Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

2014=平成26年5月回顧~蛇足

2014-05-29 17:45:27 | インポート

本日は、平日なるも、有給休暇の取得が認められ、溜まった雑用の処理と、その合間に近所のJR線の貨物便の観察などして、一日を過ごした次第。本当に「休める時に休む」事の心がけの大切さを、改めて感じている所。世間には、親族をも含め、日に俺などより遥かに長時間を働き、月の休みが確実に下回る方々もいらす。曲がりなりにも、勤労者の権利を行使できている事への感謝と、不測の事態で勤務に穴を空ける事のない様、(或いは残り年数長くないかもだが)、最後まで心がけようと思う。

先程、報道にて取り上げられた事だが、当地名古屋でも、市営地下鉄を皮切りに、乳幼児向けのベビー・カーを収納する事なく使用できる様にしようとの取組みが始まった様だ。親達の本業勤務のあり様の見直し等と共に、折からの少子化を少しでも和らげるべく、子育てを少しでも容易にする一環として、ベビー・カー外出の条件の事実上緩和を図ろうと言う事だろう。

俺もそれ自体に反対するものではない。確かに、ベビー・カーのユーザー中には不心得な例も散見されるも、若者達の車内座り込みを初めとするマナー不良に比べれば、社会への影響は大きくない。名古屋市当局も、地下鉄車内にてのベビー・カー収納を強く求める事はしない方針の様だし、我々健常者のサイドよりも、収納強制を求める事はできない。混雑など状況にもよるが、いざとなれば、混雑時の外出を控えるなど、時間の調整が効く引退高齢者と違い、歌手 アグネス・チャンさんが先鞭を付けた、子連れ出勤の必要だってあり得よう。とりあえずは許容、後は乗り合わせた乗客間で調整すれば済む事だ。我々日本人も、よもやそれ位の知性や道義心が失われてはいないと心得る。尤も、戦後教育の圧倒的不良は、そうした良き心がけも若い世代へ意識して継承しないと、やがて廃れてしまいかねない所も孕んでいるとの自覚も必要だろう。後、列車もバスも、最近の車両は、車椅子用スペースが標準で用意されるも、常に使用される訳ではない。空いておれば、そこをベビー・カーのユーザーに使用させる事で混雑緩和を図るのも一法だろう。路線によっては競合するJR東海、名古屋、近畿日本などの各鉄道も、この問題への対応を考えている様だが、一度ライバルの垣根を越えて、各所にとり有益なアイデアを出し合い、最善の方法を考え、検討してみてはどうだろう。関係各位の、早めかつ前向きの取り組みを期待したいもの。

今日午前は、国会にての外交防衛委員会の模様を、途中まで拝見する機会をも得たが、話題の集団的自衛権行使のあり様につき、相変わらず難解なやり取りが目立った。特に、正午前の社会民主党(質問議員は、あの福島前党首!)の質疑応答は、予想通りの護憲原理的不毛な水かけ問答に終始していた。「こんな奴に、質問時間を与えるな」と終いには思ったものだ。まだ、その前の日本共産党議員の質疑応答の方が、反対側なりに紳士的だった。聞いて頂きたい。質問時間の延長への一礼はあったが、他の全党が欠かさなかった、回答者 安倍内閣総理大臣への答礼はなし。時間終了と共に、そそくさと退場とは「お前、雌猿か!?」と罵倒してやりたい気分だった。

話を戻すが、議事進行についての不良見本だろう。名古屋市の関係各位には、絶対に真似して貰いたくない光景だったのは勿論だ。又、こう言う不良な輩が幅を利かすから、後に続く子供達や若者達が、レベルを落してしまう事に繋がっている事実も、我々大人は押さえておきたいものだ。

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2014=平成26年5月回顧と、今春の拙写真貼の事

2014-05-25 23:30:31 | 日記・エッセイ・コラム

コナサン、ミンバンワ! 2014=平成26年5月も、そうこうする内に、最後の日曜となってしまった。当地も、もう日中は夏の風情で、初夏の花、立葵もそろそろ見頃になって来た次第。

以前より薄々予感があったのだが、東北にて催されていた、若手芸能集団AKB48の交流行事会場にて、遂に刃傷事件が発生した様だ。刃物を隠し持った男性容疑者が、女性メンバー以下計3名を負傷させた模様。捜査中につき、詳細に触れるのは控えるが、頭部にダメージを負った関係者もあったとかで、今はとに角大過なきを祈りたい。その上で、捜査機関は、確保された容疑者の当然の問責と、事件の全容を語らせる様尽力を願いたい。そうした努力が、今後の同集団の、安全裏に行事を続けさせる事への原動力になるだろうから。又、一度こうした事態があった以上、メンバーと愛好者が間近に交流できる行事では、所持品検査を義務づけるべきだと思うがどうだろう。

