この4月を振り返ってみますと、途中に冬の再来の様な大きく冷え込んだ日も見られ、3月下旬より開花した桜が、遅い所では今月半ば近くまで楽しめた様です。割合長く続いた見頃に感謝すると共に、落花時の悩みでもある、愛車の車体への花弁のこびり付きなどの問題も「今までさんざ楽しませてくれたのだから、まあ仕様がないか」などと思っている所であります。
さて遺憾な想い出が一つ。その桜の時季の終わり頃の先々週末ですが、東三河の悪友と会見すべく乗り込んだJR東海道線の列車が、何と当地名古屋と南郊の大府市の境界付近で人身事故に遭遇、警察・消防による合同見分と復旧処理の為、ほぼ1時間半に亘る停止を余儀なくされ、結局悪友との会見は流れてしまった次第。
事故原因は自殺と見られ、女性当事者は残念ながら落命の結末に至った様です。車内では予定を狂わされた乗客各位が携帯連絡などの対応に追われ、不快感を表にするも、概ね落ち着いた反応であったのが救いでしたが、自殺の情報に動揺する方々も複数見られました。又、当日の列車は、照明や空調などの補助電源が維持された事と、編成の都合か6両の車両中手洗室が2箇所であった(通常は1箇所の事が多い)事で、この方の混乱がなかった事も幸いしました。
多くの方々が困惑する動けぬ列車内にて、私は別の事を考えていました。11年前、不慮の最期を遂げた文学者 江藤 淳さんの事でした。
1932=昭和7年暮れ東京都のご出身、文芸分野でのご活動で知られ、又、優れた歴史小説の書き手でもあった様です。
若い頃は左傾した価値観をお持ちだった様ですが、途中姿勢転換され、祖国日本を意識したご見解を確立するに至り、私も尊敬する有識者のお一人でありました。又、文学の才能をご覧になる眼力にも優れ、思考的立場の異なる作家に対しても前向きの評価をされる、公正な視点をお持ちであった事も好感が持てました。
先にご家族を失う不幸に見舞われたり、ご自身も病苦と闘ったりの大変な状況ではあったにせよ、なぜ江藤さん程の賢人が自ら死の選択をなさらなければならなかったのか、そこには、戦後数十年を経て、芳しくない状況に陥った祖国日本の今の問題が関わっていなかったか、と愚考した次第。過日論文を拝借した外交評論家 岡本行夫さんの「何かがおかしい」とのお言葉が、本当に重く聞こえる事件ではありました。
「事故は、自殺らしい」そんな情報が伝わった時、ふっと脳裏を過ったのが、江藤さんの最期の事でした。事故当時者の方も形こそ違え、追いつめられていた面はあったかも知れない。ただ、人間には完璧ではないが叡知がある。その知恵を駆使し、何とか死の選択を避ける事をできなかったものかと今も思います。
私も、追いつめられた事は一度ならずありますが、お陰で自殺を考えるレベルにまでは至っていません。楽観的とでも言うのでしょうか、そうした性格を持つに至った事は、親兄弟や知友達には感謝している次第。
もう一つは、拙趣味たる鉄道交通への興味と敬愛でしょうか。こうした分野は、夢を叶えるにはやはり秩序が大事である事を思い知らせてくれる所がありますね。特に画像をお目にかける磐越の蒸気機関車C57180には、先年勇退した名古屋鉄道パノラマカーと共に、いつも深い感銘を覚えます。
江藤さんがこの世を去った同じ年、当時前例のなかった30年もの空白と、再起不能と言われた技術的試練を乗り越え、再会の度に全力疾走する雄姿よりは、見る者達に「生きろ!」と言う強いメッセージを送り続けている様に思えてならないのです。江藤さん程の器量のない私ではありますが、このメッセージは自分なりに、少しでもしっかりと受け止める必要がある様に思います。
夢を叶える事も、生きてこそであるのは事実ですから。
この記事の最後に、希望のある言葉を載せ、良い文言を教示下さったアントニオ猪木さんに一礼して、この稿を終わりたく思います。
「人の一生に 厄年はない。 躍進の『やく』と考えよ。」*(桜)*