う「学歴の下方硬直性」を招いてしまっている様に見えて仕方がないのだ。

この「学歴の下方硬直性」は、前述の学卒者達のその後に 決して芳しくない影を落とす印象もある。子供が一人だったとしても、公立でも大学に上げるのには相当な投資を伴う。為に結婚を躊躇い 生涯独身を選ぶ男達の多くは大卒者の可能性が高そうだ。最近一部で不祥事が伝えられる AKB48に代表される 美貌の若手芸能アイドル集団の隆盛も、背後で盛り立てているのは幅広い年代の独身男達の様だ。この生涯未婚率は女性でも 15%に迫り、男に至っては 軽く 20%を超えているとか。

支持者の結婚式に来賓出席した与党議員が「是非子供を」との失言は 広い層から揶揄されるのを知っているが、その大きな一元凶は「学歴の下方硬直化」だと拙者は思う。何かといえば「自由と平和」などとの戯言が聴かれるが、この問題の呪縛から抜け出られなければ そんな言葉は語れないと思うのだが。今は稀だが「少数派の擁護を!」と声高に言うなら「親は大卒だが子は高卒→それでいいじゃないか」の見方がもっと一般化したって良い。それが我国の固有文化他を劣化させる事にはならないからだ。今回画像は、もうすぐ見頃の 岐阜・滋賀両県境近くを行く JR東海道線沿いの 昨春の桜の様子を。

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平成最後の年度末雑感

2019-03-24 20:56:43 | 社会・経済

この年度末が、平成最後のそれになる。特別な感情はないが、一つの区切りとして真摯に受け止めたく思う。今日まで行われていた 大相撲春場所は、横綱・白鵬関の全勝優勝で幕。一言、この偉業を称えたい。その一方 スポーツの世界にてもう一人、惜しまれながら一線を去る方がある。ご存知国際プロ野球の イチロー選手である。我国ではパ・リーグの在籍が長く、その後の米大リーグを通しての投打の活躍は もう多言に及ばないだろう。残念ではあるが、拙的には「いつかは来るものが来たか」の想いが強いのも事実。人知れぬ所での、並大抵ではなかったろう「努力と研鑽の軌跡」に、改めて敬意と一礼を表すものだ。

本当に年度末は「来るもの 去るもの」が交錯する時期だ。来る方は 拙趣味でもあり恐縮なのだが 2011=平成23年の東日本大震災以来、8年ぶりに全面復旧ほ果たした東北の第三セクター(国、自治体などの行政が、一定程度関与する鉄道事業体)・三陸鉄道が挙げられるだろう。こちらも大きな困難を乗り越えての全面再開。以下、今日の地元紙 C新聞記事を引用してみて参る事にしたい。

「三陸鉄道 163kmつながる。リアス線 希望乗せて」

岩手県の第三セクター・三陸鉄道「リアス線」が 3/23開通した。2011=平成23年3月の東日本大震災に伴う津波で不通となった JR山田線宮古~釜石間が移管され、岩手・久慈市の久慈~大船渡市の盛(さかり)の約 163kmを結ぶ。第三セクター鉄道では我国最長。同県の震災による不通区間は 8年ぶりに解消した。

釜石、宮古の各市内などで 列車の出発式や開通記念式典が行われ、開通初日は記念列車を 4往復運行。各駅や沿線には、地元住民や鉄道ファンなど大勢の人々が詰めかけた。開通を祝うメッセージを記した大漁旗を自宅前に掲げる住民の方もあった。釜石からの列車で宮古に到着した遠方からの若い旅行者は「復興はまだ途中だと感じた。沿線の皆さんが手を振って下さり 嬉しかった」と述べた。

岩手県では JR大船渡線の一部区間がバス高速輸送システム BRTで復旧。岩手、宮城、福島の三県で不通の鉄道は、東電福島第一原発事故の影響残る 福島県内の JR常磐線・浪江~富岡間のみとなった。来年 西暦2020年 3月末までの再開を目指している。三陸鉄道は JR山田線を挟み、北リアス線・久慈~宮古間と南リアス線・釜石~盛間を運行してきた。震災で全面運行不能となったが、被害が比較的少なかった北リアス線の一部区間で、震災 5日後に再開。復旧費用約92億円のほぼ全額を国が負担、2014=平成26年4月で、今回区間を除く全線で運行再開した。3/24から通常ダイヤとなる。(引用ここまで。一部略)

