Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

展望~パノラマカーの視点より

2008-12-30 23:52:00 | インポート
「お疲れ様、パノラマカー。 夢、喜びを有難う」

今はただ、無心に、虚心にこの言葉を捧げたいと思います。

巨視的である事。公正である事。そして何より、前を向いて先を見つめ続ける事・・・。
名古屋鉄道パノラマカーは、多くの愛好者、そして当地の鉄道ユーザーに、この様な強いメッセージを発してその鮮やかな赤の軌跡を残して走り去ったと私は今、感じている所であります。

今、我国のみならず、世界が経済の低迷に喘いでいます。その様な中、昨日見たTV番組にては、地球環境保護に向けた自然エネルギーの活用を(健全な)商業ベースに乗せ、相当な雇用の創出にも成功している例を紹介していました。これは欧州の例ですが、我国にても将来に向かっては大いに参考となる面もあり、今後注意して見守って参る必要があるかと思います。こうした活動には勿論、行政の適切な援護もあり、建設・重工業優先の我国の現状は糾されるべきであり、後を推す我国行政の姿勢も転換されるべきでしょう。

とに角、今までと同じ視点では落ち込んだ現状は上向かない。何か新しい視点が求められているのかも知れません。
先日定期運行を離れ、最早退任挨拶を残すのみとなったパノラマカーの最後のメッセージはこうしたものかも知れず、事実とすれば誠に重いものがあると強く思います。

安全保障の面にしても然り。中東にて相次ぐ海賊の跳梁による船舶被害への対応を図り、麻生内閣総理大臣は来年の早期に海上自衛隊の艦艇派遣を検討する意向であるとされます。
武力行使や海上での緊迫した事態の対応については慎重万全を期すべきであるのは勿論ですが、「派遣するだけで海賊の攻撃意図をくじく抑止力となり得る」との見解にも相応の説得力があると私は見ています。

中東産の化石燃料を大量に消費し、便利で快適な現代生活を享受する以上は、応分の危険負担に応じるのは当然の事であり、麻生政権の現実をしっかりと見極めた賢明な判断と対応を心より願いたく思います。
又、折々問題にされる朝鮮民主主義人民共和国による日本人拉致事件にしても、そうした強固な姿勢の積み重ねが、やがて問題の解決へと繋がって行く様な気が致します。

振り返ると、名古屋鉄道パノラマカーは沿線の風景のみならず、そうした現代社会の抱える諸問題の景観、あるいは歴史の風景をも我々に見せてくれた様な気がしている所です。
ある交通雑誌の記事「夢の前面展望は、斬新な発想と着実な技術開発により実現され、いつでも(追加料金なしの運賃のみで)気軽に乗って楽しむことができた。
パノラマカーは産業遺産であるだけでなく、登場時に製作された紹介映画の題名通り『僕らの特急』として心に刻まれているのだ。」
本当にその通りだと強く思います。
そしてその展望は、ただの良き眺めに留まらず、人々の心に大いなる広がりをもたらし、希望を届ける素晴らしい空間だった。だからこそ多くの、遂には海の向こうの愛好者をも掴むに至ったのだと感じている所であります。
今の社会の低迷は、高度な管理化が進んでしまった為に、人々が以前の様な夢や希望を抱き難くなってしまった所が一つにはあるのかも知れない。
パノラマカーの軌跡は、その事に対する一つのヒントとなり得るかも知れません。
同車亡き後、実子とされる特急車「パノラマ・スーパー」は暫く残る様ですが、その後の展望車両は少なくとも当分は現れないのではと言われています。ただ、将来的には希望が持てるとの見方もあり、ここは長い目で見守るべきかも知れません。

今年2008=平成20年の拙日記もそろそろ締めくくりとなりました。続く2009=同21年が、難しくも少しでも希望の持てる年となる事を祈念して、この稿を終わりたく思います。
今年一年の交流、誠に有難うございました。各位どうか、良いお年を・・・。
来年も又、宜しくお願い申し上げます。
参考資料(文献)
Rail Magazine(株式会社ネコ・パブリッシング刊)2008=平成20年7月号「名鉄パノラマカー最終案内」
鉄道ビクトリアル(株式会社電気車研究会刊)同年12月号「名鉄パノラマカー」
産経新聞 同年11/20&12/5号他。
(サイト)掲示板2ch、鉄道路線・車両板「名古屋鉄道129&130号車」「名鉄の注目編成を追え!」
名古屋鉄道(株)公式HP http://www.meitetsu.co.jp/ *(日本)*

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駅のトイレより愛を込めて

2008-12-28 22:49:37 | 日記・エッセイ・コラム

コナサン、ミンバンワ!

