Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

他人事でない 年金資金消失問題

2012-03-29 16:31:36 | 社会・経済

この所「春はどこへ行った?」などと、方々の知友の所へお邪魔してブツブツと申していたのだが、今日に至ってようやくその兆しが表れて来た。日中の最高気温が10℃台後半に達し、一応は上着なしでも大丈夫かな、と言える暖かい日となったのである。ただ、日没後は気温が低下するとかで、今週末の一雨の後には、もう一度の寒の戻りもあるらしい。今少しの、低温への用心が必要かも知れない。

さて、今月の我国内の大きな問題の一つが、投資顧問会社 A社による、複数の企業年金基金より預かった、2000億円を超えるとも言われる、年金資金消失の問題であろう。先日は、国会にて同社々長による謝罪会見が行われ、民間大手証券出身の同社長は、消失の事実を認めつつも、自身の責任については「資金消失は、悪意によるものではなかった」として、全面的な非を認めた訳ではない事は、我々も留意しておく必要があるだろう。商法などの会社法規により、株式会社組織の役員は、必ずしも無限責任を負う訳ではないとの規定を受けての言動だろうが、法的にはクリアでも、道義道徳的罪責は、それとは別に問われるべきだろう。何よりも、幾多の企業の、社員各位の老後にとりかけがえのない年金資金の運用に適切を欠き、取り返しのつかぬ結末に追い込んだ罪は免れ様がないだろう。天下りが少なくないとされる企業年金基金組織と、同様の人事事情を抱える投資顧問会社の、所謂癒着の実態も問題だろう。

実はこの問題、老後の為の国民年金とは別途の企業年金レベルの事件だった為、企業年金に加入していない方々は無関係だろうと思われがちだが、実はそうでもなさそうだ。

企業年金=厚生年金基金と申して良い位置づけであり、もし、厚生年金基金レベルにて年金資金が不足する事態ともなれば、その不足分は厚生年金本体より拠出されるとの実態があると言うのだ。これはつまり、基金に加入していない我々の納めた保険料よりも、基金向けの拠出がやむを得ず行われる可能性があり、その事が年金財政を更に悪化させる恐れがあると言う事だ。

実は、多くの経済学者や評論家の各位がご指摘になっているのだが、我国の年金制度には、少なくとも昨今は、無理ある所が多い様だ。現行の国民年金は1961=昭和36年に発足。当時はまだ高度成長のはしりの頃で、平均寿命もそう長くはなく、当時の平均55歳定年の後は、長くてもせいぜい10数年の年金受給にて一生を終える方々が多かった為、各自の年金保険料は安く、又、税収にも恵まれていたので、年金資金もまあ潤沢。その為、各年度の年金資金をその年度の保険料収入より調達する賦課(ふか)方式でも安定した年金運用ができたのだが、平成期に入って平均寿命が延び、又少子高齢化が進むとそうは行かなくなって来た。つまり、保険料の納付人口が減る一方で受給人口は増え、加えて受給期間が高度成長期の2倍近くに延びてしまったのである。これでは、年金財政が続くはずがない。

昨年来、野田民主党政権は、早ければ再来年春よりの消費税上方改定を模索中で、政権党内の意思統一は難航している様だ。最早危機的と申して良い社会保障、特に年金財源の状況を考えれば「増税やむなし」の方向は、根拠のない話ではない。しかしながら、年金給付と負担のあり様の抜本的見直しの方向性をも示す事なく「初めに増税ありき」では如何にも安直であるのも又事実であり、政権党の政権公約マニュフェストに抵触との指摘も仕方があるまい。少子高齢化が近い将来に亘り続く以上、公的年金のあり様は見直されざるを得ないだろう。政権党は、社会保障と税の一体改革を標榜する以上は、そうした所まで明らかにすべきだし、我々国民も、「年金制度は今のままではもたない」との認識をそろそろ共有して良いと思うのだがどうだろう。

巨額の年金資金を消失した、A投資顧問の応分の責任は当然問われるべきだが、破綻しかかっている我国の年金制度の状況を知る事も、それは必要な事だと俺は思う。今月の、拙ブログは以上であります。ラタ、マイ月・・。