本当に、今回の再開劇を拝見すると「必ず、鉄道で復旧する」との、地元各位の強い意思と本気度を感じるものだ。東日本大震災は、我々の想像を絶する犠牲と大いなる試練をこの地方に強いたはずだが、そうした事共にも絶対に負けない 強い信念と執念が伝わる想いがしたものだ。不幸な原発事故に見舞われた 福島県浜通りを別とすれば、岩手・宮城の両県では曲がりなりにも復興が進むも、現地人口は確実に減っているとされ、そうした所を地盤とする三陸鉄道の運営も、決して容易ではないはずだ。

地元住民の利用増を図るは当然、外国を含む旅行者の誘致をいかに進めるかが今後の課題とされる。勿論、外国人旅行者はただ増やすだけでなく、地元との健全な整合性の追求もされるべきであり、例えば京都辺りで顕在化している来訪数の急増や、それに伴うマナー不良や安全面のリスクを増やさない努力も必要だろう。国、自治体による行政の支援も引き続き必要だろう。ただ、三陸鉄道を全面再開させた地元の強い姿勢は そうした問題とも真摯に向き合い、やがて望ましい方向へと繋げて行く力を持っていると信じたい思いもする所だ。今回画像は 3年前 甚大な水害から復旧を遂げた、三重県下の JR名勝(めいしょう)線の 先年訪れた桜花の時季の模様を。

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ちょっとした発見

2019-03-21 20:05:41 | 社会・経済

今週初、10年程使った TV受像機(モニター)が、急に終わった。去る日曜の夜間、毎週見る某民放のモーター・スポーツ関連番組の終わった直後 突然画像が不安定になり、画面に出たり消えたりが繰り返された。決して受像アンテナの具合が芳しい訳ではないので、今度もこのせいかと思い 何度も調整したのだが回復しない。結果 これは内部の TVチューナーの不具合と判断、経年もあって更新を決めた次第。旧受像機のリサイクル費用を含め数万円の出費は痛かったが、TV技術も日進月歩。新受像機の高質な画像は、10年前に比すと隔世の感があるのも事実である。

世間では更に画素数が多く、高画質の 4K或いは 8Kと呼ばれる衛星TV向けの新技術も紹介され 更に上の画質が望める様だが、拙者はそうそう TV番組にばかり嵌ってもおられず、地上波デジタル放送のざっと見が限界。よって これが受信できれば可なので、それなりの機材を新調した次第。この地上デジ放送画質が 2Kという事らしいが、日頃見るにはこのレベルでも十分画質の良さを実感できる様に思う。想えば TV地上波放送も、報道番組などは必ずしも公正な報道姿勢が守られているとは言えない様だし、昔日と違ってインター・ネットからも 己が見てまだマシと受け取れる報道記事も入手できる時代。高画質が必須な映画ファンや音楽動画ファンは別として、拙者の様なユーザーは 2Kレベルの画質でも十分と心得るのだが。

前置きが長くなったが本題です。前述の 芳しからぬ TV報道のあり様は、やはり同様の問題を抱える新聞報道とも関連するとみるのは拙者だけではあるまい。今朝なども、与党・自由民主党地方県連の 不適切な可能性ある政治資金支出を指弾する新聞デジタル記事を見たのだが、その題目に甚だ疑問を抱くものがあったので取り上げる次第。出典は「あの」朝日新聞デジタル版である。

この記事は、自由民主党栃木県支部連合会にて 概ね 2015=平成27年から 2017=同29年にかけての約2年半で計約 2000万円の政治資金支出に不適切な事案があったとされるもの。朝日側の主張だと、自民栃木県連の幹部複数が昨年、会計統括の長 事務局長交代に伴い前述期間につき調査したとかで、一部役員が昨年初夏 調査担当県議から 前述の期間と額に相当の不適切支出があったとの報告を受けた由。朝日側はこの件につき、領収書なしや二重払い、自民党員私的支払いなどの記述があったとしている。前述の自民栃木県連には、税金からの政党交付金が約 2000万円/年 入っているとも述べている。