一昨日夜、名物電車「パノラマカー」が定期運行を終えたばかりの名古屋鉄道本線にて、今夜脱線事故が生じた様だ。現場は拙居所より遠くないJR名古屋駅すぐ北方の「栄生(さこう)」と言う駅で、同駅構内にて折り返し運転に備えて入れ替え作業中の8両編成が運転上の不具合から事故を起こした模様。人的被害がない様であるのは不幸中の幸いであったが、本線と犬山、常滑、河和の各線、それに津島線をも支障して運転を見合わせ。目下JR東海道、武豊、飯田の各線と名古屋地下鉄鶴舞線にての振替輸送を実施中の由。復旧はどうも今夜一杯かかりそうな気配で、日曜夜の名古屋都心への買い物客の帰宅に大きく影響しそう。まあ通勤ラッシュが続く平日よりは良かったのかも知れないが。

そう、平日と言えば一昨日のこの時刻、パノラマカー最後の定期運転、所謂ラスト・ランが行われたのであった。もしこの事故が重なれば、愛好者達はとも角、一般乗客より大クレームがつく所だったろう。それを思うと、こちらの方も不幸中の幸いに感じられる。パノラマカー最後の4両編成3隊、計12両中の2隊8両は犬山線沿線のある駅、後の1隊4両は名古屋鉄道本線沿いのある車両基地に保管されているが、非常の場合は後者が出動可能な態勢になっている様だ。ただ今回は大事には至らなかった為、代走の必要まではない様である。

大都市近郊の鉄道時刻は昨日より正月期間は休日ダイヤ、正月初の平日ダイヤは2009=平成21年1/5よりの予定である。定期走行を終えた年明け後のパノラマカーの臨時 走行予定も、この段階で判明するかも知れない。その事を楽しみに今年2008=平成20年拙ブログの締002めくくりとしたく思う。各位良いお年をお迎え下さる様。ラタ、マイ年!

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帰着~パノラマカーの視点より

2008-12-27 23:04:00 | インポート
コナサン、ミンバンワ!
昨夜の事ですが、当地中部の交通の歴史の1ページが、確かに括られた様な感じがします。
ご存じの方も多いかと思いますが、名古屋鉄道パノラマカーが、毎日走る定期運転を全て終え、事実上現役を退きました。

1961=昭和36年夏の初デビューより、47年7か月の現役生活でありました。又、本来の使命である特急列車の任務にあっては、デビューより1999=平成11年半ばまで、こちらも40年に近い長期政権でした。

中距離とも言える名古屋鉄道の路線にあって、フラッグ・シップとも言える特急型車両の開発は本当に難しく、朝晩の通勤通学ラッシュへの対応と、ある程度の長時間乗車にも備える必要があり、その相反する需要にどう対応するか、異なる輸送の性格とどう折り合いをつけるかで、関係各位のご苦労は大変大きかった様です。一時は、列車トイレの設置も真剣に議論されたとか。これは結局、見送られた次第ですが。
その上で「乗って楽しい車両」「何度でも乗りたくなる車両」を目指し、運転台を上部に設け、先頭を展望客席とした前例のない大いなる英断には、改めて心よりの拍手を贈りたく思います。

先日ですが、時折拝見する大型掲示板「2ch」の鉄道交通趣味欄にて、パノラマカーに初めて乗る機会を得た幼児の反応が紹介されていました。
同車の備える音楽警笛、ミュージック・ホーンを聴いたこの子の言葉は「この電車は、唄が歌える」でありました。読んでいて、本当に胸に迫るものがありました。
これは正に、幼少の頃のパノラマカーに対する拙印象とまんま同じだったのです。しかも運転の方の視線で前方を見る事ができる。この新鮮さは、叶うなら一人でも多くの子供達に体感を願いたかった所。勿論全員は無理な話ですが、我が両親の話によると、小学生の甥も幼稚園に通う頃よりパノラマカーの先頭席に好んで座り、前面展望にのめり込んでいた由。まあ良かったと思います。
先週、犬山遊園へと行動を共にした時にも乗車機会がありましたが、多くの愛好者で先頭席は通勤ラッシュ並みの大混雑。さすがに着席は諦めた様です。