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走り去った勇者達

2012-03-21 07:46:16 | 旅行記

各位お早うございます。2012=平成24年春の彼岸も中日を迎え、今朝の当地は天気晴朗は良いのだが、気温の方は先の厳寒を引きずっての冬モード。本当に「名ばかりの春、名ばかりの彼岸」と言った趣だ。暖房も依然必要で、昨年来悩まされた近隣よりの深夜騒音も、完全に解消した訳ではない。気象情報によれば、来週辺りより春本番の様だが、狼少年にならない事を祈ると共に、今春の桜の見頃も平年よりほぼ1週間~10日程度遅れる事を予め織り込んでおいた方が良いかも知れません。

さて、政治社会の事共を取り上げる事が多い拙欄だが、今回は拙趣味である鉄道交通の話題に言及したく思う。去る3/17(土)、全国JR社の列車時刻改正が行われたのはご存知だろうが、新車登場など新しい話題の一方で、歴戦の勇者や由緒ある夜行列車などが姿を消している。

世間的に、一番インパクトの強かったのが、東海道・山陽新幹線「のぞみ」の先兵となった高速車300系の全面引退だろう。平成期に入ってすぐ、1990=同2年に試験編成がまず登場。ほぼ1年半に亘り、みっちりと試験データを蓄積した後、1992=同4年春より東海道線区にての最高270km/hの高速運転と、東京~大阪間ほぼ2時間半への所要短縮を実現している。当初は、この目標の為、歴史的に全列車の停まった当地名古屋駅を通過する便の設定など、物議を醸した事もあった。ただ、大阪圏にての主な企業の始業に間に合う様設定された運行ダイヤは高く支持され、今日の東海道・山陽新幹線の盤石を築く事となる。

個人的には、「鉄仮面(俺自身は「正義の味方」顔と呼んでいるのだが)」と言われた正面フォルムよりも、「のぞみ」と言う我国最高の特急に相応しい内装の上質さに魅せられたものだ。続く

日中、書きかけにも関わらずコメを下さった方もあり、失礼致しました。夜に入って続きです。

同時に引退した先代車、100系の「おもてなし思想」を引き継いだ優れた装備にて、長時間乗っても疲れ難い座席や、少しく天井が低めであるのさえ気にならなければ、概して優れた居住性は、世界中どこへ出しても恥ずかしくないグレードだったと思う。後「食堂車がいてくれたら」とも思ったものだが、東京~大阪間2時間半程度なら、設けるかどうか微妙な所だったのも事実だろう。

もう一つ、インパクトがあったのが、ある方のコメにもあった通り、大阪と東北を結ぶ伝統の夜行列車「日本海」の消滅だろう。特急として足掛け40余年、急行の頃から合わせると、実に60年を超える時空を、毎晩駆け抜けて来た。1975=昭和50年春の、最後のスタイルとなってからも、早37年を数える。日本海側の方々にその名の通り親しまれ、又、当地近くより発つ最後の群青色の「ブルー・トレイン」編成として強く我心に残る走り姿であった。(今後は、5月連休や盆暮れなどの臨時運行のみ継続される見込みです。)

実は、俺は先日、上り「日本海」の最後の走行シーンを目に焼き付けるべく、滋賀県の琵琶湖西岸まで出かけて参った。上り同列車の最期は、雨のゴールであった。「日本海」の毎日運行は終わっても、その走る魂は、高速列車「サンダー・バード」ややがて開通する北陸新幹線へと引き継がれる事となる。この雨は、「日本海」が次の時代へと繋がる為の、慈雨だったのかも知れない。

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3つの「独善」

2012-03-17 18:58:58 | 社会・経済

コナサン、ミンバンワ!当地名古屋は、先週とは打って変わった雨模様の1日となった。厳冬の時季をほぼ脱し、冬から春へ、とかの季節の移り変わりの時には雨の日が多くなるので、ある程度はやむを得ないのかも知れない。西日本では「春一番」の便りも聞いた。後1~2回位は低温の日もあろうが、彼岸の時季を迎え、諺通り、概ね春本番へと向かう事となるのだろうか。

所で、前回に続き、先の震災より1周年を迎えての雑感を続けて参るが、それに絡んでどうも芳しくない事共も目につく様になった。1つは、甚大な原子力発電所事故の当事者 T電力。2つ目は、多数の企業などより、多額の年金資金を預かりながら、その運用に失敗して消失した事実の隠蔽を図ったA投資顧問。更に3つ目、ようやく震災瓦礫の受け入れに動き出した全国の自治体にての、過激な受け入れ反対勢力の動きについてだろう。

