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Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

家族~自主憲法制定への道程

2005-05-26 23:56:00 | インポート
この特集日記を綴っている間にも、家族を巡る様々な出来事がありました。
先月のJR福知山線における大列車事故の現場では、乗客の安否を気遣う家族からの携帯電話着信が相次ぎ、改めて家族の絆の大きさ強さを思い知らされた次第。10年前の阪神淡路大震災、そして20年前の群馬県下での航空機墜落の折にも形こそ違え、同じやりとりが交わされた事でしょう。毎回、大切な人を失った悲しみの深さを思い知らされる気がします。
その一方で、家庭内の暴力事件なども深刻化しています。最も悲惨なものの1つが児童虐待ではないでしょうか。
頼る親、頼る人を必要とする幼い子供達が、その親達に暴力を振るわれ虐待を受ける。最悪の場合、子供達の命に関わる事も・・・決してあってはならない事態でしょう。思えば今年の初めに私の故郷、愛知の東三河でも悲劇があったと記憶しています。
こうした事件は家庭内における「家族とは何か」を真剣に考える事が減り、そうした意識が希薄になっている事が1つにはあると思います。又地域社会においてそれぞれの家庭を見守り、必要とあらば助け合うと言った態勢が次第に失われている事も原因の1つかも知れません。
私はこの他に、国家の基本法たる憲法に、社会、或いは共同体の最小単位としての家族に関する規定がなされていないのも原因ではないかと見ています。
「社会の最小単位として家族及び婚姻は法律によって保護される」と言う「家族条項」の規定は欧米を初め、多くの国の憲法に見られ、日本でも戦後、現行憲法に盛り込まれる構想があったやに聞いております。当時日本を統治していた連合国進駐軍=GHQもこの条項の必要を認知していながら結局制定には至りませんでした。
聞く所ではどうも、外務省を初めとする関係省庁のGHQに対する「戦前の家族制度を連想させる事に関する遠慮」から制定が見送られた経緯がある様です。その事は取りも直さず、関係省庁が弱腰であったと申す事ができるのではないかと思います。
私はこの条項の欠落は、第9条の平和条項より深刻な現行憲法の真の重大欠陥ではないかと思えてならないのです。
第24条において「家族生活における個人の尊重と両性の平等」が規定されてはいますが、これでは肝心の家族の何たるやの規定が何も行われず、いかにも中途半端ではないかと思うのです。この条項が盛り込まれて初めて、家族対個人と言った事共への理解も可能なのではと思います。これにより家族や地域社会の大切さに対する国民的理解を醸成でき、子供達への不当な暴力も、たとえある程度でも抑止可能ではと思います。又、それによって家族関係や家庭運営への前向きな姿勢を引き出す事が可能になり、近年懸念される少子高齢対策の一助にもなり得ると思います。*(日本)*


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