私も些か残念でしたので、帰路は同車の実子「パノラマ・スーパー」の先頭席を確保して片道は前面展望を堪能した次第ですが、甥の話だと前面窓の高さはパノラマカーの方が明らかに低く、子供にはこの方が見易い由。やはり運転台を上部設置とした効果ではないでしょうか。
パノラマ・スーパーでは先頭席の床高さが上がって見晴らしが利く様になった反面、運転台が一般車と同じく下部設置の為、前面窓が高くなって子供には見辛い箇所がある様です。

2ch掲示板などを見ていても、中には「ラッシュ時にポロラマカー(経年で古くなったパノラマカーを揶揄する言葉。苦笑)は辛いなあ」などと本音を吐露する向きもありますが、多くはパノラマカーの夢のある思い切った意匠を讃え、数々の思い出に感謝する言葉である様です。
ある写真雑誌にも「我々にとって、パノラマカーは永遠の存在である」との言葉が同車の走行画像と共に綴られていました。その意味が、少しは分かる気がします。

残されたパノラマカーは4両編成が3隊、計12両。内2隊は犬山線、江南市内の、ある駅にて休んでいます。
すっかり有名になった逆台形の行先盤を返上し、あるいは今後一線で走る事はないのかも知れませんが、どうか最後の日まで大過なきを祈りたいもの。
残り1隊、かつての特急車両の象徴だった白帯を掲げた編成は、名古屋本線の、ある車両基地にて保管され、来年初以降の退任挨拶かたがたの臨時運転に備えている様です。
多くの愛好者より既に語られている言葉ですが、私も同車にこの一言を申したく思います。

「有難う パノラマカー・・・」*(ツリー)*

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裁き~パノラマカーの視点より

2008-12-24 00:25:00 | インポート
コナサン、ミンバンワ!

毎年末、夜の祭典と化したとも言えるクリスマス・イヴが目前となりました。
今年は経済情勢が優れない事もあって、これまでの華やかさとは少し異なり、家庭とか仲間内で静かにお過ごしになる向きも多そうです。
元々キリスト教の開祖の降誕祭であったクリスマス。信者でもない私がどうこう申す筋合いではないのかも知れませんが、見方によってはようやく商業主義的な騒ぎから脱却できる良い機会なのかも知れません。

昨日は天皇陛下の75回目のお誕生日。一時体調が優れず、心配されましたが一応回復されつつある様で、その事と共に心より奉祝を申し上げます。後、僭越ながら我が母もこの度無事誕生日を迎える事ができました。
その一方で、我々日本人にとって良く心に留め置くべき出来事があった日でもありますね。丁度60年前のこの日、歴史的に不当とされる東京裁判こと極東国際軍事裁判にて、絞首刑の宣告をされた所謂A級戦争犯罪人とされた7名の各位の処刑が強行された日でもあります。

今秋、航空自衛隊の前の幕僚長だった田母神俊雄さんも触れていらっしゃった事ですが、この裁判は大東亜戦争こと太平洋戦争の責任を全て我国に転嫁すべく進められた側面がある事、又当時の国際法では定められていなかった罪責を問う事、所謂事後法により進められた事など、後に問題を残す手法が執られたのは事実です。「勝者の報復裁判」であるとまで言われています。

確かに戦中の我国はアジア圏にて、侵略と言われる挙に出て現地住民に少なからぬ犠牲を強いたのは事実ですが、それを踏まえても戦勝国が主張する様な「全て悪」ではなかったと私は見ています。
戦勝国の関係各位の中にも、この裁判が妥当とは言えなかったとする見解は多く、特にかつて英国の植民地インドの法律学の権威であったR・B・パール博士は裁判のあり方を厳しく指弾、国際法上被告7名は全員無罪との見解をお示しになっていました。
公正を期したこの主張は結局は却下され、当時の旧帝国軍部、そして政府の要人であった板垣征四郎、木村兵太郎、東條英機、土肥原賢二、広田弘毅、松井石音(いわね)、武藤 章の各位は絞首台に消える結末となるのであります。