もう一つ、芸能の分野では、世界の音楽界の重鎮、ポール・マッカートニーさんが、公演の為来日されながら、突然の病気の為、果たせなかったのも残念ではある。しかしながら、遠く1966=昭和41年、ザ・ビートルズの一員としての初来日より幾星霜、同氏も既に齢70歳を超え、ご活動に無理はなかっただろうか。俺を含め、愛好の各位に過剰な期待はなかっただろうか。公演中止は、確かに欧米人の最も嫌う約束事の違反であり、遺憾であるのは分るが、決して安価ではない入場券は後日の公演にも有効の由だし、どうしても不都合なら、払い戻しの途もあると聞く。ここは、同氏に一度本国(現在のお住まいは、米合衆国かもだが)にお帰りの上、しっかり療養に専念して頂きたいもの。又、ファン各位も、同氏がもう若くない事に留意して、冷静に見守るべきではないのか。

外交面では「ああ又か」との感もありはするのだが、東シナ海を警戒中の我が空自機に対し、中国大陸軍用機が二度に亘り異常接近。最寄りでは、僅か数十mだったと言われ、空中衝突が懸念されるレベルだった模様。又、大陸軍用機は二機共空対空ミサイルなどで武装していた上、事前警告もなかった由。この状況は本当に遺憾であり、外交抗議は当然だが、今後この空域の警戒のあり様を再考すべきかも知れない。中国大陸は、あらゆる手段で、東シナ海、南シナ海をメインに、なりふり構わぬ海洋進出を志向しており、これからは、周辺諸国とも連携の上、必要な牽制をすべきだろう。勿論、その一角に、今は不協和音高らかな大韓民国の協力が得られれば文句なしだが。

話は変わる。私事で恐縮だが、今春の拙写真貼が、一応の完成を見ました。表題を「花曇りの下で 2014,s」と申します。今回は、実は余り花画像多くなく、春先に機会を得た、名古屋鉄道 舞木(まいぎ)見学の記録画像がかなりありますが、ご笑覧下されば幸いです。拙HP別室の写真貼欄下方 ⑳番へお進み下されば幸いですが、拙ブログの今回記事の下にも、入口を設けておきます。いつも通り、各画像左上の+マークのクリックで、拡大可能。ご意見ご感想向けのゲスト・ブックは、今回より拙写真貼ブログの右下方に移動しておりますので、ご面倒ですが、ご理解賜れればとも思います。拙HP別室のゲスト・ブックはこれまで通り。今月の拙ブログはここまで。ラタ、マイ月。

http://opa.cig2.imagegateway.net/s/m/album/HPu4XmMypVp

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音楽家 松岡直也さんを偲ぶ

2014-05-18 23:42:53 | 芸能ネタ

コナサン、ミンバンワ!この所の、中国大陸の強引な海洋政策の影響で、同国南隣のベトナム国にては、強い国民的反発を招いている様だ。南シナ海のベトナム国領海内で、中国大陸側が、石油試掘を強行したのが原因の様で、ベトナム国内にては、抗議デモが暴動化、大陸のみならず、本来は無関係の台湾や我国の関係企業もとばっちり被害に遭った様であるのは遺憾。さすがに、ベトナム国当局もデモ規制に乗り出した様だが、尖閣領有や東シナ海の海洋権益の問題を抱える我国も、無関係ではないはずで、何とかベトナム、フィリピンの両国を初め、中国大陸と領土や権益で摩擦を抱える諸国と、できる連携や協力を模索したい所だ。それが、中国大陸の強硬姿勢への健全な牽制ともなるだろうし、対等な立場での、関係正常化にも道を開く事だろう。まあ、完全な正常化とは参らないかも知れないが。

さて国内。「失楽園」などの恋愛作品で知られる作家 渡辺淳一さんの訃報が良く話題になるのは知っているが、俺としては、前後して逝去された音楽家 松岡直也さんの思い出を記させて頂きたい。

ピアノ奏者として半世紀を超える軌跡を残され、又、作・編曲家として我が歌謡界にも大きな貢献をされた同氏は、1937=昭和12年5月、横浜のご出身。幼少より独学にてピアノ演奏を会得、ジャズ系の方だったが、中南米系の所謂ラテン音楽の影響が強く、1975=昭和50年頃から後は、ラテン系ジャズ、もしくはフュージョン系の大家として広く知られる様になる。