まずは、これらの事共の元凶、T電力の懲りない不良姿勢につき、先日の地元紙 C新聞の記事を引用しながら考えたく思う。

『原発再稼働を要求~民間維持へ霞が関工作~T電力の独善 変わらず』

『T電力は、政府の「原子力損害賠償支援機構」から福島第一原発事故の賠償のため公的資金を受け、事実上、公的管理下に置かれている。T・N社長は「親身な賠償と徹底した合理化を進める」などと殊勝な発言を繰り返すが、事故後、1年たっても競争のない地域独占企業の独善的な姿勢が頻繁に表れる。

T電力は今年1月、大口契約の法人の電気料金を4月から平均17%引き上げると発表。これに東京都をはじめ激しい反発が起きると、今後10年で2兆6千億円としていた合理化により生み出す費用を、3兆円以上に引き上げた。「さらに身を切る」姿勢を示し値上げに理解を得ようとしたとみられるが、それまでの合理化計画が「徹底した」ものではなかったことを露呈。増額した計画も十分なのかと疑念を生んだ。

現在、同電力の経営問題で焦点になっているのは支援機構と共同で3月中に策定する「総合特別事業計画」。今後の資金計画や経営体制などを盛り込むが、国は財政基盤の強化のため、約1兆円の公的資金を投入する。

枝野経済産業相は、抜本的なT電力改革を実行するため、国が単独で重要事項が決められるよう、議決権のある株式の2/3以上の取得が必要と考え、実際に国が経営権を握る方向が強まっている。

一方、T電力は「効率的な設備形成には、民間が望ましい(社長コメント)」のが本音。国が前面に出ることで財政負担が増えかねないことを懸念する財務省に水面下で働きかけ、国の取得割合を低く抑えようとしたとされる。

T電力得意の「霞が関や永田町の工作(経産相コメント)」で、深刻な原発事故を起こした後にもかかわらず変わらぬ体質に、同相は不快感を示している。さらに同電力は、近く定期点検のため全基が停止する新潟・柏崎刈羽原発の再稼働を強く求めている。同電力は2012=平成24年3月期には、約6950億円の赤字見通しの純損益が、2014=同26年3月期には黒字化するという収支計画を試算しているが、柏崎刈羽原発の再稼働と、電気料金引き上げを前提とする。

火力発電、燃料調達など社内を機能ごとに4部門程度に分け、独立採算制で効率化を図る方針。しかし、完全に分社化はせず実質的には組織温存だ。

ただ、震災以降、T電力の中途退職者は例年の約3倍の約300人に上っている。「退職者には定年間近の人もいれば、若手もいる。苦しい経営が続くことを見越してのことだろう」と同電力幹部は話す。

全容の把握ができない除染費用や、1兆円を超すとみられている福島第一原発の廃炉費用。原発再稼働や料金値上げも簡単にはできそうもない。T電力の前にはいばらの道しか広がっていない。』

この記事を、各位はどうお感じになりますか?まあ、メディアにありがちな力み過ぎの印象もないではないが、ほぼ7割方真実を言い当てている、と俺は見ている。巨大化し過ぎた地域独占の一面の他、霞が関官僚勢力や、永田町政界との絡みより、天下り企業になり下がったもう一面の悪弊も大きいのではないか。その事が、結局は原発が立地する地元の立場を蔑ろにし、かくも大きな災禍を自ら招いた側面は厳然と存在すると言う事だろう。原発再稼働の判断をも含め、この一連の事故問題への取組み姿勢を曖昧にしたままの、野田民主党政権のあり様も問題だろう。

A社の企業年金資金消失問題にしても、形こそ違え、民意や行政による、必要十分な監査が行きと届かなかった為の失態は明らかだ。こちらも、旧社会保険庁関係者の天下り先となっていた事が指摘され、無理な資金運用や、ユーザーに対する虚偽表示などの把握も遅れる事となったのではないか。そして、これら失われた企業年金資金の中には、先の震災にて苦境に喘ぐ複数の企業のそれもあった事は想像に難くない。どちらも、行政の監理不行き届きの結果である所も大きいのである。

勿論、これらは一般国民の、過ぎた無関心による所も否定できない。我々の将来を左右しかねない、事故原子力施設の放射線問題、企業年金資金の行方など、我々は意識して必要な監視をもっと以前より行う必要があったのではないか。今やっと、先の震災被災地の瓦礫受け入れ処理を全国各地にて負担する、言わば痛み分けの広域処理に向けて世論が動き出したが、放射線の安全面の広報がまあ行われているにも関わらず、頑強に受け入れ反対に動く住民勢力もまだ少なくない。この勢力、本当に科学的、現実的に調査を行い、それなりに勉強した上での反対論なのだろうか。どうも、扇情に走っている所も見え隠れする様に思われるのだが。事実とすれば、放射線よりの自衛に名を借りた地域エゴの側面もない訳ではなかろう。行政による、更なる情報と啓蒙の提供も必要だろうが、企業の側も、住民の側も、こうした独善に陥っていないか、改めて検証を行い、眼前の問題と向合う健全な姿勢を作って行く必要があると感じるのは、俺だけであろうか?