朝日側の一連の取材に自民栃木県連は「会計事務引継ぎの為に従前の会計を確認したことはあるが、法令にもとる様な事実は把握していない。調査報告書を作成した事実もなく、政治資金は法令に則って適正処理し、その収支を報告している」旨 文書回答した由。この記事をざっと見して、拙者はやはり双方に問題ありと見ざるを得ないものだ。

自民栃木県連の言い分は それはそのまま理解したい所だが、やはり全面的には行きかねる。長らくの自民一強 安倍政権一強で、自民党各部は やはり何か気の緩みが生じているのではないか。「火のない所に煙は立たない」の言葉がある様に 国会などの動静を見ても、対野党や対報道への健全な警戒感や緊張が欠けている様に思えてならない。安部総理大臣も二階党幹事長も、ざっと見渡せば分かるこの状況に本気で手を打とうとしていないのではないか。或いは この政治資金の不適切対応は、与党内の反安部勢力が仕組んだ事共と見られないでもないが、それにしても 直ちに適切な説明が行えないでは拙いのではないか。だから朝日新聞勢力を筆頭とする 特定野党寄りの報道メディアにつけ込まれたという所ではないのか。

その事に留意した上で、朝日新聞勢力の報道姿勢は「やはり いつもの」芳しくない所が付き纏う。とりあえず今回記事の末尾にリンクしておくが、記事冒頭の題目(タイトル)は「自民栃木県連で不適切支出か」との 問題の可能性に触れたもの。しかしながら「続きを読む」をクリックで開くと、そこの題目は「自民栃木県連で不適切支出」との断定的、決めつけ的なそれになっている。拙者 これが素人の作文なら「言葉足らずだが、まぁ仕様がないな」レベルで読み過ごすかも知れないが、この記事を書いたのは勿論「プロの書き手」である。そうである以上 1ページ捲っただけで題目の意味が変わった様に受け取られるとはどういうつもりなのか。

先程の題目の末尾「か」があるとないでは、この意味は天地程も違うはずだ。モノ書きのプロ 新聞記者がこの違いに気づかぬはずはない。ネット掲載につき サイト管理者側の問題があるとしても、それは事前に打ち合わせや記事としての整合を図るのが筋だし仕事だろう。そのまま放置ではそれこそ二重基準ダブスタであり、対与党の印象を貶める操作だと揶揄されても仕方がないだろう。報道各社には取材源、情報源秘匿の特権があると聞くが、この様な記事では そもその信頼性が疑われる事だろう。資料入手と言われても これ又同じで、真に受ける訳には行くまいて。

一つには こうした問題を放置するから朝日新聞勢力は信頼されないのだろう。拙的には「読まない、見ない、買わない」を実践するのみだが、多くの保守側各位が行われるとされる 折々の監視は必要か、とも思う次第。与党地方組織の尻抜け対応も それは批判の対象だろうが、報道側もこの様な杜撰を抱えたままでは やはり同様に信頼に足るものにはなり得ないだろう。今回画像は、当地北郊、岐阜・可児市内の JR路線・地上設備を検査巡回する試験列車「ドクター東海」の模様を。以下に今回の関連記事をリンク致しますが、一定期間後は消去の可能性がある様です。 https://news.goo.ne.jp/topstories/politics/82/ae619fc5b2e1a4bc70cd08f6350bd015.html

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あくまでも「議論」としてなら

2019-03-17 20:37:53 | 国際・政治

一昨日、南半球 N.Z国の主要都市 クライストチャーチにて生じた、イスラム寺院「モスク」襲撃事件に衝撃を覚えた各位は多いだろう。分かっているだけで犠牲 50名、負傷数十名を数え、白人至上主義思考とされる男性容疑者は 事件の詳細を動画にてインター・ネット上に表していたとされるのも驚愕と言える。