私が、戦前の祖国日本が相応の戦争に関する責任があると認めつつも、この裁判が不当であるとするのは、その後の我国のあり様がその判決を不良な形で引きずった結果、自国の尊厳を大きく損ねる自虐史観の跋扈を許し、又その事が戦後の我国内のあらゆる良からぬ事共に影響して、結果教育や精神文化の荒廃、それらから来る凶悪犯罪の多発を許した事に対する憤りからであります。
東京裁判の落とし子たる日本国憲法にしても、永の平和を謳った第9条の基本線は良いが、現実に他国との軋轢が生じた時どうするのかの定めがありません。平和は確かに大事だが、人間は完璧な生き物ではないのも事実。一朝有事への対応は考えられて然るべきでしょう。
それ以上に問題にされるべきは、自由に対する見方、捉え方でしょう。
平和や秩序安寧を損ねる自由は放縦であり、断じて認められるものではない事、国民には平和を続かせる義務がある事が、現行憲法には何も記されていない。公共の福祉の尊重と言う曖昧な規定があるだけです。これでは欠陥法規と言われても仕方がなく、見直しは当然の流れであると強く思いますが如何でしょうか?奔放なアメリカン・モデルをろくに吟味も検討もせず、ただ受け入れ続けたツケが今、我国のあらゆる所に回っている気がするのです。

心ならずも刑死と言う結末を迎えた7名の方々は「殉国七士」と呼ばれ、その墓所は当地愛知の三ヶ根山にあります。そこはかつての尾張・三河の境界近くで、東海道新幹線0系も名古屋鉄道パノラマカー7000系も、その全盛期にはこの墓所の麓を日夜往来していました。この鉄路の両雄が引退を迎えた今、この史実は改めて振り返られて良いと私は思います。
刑事裁判にて死刑の判決が出る度に死刑廃止を口走って騒ぎ立てる勢力は、果たしてこの事を重く謙虚に受け止めているのでしょうか。得て勝手な主張をする前に、この尊い犠牲の方々に対し心より跪き、一礼を捧げる事ができてから物申して頂きたい。
時折しも、来春よりは全国の地方裁判所にて、国民が大きな刑事事件の裁判に直接関与する裁判員制度がスタートする所。
パノラマカーの赤の軌跡はその事を見通したかの様に「巨視的に!、公正に!」の視点を声高に訴えながら、走り去ろうとしている様に思えます。
(ご案内)以下、極東国際軍事裁判に関するWEB資料が、アドレスのクリックにてご覧頂けます。画面が変わってローディングの後、下の「START」を押して下さると開始できます。*(日本)*
http://www.geocities.jp/kyokutou_kokusai_gunzi_saiban/1946.html

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年賀状雑感

2008-12-21 22:40:06 | 日記・エッセイ・コラム

コナサン、ミンバンワ!2008=平成20年12月も早や後半に入った。毎年の事ながら、この時期になると頭を悩ますのが年賀状。鬱陶しいのは事実だが、多くの方々から頂戴しているのは事実だから、発送しない訳には参らない。と言う訳で、かく申す俺も年賀状ソフトを買って来てPCに取り込み、一応は印刷可能な状態とした次第。

多くの各位はもうご承知かと思うが、年賀状を送るのが不適切な場合もある。まず先方が服喪中の場合。この場合は、大概先方よりお知らせを頂けるので、忘れずに把握する様にすべきだろう。次にこれは各位のご判断にもよるが、こちらから送ったものの、先方よりは直ちに来ず、遅れてやって来る所謂「返り年賀」だ。これは多くの方々が頭を悩ますであろうが、俺個人は「返り年賀」が2度続いた知人には、次回より送付を辞退する様にしている。

鬱陶しい作業であるのは事実だが、毎年の事と自らに言い聞かせ、なるべく早く終わらせたいと願う、この頃であります。

021

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