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東日本大震災一周忌に寄せて

2012-03-11 11:19:58 | 社会・経済

本日の当地名古屋は、丁度一年前、東日本のあの忌まわしい災禍が信じられない、穏やかな晴天に恵まれた。震災にての犠牲各位を悼む意味もあってか、今日は全国の主要都市にてマラソンの試合が行われている様だ。当地にても、現在「名古屋国際ウィミンズ・マラソン」の決勝中で、市中心部にては大幅な交通規制が実施され、放送局のヘリコプターも上空を旋回して取材を続けている模様。マラソンの展開や結果はさておくとして、今回は、先の震災一周忌に関連しての記事と、この災禍を更に深刻なものにした、福島県下の原子力発電所事故についての続き記事を綴るつもり。一部は今夜以降の掲載となるが、ご一読を下されば幸いであります。

本日付の拙地元紙 C新聞の冒頭に、ご自身も宮城県下にて被災された作家 伊集院 静さんのコメントが表されたので、以下にご紹介して、この問題を考える事にしたく思います。

『わかって欲しい』

「東北の町の、村の、里のどこかで、

昨日、ようやく帰って来た人の通夜があり、

今日はその人の葬儀に並ぶ人がある。

明日も誰かの月命日がある。

そう、北の地では毎朝、毎夕、どこかで祈りを捧げている人がいる。

そうして三千余人のまだ帰らぬ人たちを待つ人が、同じように祈っている。

その上、町を去らねばならぬ人がいて、見送る人がいる。

どちらも泣きながら互いのしあわせを祈っている。

復興だ。一年が経つと、テレビ、新聞、雑誌は言うけれど、この祈り続けている人たちのことをもう少しわかって欲しい。同情が欲しいんでは決してない。この震災がまだ続いていることをあなたたちにもわかっておいて欲しいのだ。

作家の私が、この人たちに言えることは、悲しみはいつかは終る時が来る。そうして笑える日が必ず来る。という言葉だけだ。

どうか、わかって欲しい。」

伊集院さん、我々がどの様に今日と向き合うべきかをお示し下さり、有難うございます。

本当に、先の震災はまだ終わっていない。福島県下の原発事故にしても然り。民主党政府は、野田内閣総理大臣をして「原発事故は一応の終息」などと、ぬけぬけと屁の様な発表をしたのはご存知だろうが、地元住民各位を初めとする被害状況を拝見すると、虚偽ではないかと思わせるものがあるのは事実。本当に、首都と現地の認識の落差を想わずにはいられないものがある。しかし、憤ってばかりもいられないのも又事実である。

実は、当地名古屋も、原発立地とは縁浅からぬものがある。申すまでもなく、福井県若狭湾沿岸に大規模に立地する原発群の事である。

ここには、敦賀市周辺をメインに、大小14基もの原発がひしめいている。もし、東海、あるいは東南海にての巨大地震が現実のものとなれば、福島の災禍は、確実に当地にての現実と化するであろう。そうした可能性と対峙する為にも、我々は、改めて先の震災、そして原発事故より多くを学び、多くの可能性、危険性を顧慮しながらこれからを生きる必要がある、と強く思うのであります。

まずは一周忌。震災の犠牲各位への改めての弔意と、被災各位への改めてのお見舞いを申したく思います。添付画像は、昨春当地よりも盛んに行われた、被災地へ向けての支援燃料輸送の一コマであります。

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原発事故~T電力解体を指向せよ

2012-03-04 23:33:45 | 社会・経済

コナサン、ミンバンワ!2012=平成24年3月も、拙ブログを宜しくお願い致します。OCN Cafe閉店後最初の月、何とかCafe時の日記並みに、週2回更新できると良いのだが、中々に時間が取れず、現状は週1回更新に留まっている。まあ今後の課題であろうか。