俺が同氏を知ったのは、1983=昭和58年頃、「午後の水平線」と言う作品(勿論当時はLPのAD)を入手したのがきっかけだったと心得る。初めの内、その余りに強烈なラテン色について行けず、一度は売却を考えたものだが、数回繰り返して聴く内に、何かしら良さが理解できる様になって、結局今日まで手元に残っている次第。後の作品「夏の旅」や「日曜島へ」も保有しており、これからの夏場には、ギターの高中正義、サキソフォンのMALTAの各位と並び、俺にとっては欠くべからざるアイテムともなっている。と申して、最近は雑事が忙しい事もあり、中々に音楽自体と向き合う機会が持てないでいるのも事実だが。

平成に入ってすぐの1990年頃の夏だったろうか。偶然に、当地都心の栄にて、松岡さんのバンド「松岡直也グループ」の無料ライブを拝聴する機会に恵まれ、代表作「ワン・ラスト・フェアウェル」など数曲を楽しめたのは、今も良き思い出だ。又この頃、公共放送N曲の音楽教育番組に、講師として出演されたのも拝見していて、松岡さんの熱の入った取組みに、改めて感銘を受けたものである。

今世紀に入ってからは、ご健康の問題もあって、音楽活動も一時程ではなかった様に思われるが、今春に入り体調を崩された様で、残念ながら旅立たれてしまった由。丁度、命日が拙誕生日と言う事実も、決して軽くない。謹んでの弔意と、これまでのご貢献に、心よりの感謝の意を表したい所。松岡先生、半世紀を超える音造り、どうも有難うございました。 P,S 以下に、松岡直也さんの代表曲の一「ミ・アモーレ」原曲のURLをリンク致しました。中森明菜さんの歌唱でも知られますね。クリックにてお聴き下さる様。

https://www.youtube.com/watch?v=xYETe06jPyU

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法制の隙を埋めよ

2014-05-10 14:51:09 | 国際・政治

「気をつけろ!お前、信号見てたのか?」 つい先刻だが、俺は写真ネタ探しに、金山副都心辺りへ自転車で参っていた。居所近くの繁華街、尾頭橋(おとうばし)交差点で赤信号より青信号への変わりばな、停止していた俺の自転車に、横から欧米系の若造のスポーツ・サイクルが接触した。明らかな信号無視。片言英語で恐縮なるも、俺は冒頭の文言で若造に抗議した次第。彼の反応は「進行中に信号が変わった」様な返事だったが「I,m Sorry」の様な言葉はついになし。好イメージが先行しがちな国際化だが、欧米を初めとする外国人の多くが、決して進んで自らの非を認めるものではない事を、我々日本人は留意しなければならなさそうだ。

その国際化と向き合う一環としての、将来 日本国憲法を改正する必要が生じた場合(現状でも相当にあると思うのだが)に際し、国民投票の執行を可能にする国民投票法案が、衆議院を通過、参議院にての審議が滞りなく進められれば、今期国会にての成立が濃厚となった。まずは、この法案成立に向けた安倍自公政権の尽力と、大半の野党の理解協力を称えたく思う。

そも議会民主制とは、国民市民の各位が、自らの信念と責任において、政治の代理人たる国会議員、地方議会議員を選び、この方々に政治や行政の運営を委託すると共に、自らも絶えず関心を払って国内外の事共が適切に回っているかどうか、監理して参るものではないだろうか。そうである以上、国家の最高法規たる憲法も、審査と見直しの例外にしてはならず、必要な改正に向けた投票規定の制定は当然であり、遅まきながら、法整備の時が来たと言う国民市民の、理性と冷静さをもった受け止めが大切なのだろう。

一部の左派野党は、この法制整備に反対していると言われる。ある政党などは「国民投票法制がないのは国民の総意」などと嘯いていたが、それこそ虚偽である事が、今回証明された形だろう。むしろこの連中、主要国では多い「左派非合法化」を懸念して、自勢力の都合を、多くの国民市民の利益にすり替えているのかも知れず、事実なら要注意だろう。今までが無関心過ぎと言われていた政治的無関心を糾し、その解消へと向かわせる事と、自己責任の大切さの自覚を促す事よりも、今回の国民投票法制整備への動きは有意義だ。残るは参議院審議と議決のみ。この動きを、決して後退させてはならないだろう。

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まずは、道づくりだ~続き

2014-05-04 00:08:01 | 国際・政治

コナサン、ミンバンワ!2014=平成26年5月も、拙ブログを宜しくお願い致します。

昨5/3は、国民の祝日の一「憲法記念日」。1947=昭和22年のこの日よりの、日本国憲法の施行を祝う日とされるが、俺なぞは、先の大戦末期、戦勝国の一方的な意向たるY・P(ヤルタ・ポツダム)体制に押し切られて生まれた感のある、現行憲法を祝う事に違和感があるのも事実。改正についても国論はほぼ二分しており、報道によれば、話題の集団的自衛権の、憲法解釈変更による行使可能へ道を開く事に関しては、反対意見が優勢である様に伝えられている様だ。本当にそうか。今、改めて日本国憲法を国民市民視点より詳しく知ろうとする動きが広まっているやに聞いているが、こうした運動は、憲法を超えた国法のあり様を広く知り、議論を深めて行く上でも有益だ。そうした上で、必要なら改正へと動いて行くのも一つの行き方ではあると思う。ただそれは、あくまでも主権者たる国民市民各位の信念ある思考の結果であるべきで、一部の政党やメディア、そして組合組織などに誘導されるものであってはならないのも事実である。