犠牲各位への弔意、被害各位へのお見舞いと共に この暴挙が許される訳では勿論ないが、所謂グローバル化が決して良い事ずくめではない事実を、本件は世界に示したのではないか。国境を越えた人々の自由な往来は良いが、宗教や習俗が根本から異なる人々が 隣人として生き、暮らす事はやはり困難が伴う事を 改めて感じさせられるものだ。同時に N.Z国も例外ではない移民に関する問題は、やはり欧米等先進国に国富が偏在する事によって起きているのだという事実も、再認識されるべきだと心得るのだが。

本題です。こうした移民の問題とも一定関連する国防安保の問題。安部政権が維持に血道を上げている日米同盟も 今後の事は不透明であり、より我国として主体的な安保政策に踏み込む必要性も指摘される所だ。この所につき、政治学者・三浦瑠璃さんが これまでタブー視されて来た 徴兵制にも触れた見解を著書で表された様だ。以下、ネットで見かけた某書評を引用して 少し見て参ろうと思う。

「徴兵制」

(三浦さんの)処女作「シビリアンの戦争」では、文民が軍人の反対を押し切って行う攻撃的な戦争が民主主義国に多数みられることを指摘し (軍)人が暴走し市民は平和的であるという前提は必ずしも当たらないとした。そこで「文藝春秋SPECIAL」では「平和のための徴兵制」を導入することを提案し 第二次大戦後、米、英、仏などの豊かな民主国家が起こしてきた主要な戦争の殆どが「血を流す兵士と異なり コストを意識しにくい政権と国民が民主的に選んだ戦争」であり、それに対する処方箋は「血のコスト」を平等に負担することで国民のコスト認識を変えさせることである、としている。

先進国の政権が民意に支持されて、自分たちより力の劣る国に対し軍事介入を決断する場合、核抑止や国際法だけでは防げないことを歴史は示している。核抑止は核保有国間の戦争を封じることにしか繋がっておらず、主権国家が欲すれば 国際法は自国に有利なように運用解釈することで事実上回避できてしまう。こうした第二次大戦後に頻発している中小規模の戦争の抑止が 現在取り組まなければいけない平和への課題であり、そのような戦争を防ぐためには軍が暴走しないように文民統制シビリアン・コントロールをすることよりも 実は血のコストを忘れ、時に好戦的になるシビリアン自体をコントロールすることの方が重要である、としている。

実際に民主化以降も徴兵制を導入しているイスラエル共和国や大韓民国では、突発的に戦争が起きれば 自らの命や家族の命が危険に晒されることから、国民が常に戦争に対して「リアル」や「責任」を感じており、戦争や敵国に対して 非常に抑制的であるとしている。自ら戦争に行くことのない国民が志願兵の派遣を判断していては 戦争のコストは国民には実感されず、結果として「イラク戦争」のような 現場で血を流している軍事関係者の反対を押し切った安易な戦争が繰り返されてしまうと主張している。一方で 戦争をするための徴兵制には否定的であり、平和安全法制の議論で 旧民主党から徴兵制の可能性を示唆するパンフレットが作られたことに対して「悲しかった」と述べている。(引用ここまで)

少し前の 平成時代前半までだったら、こうした見方の議論さえ憚られる風潮があったろう。それが一定解消されてきたのは、こうした所の議論を行うのも「言論、表現、思想信条の自由の内」である事が、ようやく認知され始めた証とも言えるのではないか。まだ本編を拝読していないので 立ち入った言及は控えるが、ここまででも 三浦さんは相当な思考の上で、前述の主張をされているのが分かる様に思うのだ。

特に、今世紀に入って以降 我国を取り巻く安保情勢は難しくなる一方で、今の内からこうした議論を進めておく事は、拙的には必要だと思う。核兵器保有の事共でもそうだが 徴兵制、或いは国民皆兵のあり様や可否なども 議論としては俎上に乗せて良い。それが言論の真の姿だ。それさえも認めない左派勢力の出方は、明らかな言論封殺と言えるのではないか。今回画像は、春には山場を越す 当地南郊の三重県下から長野県方面向け燃料列車の様子を。以下に、三浦さんの関連記事をリンク致します。 https://bunshun.jp/articles/-/10987

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