今、以前福島県知事だった佐藤栄佐久さんの著書「福島原発の真実」を拝読している。まだ途上なので立ち入ったコメントは現状では控えるが、はっきり申せるのは、首都圏の産業や個人生活の利便の為に、地方の県や市町村が犠牲、あるいは危険負担を負っている所がある事と、原子力行政を担う経済産業省やその外局などの行政組織、それに原発を直接運営するT電力の組織が過分に官僚化して、緊急時の責任能力が大きく落ちている事などが指摘されていた様に感じた。なかんずく、先の震災に際し、福島第一発電所の大事故=シビア・アクシデントへの対応力、責任感のなさは遺憾の極みであり、改めて、初めから全うな事故対応など望めなかったのではないか、との思いにさせられている所ではある。

本日の地元紙、C新聞のコラム欄にも、これ関連の記事が載ったので、以下引用してみる事とします。

『昔から、[始め半分]という。どんな仕事も、まず始めてみればほら、もう半分できたも同然・・・。ただ、その仕事の「目的地」や「道筋」を定めぬまま、ただ始めるとなると、むしろ[始めよければ・・・]の逆になりかねない

最近の野田政権に感じる危うさが、それ。停止中の原発について「まず再稼働」とばかり、やけに前のめりなのだ。手続きの進む関西電力・大飯原発3・4号機をとば口に、と急いている節がありあり。

あの事故からやがて1年。定期検査入りなどで、西日本にはもう稼働中の原発はなく、4月には全国でゼロに。まさに「ゼロ」から原発の今後を考え得る時という意味で、私達は今、新たなスタート・ライン上に立っている。

その場所でまず政権が為すべきは「目的地」は「脱原発社会」だと、改めて宣明すること。経団連の首脳さえ「それが理想」と言う以上、難事ではあるまい。次に、コストの増加も勘案して非原発の既存電力と自然エネルギーの拡充や節電策をからめた目的地への「道筋」描き出す。

再稼働は、その上で、どうしても電力が足りないとなる場合に初めて云々すべき話だ。それもなして、とにかく「まず再稼働」とは、ゴールもコースも知らぬまま焦ってマラソンを走りだすに等しい。

ここは大事な局面だ。思えば「目的地を指す英語デスティネーションの語源は運命とつながる』。

時の政権の姿勢もさる事ながら、原子力行政を担う主要省庁たる経済産業省やその外局の原子力委員会、原子力安全・保安院などは元より、本来は民業のはずのT電力は、霞が関並みかそれ以上に官僚化していると言われ、冒頭にて申した、管理責任能力を疑われる現状はご存知の通り。

これは、かねて経済メディアより指摘されている電力企業の、電力の発電と送電を独占している所に問題があるとされ、発電と送電を別会社として競争させ、併せて新たな企業の参入をもなるべく容易にして、企業間競争を可能とする環境を整備して来なかった事も、強く糾されるべき所だろう。

この様な原発事故を生じておきながら、T電力は、来月より産業向け電力料を約17%、今夏より一般家庭向け電力料を約10%値上げしたい意向を示している。これは、簡単にGoサインを出すべきでは勿論なく、是非共政府関係による上げ幅圧縮への働きかけを行うべき。一部には、今回値上げは、原発稼働が再開すれば、再値下げの可能性もある含みもあるやに聞いているが、T電力の今までの所は、その様な謙虚な姿勢は見えて来ない。それ所か、値上げへの動きの前に、費用面を徹底して見直すなどの、強い姿勢があったとはどうしても思えない。更に、そうした動きに呼応する様に、首都圏の大口ユーザーの一部がT電力離れを起こし始めている現実を、政府も霞が関も、もっと謙虚に注視するべきだろう。

これも経済メディアより良く指摘される事だが、不十分な経営努力の現状を打開する為に、一時の国有化と公的資金の投入も、それは一定の規模で必要だろうが、その事を行っている間に、T電力の事業独占状態を解体し、発電と送電を別会社で行う、所謂発送電分離の態勢作りも模索すべきだろう。そうする事で、世界的に割高な我国の電力料金を引き下げ、ひいては国際競争力の強化にも約立つだろう。

勿論の原発事故の地元向け賠償などの措置を誠実に行った上での話だが、良く言われる国際競争力の保持の為にも、是非検討が必要だろう。

今回の最後に一言。俺はT電力を潰せと申しているのではない。賠償責任を明らかにしつつ、解体・分社化して、それぞれの事業に合理的に専念させよと言う事である。

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