ちょっと集団的自衛権の事に触れさせて下さい。今、この方面に造詣の深い自由民主党幹事長 石破 茂さんの文献「日本人のための集団的自衛権入門」を読んで勉強中なのだが、この権利権限は、我国の同盟国(まず想定されるのは、米合衆国)が不当な攻撃を受け、我国も不利益を被る事が考えられる時に、必要最低限の安全保障面の協力を致そうと言う権利権限と心得る。勿論それは、(場合により、僅かな改変があるかもだが)日本国憲法の引き続いての制約下にあり、認められたからと言って、平和条項の大看板、第9条第1項の精神を些かも損ねるものではないだろう。第2項の「戦力不保持」は、我国の防衛上必要な所は認められる方向に変容するだろうが。考えてもご覧じろ。国際社会に向けた平和条項も、我国の尊厳を守る自衛力保持も同様に大事。正に「車の両輪」であろう。先の大戦に鑑みた、我国が過度の侵攻を仕掛けない歯止めとしての平和条項も、それは対外信頼の面より必要だろうが、その一方で、自らの祖国の尊厳を守り抜く努力を怠った所の民が幸せになった歴史が皆無であるのも事実である。現行憲法の解釈変更による、集団的自衛権行使にアレルギー的反応が少なくないのも少しは分るが、限定的なそれであれば、何も大きな解釈変更など不要ではないだろうか。現行憲法の制約下で、可能な必要最低限の施策を打ち、将来的には集団的自衛権行使へと、憲法改正と共に続く道づくりを、安倍政権にはもう少し地道に取り組んで頂きたいもの。繰り返すが、左派野党や左傾勢力の増長を許さない為にも、決して拙速は好ましくないものだ。

まあ批判ばかりでも仕方がない。少しは安倍政権を前向きに捉えよう。現行憲法も重視する、国際協調面で良い感じなのが、近頃の政府開発援助ODAの変容だろう。従来は、途上国新興国の社会資本 インフラ・ストラクチュア整備とか貧困対策に回るのが通例だったが、近頃は我国の海上保安庁に当たる海上警察組織の警察官教育養成や、巡視船の整備援助などにも用いられている由。特に、ODAを最も必要とする、東南アジアの新興諸国は、海賊などの跳梁にも悩まされ、海上の警察力整備は、各国の存亡にも関わる重要問題だろう。そうした所への投資や資金援助なら本当に有意義だし、本来の「開発行為」の趣旨にも則っている。こうした施策が実現したのは安倍政権の尽力の成果であり、そこの所は敬意を以て称えたく思う。

勿論、こうした施策は、近年目立つ中国大陸の、阿漕な海洋進出を牽制する意味もありはするのだが、あくまでも警察的援助であって、軍事的援助ではない。一部の、左傾した反安倍政権勢力は、これさえも批判している様だが、誰がどう見ても、中国大陸に媚びた見方にしか映るまい。一体、どこまで大陸に尻尾を振るつもりなのか。海上警察への援助を、一方的に「軍事援助」などと決めつけ、各国との友好にとって逆効果などと騒ぎ立てている様だが、一度「警察」と軍事」を区別してから批判なりをすべきではないのか。この勢力の言いなりでは、政府開発演援助ODAは、昔ながらの(理念のない)ハコ物公共事業の輸出と、貧困層と言う名の弱者への際限なきバラマキを繰り返す、無能な制度システムに堕落してしまうだろう。そうした事よりの脱却の為にも、最近のODAの方向性は評価できるものに変わりつつあると、俺は信じる。その事が、安倍政権の目指す「戦後レジームよりの脱却」に道を開く事にもなり得るだろう。こちらも「まずは道づくり」と言う事だ。

P.S 今朝に至り、ある政府機関より、在外邦人の、自衛隊による救出をより広く可能にすべきとの見解が示された事が分った。日本国憲法も認める、個別的自衛権の分野にも関わらず、実現への議論は、武力の一部行使への懸念などを理由に停滞していた。これに突破口を開いたのは安倍政権の良さだろうし、海外にて現実に犠牲を生じている以上、むしろ集団的自衛権に道を開くより、こちらの法整備の方を先行させるべきだと強く思うのだが・・・。

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